魔法のクリエイターと言われる理由、お教えします

人は知る。人は感じる。創作で。

【小説】どうせ、うまくいくから歌ってみな

パソコンが友達の、イケてない男がインターネットで奇妙なサークルに出逢った。「どうせ、うまくいくから歌ってみな」が合言葉のカラオケサークルだった。酷い音痴の男は、スルーしようとしたが、なぜか幸せを感じ始める。最新技術で音痴を修正してくれるマイクを使い、歌い始めると待っていたのは未知の快感だった。同じ悩みを持つ者たちが集まり、脳には幸せ物質が満たされ歌も悪くないかもなどと思い始めたとき、違和感を感じた男は本当の幸せを見いだすのだった。

 

 

 薄暗い部屋には電子部品が散乱し、グレーの工作機械がモーター音を響かせる。

 外はにわか雨が降り出したようで、ガラス窓を雨粒が打つ音が|微《かす》かに聞こえた。

「ついに完成した ───」

 何度も搔きむしった頭が、ボサボサに乱れた|木丸《きまる》は、右手でマイクを掲げ左手は髪を撫でつけた。

「世紀の大発明だぜ、こいつは」

 助手の|飯高《いいたか》が、コントローラーをポチポチと押すとBGMが流れる。

 大音量のギターが耳をつんざき、思わず顔を|顰《しか》めた。

「なんだ、この曲は」

 困り顔の木丸の前に映し出された画面に、テロップが流れる。

「|流行《はや》りの『脆弱パートナーシップイニシャチブ』だ」

 ふんと鼻を鳴らし、どっかりと椅子にもたれた飯高は、コントローラーを机に投げ出した。

 赤、青、緑のスポットライトが明滅し、キラキラと光の玉が壁を流れていく。

 派手な演出が、かえって心を冷めさせた。

 |傍《かたわ》らのグラスに冷たい麦茶を注ぐと、表面が曇って水滴が流れる。

 シリコン製のコースターには、ステンレスを|嵌《は》め込んであって、下から光を反射するとグラスの透明感が増す。

「気分はどうだ」

 問うと木丸は親指を立てた。

 時代の閉塞感から人類を救い、活発にすることで経済を成長させる。

 研究所のコンセプトだった。

 これが、計画の第一歩になる。

 2人は成功を確信したのだった。

「やはりな。

 アドレナリン、ドーパミン、エンドルフィンの数値が急激に上がっている。

 実験成功だ」

 3つのホルモンは、幸せを感じたときに放出される。

 歌うと快楽を感じるのはそのためである。

 電灯を消し、スポットライトの光とともに、研究所には夜遅くまで音楽が響き渡ったのだった。

 

