魔法のクリエイターと言われる理由、お教えします

人は知る。人は感じる。創作で。

【小説】魔列車

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室田一郎は、東京都丸の内1丁目のIT企業に勤めている。年齢は39歳、仕事一筋でワンルームマンションに住む独身貴族だ。今朝もいつもの時間に日本一混むと言われている、埼京線の300%を超える満員電車に揺られて通勤していた。

昨日も残業だったので、まだ眠い。

最近ネットワーク関連の仕事を始めたので、勉強することが3倍くらい増えて、仕事は減らない。

だいたい、サーバインフラを扱うエンジニアには、マニュアルがない。

その場で考えて新しい技術を作り出せ、と上司が言う。

何を言っているのか理解できない。

俺は「学校のお勉強」を頑張っただけで、根本的に頭が悪いし、飲み込みも遅い。

適材適所で、もっと楽な仕事に配置替えした方が企業のためだ。

そんなことを考える苦しい夢を見ながら吊革に体重を預け、半分意識を失っていた。

長年通った電車なので、駅に着く時間は体内時計で正確に感じ取ることができた。

「クソ! いつもいつもこんなに混みやがって! 日本はどうなってんだ」

と心の中で怒りを反芻している。

だが口は半開きで頭が少しのけぞって目は白目になりかけていた。

スーツはきちんと着こなして、ネクタイは1ミリも曲がっていない。

だが顔の表情は魂が抜けたようになっていた。

国土交通省か。そうだろう。あいつらめ。俺の税金を何に使いやがってんだ」

ブツブツ言いながら眉根を寄せ、眉間に皺を寄せている。

だが口は半開きのままである。

こんなことをしても誰にも聞こえないし、顔の皺が深くなるばかりである。

「イテッ。足を踏みやがったな! 下を見ることもできやしないじゃないか! JRだな…… そうか! お前が搾取してやがったんだな! JR! クソJR! うんこJR! 」

キキーーーーーッ!

JRの復讐か、電車が急ブレーキをかけた。

「うわあぁ」

「ひゃあぁぁ」

「ううっ」

「ごうあぁぁ」

室田のこめかみに、誰かの肘が直撃した。

衝撃に耐えようと、少しかがんだ瞬間に吊革につかまっていた人の肘がめり込んだのだ。

「メキメキッ」

「バキッ」

という乾いた音と共に眼鏡が吹っ飛んだ。

「ペキパキッ」

飛んだメガネが誰かに踏まれて砕けた音だと思うが、どこに行ったのかわからない。

探したくても下を向くことさえできないし、体はまだ重力に逆らって斜めになったままだった。

周りの人が起きてくれないと、自分も体を起こせない。

肋骨に誰かの背骨か腕かわからない突起が圧力をかけてくる。

肋骨は柔らかいからなかなか折れないが、鎖骨だったら折れたかもしれない。

眼鏡がないので自分の近くしか見えない。

「くそうっ。クソッ。おりゃああぁ」

 ありったけの気合を込めて右手を引っこ抜いてこめかみを触ってみた。

 ジンジン痛むが、血は出なかったようだ。

「ふう」

 少しだけ安心した。血が出ても右手で押さえることしかできそうにない。

 しかし、半分意識が寝ていた時にマックス覚醒させられて、怒りのボルテージは最高潮を迎えていた。

 口をへの字に曲げて、眉間の皺はさらに深くなっていく。

「いてえよ! いい加減どけよ! てめえ」

 遠くで声がした。

「うるせえな」

 誰かが声を張り上げた。

 室田はヒヤリとした。

 こんな時喧嘩が始まるのではないかと、心配している自分が情けなくて余計イライラしてきた。

 しかし、声を張り上げる度胸はない。

「みんな苦しいんだよ! おまえだけじゃねえ」

「そうですよ。少しは我慢してください」

「嫌なら降りて走ってけ! 」

 ここではイライラを吐き出した者が負ける。

 ゴゴン!ヴヴーーーーン……。

 軽い衝撃と共に電車が加速しだした。

 少しだけ身を起こすことに成功した。

「後ろの奴、肘をこっちに突き立ててやがるな」

 と文句の一つも言いたいが、口からは出ない。

「急停車、大変失礼いたしました。前方の踏切で直前横断があり、安全のため自動ブレーキが作動しました。申し訳ありませんでした」

「謝罪はいらんから、睡眠時間を返せ」

 と心で呟く。

「次は、新宿。新宿です。JR山手線、京浜東北線……」

 乗換駅を延々と説明する。

「バカに説明してるんじゃないんだから、毎日同じアナウンスしなくてもいいだろうに。頭悪いのか! 」

 と心で毒づいた。

 ヴヴーーン、ヒュウウウン。

 独特の音と共に車両が後ろへGをかけ始めた。

 前から圧力を感じるままに体を起こしていく。

 足を踏みにくるのを、ギリギリでかわしながら、スタンスを確保しにいく。

 外の景色はほとんど見えない。

 液晶画面に今日の天気が表示されているはずだが、眼鏡が無いのでぼやけて見えない。

 プシュアァァーーー!

