夢の変遷

 幼稚園の頃、集団に適応できなくて、早くも不登園になった。

 そんな自分に気を遣って心にもないことを言ったり、嫌いな牛乳をオレンジジュースに替えてくれたりする気遣いは、本質的な解決にならないし、もっと厳しくしてくれても挫けるような自分じゃないと思うような、鼻息荒い変な幼児だった。

 周りに合わせて人間の絵を黒と肌色(当時の呼び方)で描くことが納得いかなくて、青とオレンジで描いて叱られた。

 自分は絵の世界で生きて行くことだけはないと思った。

 

 小学生の頃、飲食店を経営することを夢見ていた。

 ラーメンを自分で作って食べたりしていた。

 台所仕事は小さい頃から毎日手伝っていたので、ある程度自信があった。

 

 中学生になって、順位が示されたことで自分がかなりの秀才だったことに気付いた。

 考えてみれば、テストはいつも満点だった。

 テストはのび太君以外みんな満点を取っていると思い込んでいた。

 自己肯定感が低かった自分にとって、周りから一目置かれることが心地良くなった。

 その頃、医療関係の仕事も考え始めた。

 自宅で自営業をして、自分で仕事をコントロールできる生活をしたいと思っていた。

 高校に進学するとき、学力以外の要素で進学先を決めた。

 結果的に正しい選択だった。

 

 高校に入って、知的な趣味を持つ友人が沢山出来て、弁護士を目指すべきだと言われた。

 論理的な考え方をすることを指摘されて、自分がそんな人間だったのかと感心した。

 弁護士業界のことはあまり知らなかった。

 犯罪者なども、クライアントになると知って抵抗を感じた。

 正義には、人一倍こだわりがあった。

 人権を守る、ということを理解していなかった。

 その頃、自分の意識を広い世界に開いていくことが肝心だと思っていた。

 目の前の日常から離れ、自分の可能性を究め、限界を超えて行きたい。

 そんなイメージを持って、海外へ行くことを夢見ていた。

 そして、自分が不得意な分野に足を踏み出し、クリエイティブを求めるという無茶と向き合い、数年間のたうち回るような日々が待っていた。

 多分それも必然であり、それを乗り越えられることを知っていたのかも知れない。