 カーテンを閉め切った部屋に、少々埃臭い空気が立ち込める。

 黒いデスクにノートパソコンとマンガ本の山があるほかは、殺風景な部屋である。

 隅に積まれた布団は|潰《つぶ》れてカバーから中身が少し|覗《のぞ》いていた。

 椅子に背をもたせかけ、天井を見上げるとほの暗いグレーに外の光がカーテンの隙間から差し込んでいた。

 外の天気は曇りだろうか。

 気になると頭から離れなくなったが、カーテンを開けるのが|億劫《おっくう》でぼんやりと隙間に視線を移していく。

 SNSの広告に、奇妙な物が入ってきた。

 「黄金スピンクス」と大きな文字で白抜きになった背景は、暗い中に|幾筋《いくすじ》ものスポットライトが光を交錯させ|煌《きら》びやかに演出する。

 奥に小さく、どこかで見たようなアイドルが身体をしならせて歌っていた。

 そのビジュアルが、徳本の心を捉えた。

「かっこいい ───」

 短い動画には、音がなかったが歌う喜びをストレートに伝える何かがある。

 カラオケなど一度も行ったことがなかったし、音楽の歌のテストはいつも恐怖だった。

 生まれつき音程がとれない人間にとって、声で音楽を|奏《かな》でるなど異次元の世界だった。

 SNSにはニュースや広告がずらりと並び、フォローしたユーザーの書き込みにはフォロワーを増やした気持ちが|溢《あふ》れていた。

 親しみやすい文章で、自分の生活や思いを|綴《つづ》る。

 ワンパターンな言葉が続き、腹の底に冷たい重さを感じ始める。

 誰かと|繋《つな》がりたい気持ちでSNSを開くのだが、ほとんど無意味なやり取りが続く。

 高校を卒業してからアルバイトをボチボチやりながら、何とか安アパートの暮らしを維持してきた。

 最低限飲み食いできれば、生きるには困らない。

 だが心の中の|倦怠《けんたい》の|渦《うず》が、姿勢を維持する力さえも奪っていく。

 ため息を一つつくと、ゲームを開いた。

 楽しい、とは思わないゲームを毎日なんとなくやっている。

 課金する余裕はないし、自慢できるほどうまくはない。

 ユーチューバーのように一芸を持っていない人間には、日陰で静かに暮らすのが似合っていると思った。

 

「それで、この機械をどうするつもりですか」

 木丸が詰め寄った。

「どうって、売り出してカッコイイ広告も打っただろう」

 顔を背けた飯高も、意外な結果に暗く沈んでいるようだった。

「全然売れないじゃないか。

 こんなに世の中のことを考え、寝る間を惜しんでプログラミングしたというのに」

 抗議するように、顔を覗き込んで不満を顔全体に表した。

「俺のせいじゃないし」

 口を尖らせ、困惑の表情で床の一点を見つめた飯高は、次の言葉が見つからなかった。

「これでは、家賃さえ払えないぞ。

 素晴らしい発明なのに、特許料を払うのさえ不安だ」

 マイクスタンドに「黄金スピンクス」と名前を大きく書いたマイクが刺してあり、広告チラシの束が傍らにある。

 そのビジュアルは、人の心を捉えたはずだ。

 でも買わない。

 考えても分からない。

 学生時代、美術の成績はいつも良かった飯高の、|渾身《こんしん》の自信作だ。

 そしてアイドルのシルエット動画素材を、なけなしの金で買って貼り付けても効果がなかったのだ。

 マイクの性能は申し分ない出来栄えだ。

 そして広告も悪くはないはず。

「どうしてだよ ───」

 拳をドンと机に打ち付け、奥歯を噛みしめた。

 カラオケで人類を救う。

 理想が高すぎたのだろうか。

「まあ、自分を責めていても始らない。

 次の手を打とう」

 マイクのスイッチを入れると、木丸は歌い始めた。

「次とは ───

 何か当てがあるのか」

 色とりどりの光に包まれ、|恍惚《こうこつ》が顔いっぱいに広がった木丸は華麗なステップで踊り出した。

 