 ドアが開いた。

「新宿ウゥ!新宿ウゥ!」

 こんなにデカい声で放送しなくても、猿でもわかる。

 ここは世界一の乗降客数を誇る悪魔の駅だ。

 内側からマグマが噴き出すように人が押してくる。

 人間の噴火だ。

「おおううぅぅ……」

 千鳥足になりながら真っ直ぐ進むことに全神経を集中させた。

横からも、物凄い圧力がかかる。

室田は負けじとフルパワーで前進した。

「きゃあぁぁぁ!!! 」

 女性の甲高い叫び声がしたかと思うと、自分の左手首の辺りを掴まれた。

 その手は、グイッと横に凄いパワーで引っ張っていく。

「この人チカンです! 誰か! 誰か助けて! 」

 周りの人たちが一斉に道を空けた。

「なんだ。こんなに余裕があったのか。もっと早く空けろよ」

 と呟く。

 というか、それどころじゃない状況になっていることに気付いた。

 周りの人たちがジロジロとこちらを見ている。動画や写真を撮りだす人までいる。

 女は高々と俺の左手を上げた。

 ボクシングの判定勝ちのように。

「この人です! この人がチカンです! 駅員さん! 」

「へっ? 」

 呆気にとられていると、我に返った。

 このままではまずい。冤罪で逮捕される!

 頭の中の警報ランプが点灯し、サイレンが鳴った。

 状況が飲み込めると、頭の中は沸点を超えて大噴火を起こした。

 ついにきた。いつも心にしまい込んで来た、俺の怒りの貯金が、今日解き放たれる!

「うるせえっ! 」

 と叫び、女の方を向き直った。

 俺は般若のような顔をしているはずだ。

 きっととてつもなく怖い顔なはずだ。

 だが女はちっとも怯まなかった。

「きゃあぁぁぁぁ! 」

 また叫びやがった。

 心のタガはすでにさっきの叫びで吹っ飛んでいた。

 撃鉄を引いた銃は容易に発射できる。

 フッと頭の中にキメ台詞がひらめいた。

 意識する前に口から発射された。

「誰がお前なんか触るか! 」

 とてもスカッとした。心からの叫びだ。

 女の顔を全身全霊を込めて睨みつけ、殺気を込めに込めた。

 目で殺す!今日俺は殺人を犯した。

 顔を正面から射貫くと、みるみる歪んでいくのが分かった。

「うわああああぁぁぁん!! 」

 なんと、号泣し始めた!

「まずい! 何か、怒るよりまずい! 生理的に受け付けない! 」

 自分も動揺して、周りの人の視線が痛い。

 今自分は世界中を敵に回している。

 誰の助けも得られないだろう。

 その瞬間、降りたホームにまた電車がきた。

「うおぉぉぉ! 乗るしかねぇ! 」

 心で叫び、ドアが開き、できた空間に体を向けようとする。

 だが女は全力で左手首を握りつぶしにくる。火事場のクソ力が込められる。

「イテえよ! 暴力女がぁ! 」

 と叫ぶと同時に、とっさの判断で女の方へ手を振り上げた。

 それが功を奏して手が外れる。

 自由になった左手を自分の前に格納すると、

 電車の奥へ奥へと消えていくことができた。

「ドアが閉まりまあぁす。戸袋にお手を挟まれないようにご注意ください」

 そんなこと言われなくても、手を挟まれるマヌケはいない。

「早く締めろってんだよ。ノロマ! 」

 と心で叫び、足をバタつかせた。

 ぷしゅぅぁぁぁーーーっ!

 マヌケな音と共に悪魔の新宿駅と、悪鬼のような女がガラスの向こうに隔離された。

「おおぉぉ! JRめ! なかなか良いじゃないか! 」

 無事に窮地を脱したら、何でも許せる気分になった。

「ふうぁっ」

 一息ついた。

「なんて日だよ。まったく……」

 だが会社には遅刻した。

 上司に米つきバッタのように頭を下げる自分がいた。

「何をやっていたんだ。俺は」

 

 

この物語はフィクションです。