魔法のクリエイターと言われる理由、お教えします

人は知る。人は感じる。創作で。

創作中毒

「文庫本一冊書けるだけでもすごいですよ」

「いや。たいしたものではないです」

 初めて他人に原稿を見ていただいたときに、こんなやり取りをした。

 文学の専門家だから、もっと厳しい反応があるかと思っていた。

「もしかして文学賞に、応募するんですか」

「はい。純文学と青春文学、ミステリーなどで応募してます」

「じゃあ、寝る暇がないですね」

 といってニヤリとした。

 フルタイムで仕事をしながら、2ヶ月の間に文学賞に5本、エッセイを10本ほど応募した。

 それとは別に、WEB上の投稿サイト用の小説と、エッセイを毎日書いている。

 ほとんど反射神経で、思ったことを文章化する。

 もともと創作は好きだ。

 10代後半で、猛烈にクリエイティブな仕事に打ち込んだ時期があった。

 寝ることも遊ぶことも忘れて、様々なジャンルの作品を作り続けた。

 自分には、表現の才能はないが、一つのテーマを解釈して問題解決することには長けている。

 だから自分に「お題」を出してそれを解決する、というやり方をしている。

 かなりの「ムチャ振り」をしても、大抵答えに詰まることはない。

 そして忙しさには慣れている。

 本業ももちろん忙しい。

 いつも走り回っているし、それでも足りなくて失敗して怒られることもしばしばだ。

 でも創作をすると癒される。

 すでに中毒になっている。

 でも睡眠不足にはなっていない。

 毎朝4時に起きて書いているら、

 4時に起きるというと、驚かれるが昔からの習慣である。

 長距離通学、長距離通勤が多かったせいで早起きは習慣になった。

 そして、作業机の前に座ったら、考える前に原稿ファイルを開きキーボードに手を置き1文を打つ。

 しくじったら消せばいい。

 こうやって「創作する前」を「創作中」に転換してしまえば、億劫さを飛び越えてしまう。

 書くものは「駄文」でいいのだ。

 駄目人間が書く文なのだと、わきまえなくてはいけない。