 若い男が、研究所のドアの前に現れた。

 防音がしっかりした、白塗りの建物の外観は立派に見えた。

 毛足の短い玄関マットを踏みしめ、キョロキョロと周囲を見渡すと、閑静な住宅地に人影はなかった。

 インターホンを鳴らすと、中から鍵を開ける音がした。

 スチール製のドアがゆっくりと開く。

 木丸は男の名刺を受け取ると、中へと促した。

 |油川《あぶらかわ》と名乗った男は赤いシャツと黒いパンツを着こなし、日焼けした|精悍《せいかん》な顔とパーマがかかった茶色い髪が印象的だった。

 中央のスチールデスクに、ちんまりとマイクが置かれていた。

「これが、そのマイクですか」

 油川が手を伸ばす。

「黄金スピンクス ───」

 |眉間《みけん》に|縦皺《たてじわ》を寄せ、側面の文字を読み上げた。

「新発売のマイクがもたらす未来は黄金のように輝き、神秘的なスフィンクスのように謎に満ちていて魅力的だ、という意味です」

 胸を張って木丸が言うと、静かにマイクスタンドへ戻した。

 油川は立ち上がり、思案顔で窓へ向かって歩き始めた。

 飯高は彼の背中をぼんやりと眺めていた。

 プロの目から見て、カラオケマイクを売り出すために知恵を絞った名前とデザインをどう言われるのだろうか。

 いささか関心があったし、自信もあった。

 窓際まで進むと、外の景色を眺めたまま油川が言った。

「確認しますが、このマイク、売れてないのですよね。

 なぜだと思いますか」

 間髪入れずに木丸が言った。

「さっぱりわからないのです。

 これを使えばとても気持ちよく歌えるし、心から幸せな気持ちになるのですよ」

 すると、窓の光を背に振り向いて鋭い眼を向けた。

「質問に正対していませんね。

 きちんと考えたのですか」

 語気を強くして、叩きつけるように言い放った。

 

 アルバイトをする日以外は、暇を持て余してパソコンに向かうか昼寝をする毎日。

 ギリギリ生きていけるし、金を稼いでもやりたいこともない。

 パソコンに向かっていると、昼間から遊んでいる奴なんか自分と同類が多いと思う。

 そして大抵性格が自分のように暗くねじ曲がっていく。

 思考がネガティブになると、|途端《とたん》に眠気が差す。

 移動するのも億劫なので椅子にもたせて、ひっくり返ったまま目を閉じた。

 胸を打つ|鼓動《こどう》は|虚《むな》しく、頭にもやがかかったように意識が薄れていく。

 高校を卒業してからは、スマホに連絡してくる友達とも疎遠になってしまった。

 変わり映えしない部屋に、鬱屈した気分を吐き出し、また吸い込む。

 最低限、自分の食いぶちくらいは稼がないと親がうるさいからバイトをする。

 ズカズカ入ってきて、商品にベタベタ触り大声で笑う高校生や、何も買わずにイートインに|屯《たむろ》してスマホで動画を見て笑うギャルなど、人様に迷惑をかける分だけ自分より|酷《ひど》い。

 テレビをつけると、ブルジョアなニュースキャスターやタレントがペラペラまくし立て、動画サイトでは人を驚かして目を惹こうとするクリエイターと、派手なだけでどうでもいい広告が|溢《あふ》れかえる。

 半分は妄想で、物事を悪くとらえているだけだと分かっているから、なおさら気分が塞ぐ。

 結局俺が悪いのか。

 ひとしきりクヨクヨ悩むと気分が楽になって、またパソコンをつけた。

「黄金スピンクス ───

 新開発のAIで歌が上手になるのか」

 幸せをイメージさせるビジュアルもいい。

「へえ。

 面白そうだな」

 画面に映し出された広告動画を拡大すると、恍惚の表情でアイドルが歌っていた。

 連絡先の電話番号と共に「今なら無料体験実施中」と書かれていたので、しばらく|逡巡《しゅんじゅん》した。

 何をやっても、イマイチ楽しくないし一日おきくらいに|憂鬱《ゆううつ》になるから、そろそろ病気になったかと思い始めていた。

 さすがに病気は嫌だ。

 スマホを取り上げ、番号を叩くまでに時間はかからなかった。

 

