なにに対して感動するかは、受け皿の形によるのです
「何でも自由に、思ったとおりにしていいよ」
とても優しく、心を解き放つような言葉です。
でも、自由にしていい、といわれて自由にできるわけでは、ありません。
地平線までなにもない、砂漠に放り出したとき、自由になったと喜びますか。
消耗し、渇き、体力がつきるまで歩けるでしょうか。
途方に暮れて、身動きがとれなくなる人多いはずです。
自由を欲し、自由を実現して、不自由になる。
自由と不自由は、表裏一体で、どちらかを自分が認識したにすぎません。
表現者として、自由にストーリーを思い描くにも、制約が必要です。
自分に、テーマという|枷《かせ》をつけないと、発想できないのです。
オートマティズムで、意味不明な文章を書いても、自由とはいえません。
「ジャンル」は、制約の一つです。
日本で生まれ育った人には、当たり前のようにジャンルを受けいれられます。
でも、海外の異なる文化を知れば、思い込みであることがわかります。
「芸術」のとらえ方も、民族によって大きく異なります。
なにに対して感動するかは、受け皿の形によるのです。