 研究所に重苦しい沈黙が鉛のように横たわっていた。

 時々木丸が唸り、腕組みをして立ち上がるとまた椅子に腰を落ちつける。

 飯高は黄金スピンクスの文字に何度も視線を|這《は》わせては、腕をグルグル回したり、大きく伸びをしたりと落ち着かない。

 窓際の光が、黄色みを帯びてきて油川の頬をチリチリと焼いた。

「さあ、そろそろ何か言ってください」

 しびれを切らして窓の|桟《さん》に手を突いたまま振り返った。

 2人はまた唸り、半開き立った口をへの字に結んだ。

「売れない理由が分かれば苦労しないぞ」

 苦し紛れに飯高は、本音を|漏《も》らした。

 木丸も小さく|頷《うなず》く。

 頭の中を渦巻いていた苦しみが、パッと晴れて何もなくなった。

 分からないから、相談しようとしているのだ。

 専門家が打開してくれると思って依頼したのに、仕事を放棄する気か。

 攻撃対象がはっきりすると、思考は止まる。

 そして他人のせいにする。

 自分たちは精一杯やった。

 だが、油川は小さく肩を震わせて口角を上げた。

 ククッと笑いが漏れ、のけ反るように顔を天井の隅に向け両腕を開く。

「そんなことだから、売れないのですよ」

 そのときインターホンが現実に引き戻した。

「黄金スピンクスの無料体験は、こちらでよろしかったですか」

 玄関の上がり口に視線を落としたまま、ボソボソと呟くような声を絞り出した。

 普段あまり声を出さないので、声帯が退化したのではないかと思うほど、喋るのにエネルギーがいる。

 手元の端末をスワイプすると、木丸が奇妙な客を迎え入れた。

「|徳本 浩作《とくもと こうさく》さんですね。

 ご予約、ありがとうございます。

 お待ちしておりました。

 どうぞ中へ」

 ぼんやりと|濁《にご》った目を奥へ向けた徳本は、ぎこちなく靴を脱ぎスリッパをつっかけた。

 パタパタと部屋に入ると、エアコンの音と窓の|西日《にしび》が迎えた。

「こちらです。

 リモコンでお好きな曲を選んで歌ってみてください。

 きっとお気に召すと思いますよ。

 では」

 3人は奥の部屋に引っ込んでいった。

 残された徳本は、ゆっくりと右手を伸ばしリモコンで流行りの曲を選んだ。

 部屋がパッと暗転し、窓にブラインドが落ちて静寂が支配した。

 次の瞬間、けたたましいギターの音が稲妻のように耳をつんざく。

「うわっ」

 思わず声を上げ、軽く飛び上がって耳に手をやった。

 イントロが始まると、画面に歌詞が流れ始めた。

 改めて室内を見回すと、誰もいないことを確認しマイクを口元に近づけた。

 小さく息を吐き、マイクテストのつもりで声を出すと自分の声とは思えないほど張りがあって腹の底から響くような驚きをもたらした。

 スポットライトが部屋を切り裂き、光を|掻《か》き分けるように手で虚空をなぞる。

 自分のものではないような、素晴らしい歌声に異次元の感覚と恍惚のひとときが落ちてくるのだった。

 

 今月中にもオフィスを引き払わなければならないところまで追い込まれた木丸は、すでに半分|諦《あきら》めていた。

 カラオケ全盛時代に、散々付き合わされたが自分が歌うと気分が悪くなる。

 そんなトラウマをAIで解消できたのだ。

 責めるような油川の視線を正面から受け止め、|睨《にら》み返した。

「物が売れるなんて、簡単なことじゃないでしょう。

 私はね、黄金スピンクスを愛しています。

 人数は少なくても、幸福感を味わって帰っていく人の心からの笑顔が見られれば良いと思いませんか。

 自分でも歌って満足しました。

 自己満足で悪いですか」

 胸を張って言い切る木丸を見て、思案顔だった飯高も|頷《うなづ》いた。

「まあ、いいんじゃないか。

 大成功じゃなかったけど、今回のビジネスはここまでかもな。

 |負債《ふさい》が|膨《ふく》らむ前に潔く ───」

 隣室から入ってきた男を認めて、途中で言葉を切った。

 晴れやかな顔の目尻に、一筋の涙が流れ落ちた。

「素晴らしい ───」

 |憑《つ》き物がとれたように晴れやかな顔で窓へと歩を進める。

 |呆気《あっけ》にとられた油川は、後ずさりして部屋の隅に下がった。

「歌は、人を幸せにするのですね。

 ドラッグや、宗教など比較にならないほど」

 振り返るシルエットに、夕日が光の筋を作り出す。

「いや、僕はどちらも知りませんけどね。

 例え話です。

 部屋に引きこもって、鬱になりかけていた人間が、この通り変わったのですから」

 目を伏せて、木丸が一歩進み出た。

「ありがとう。

 最後のお客さんが、こんなに満足してくださったのだから、黄金スピンクスは充分に役目を果たしました」

 徳本は目を見開いた。

「最後の客 ───」

「今月末で、会社をたたんでオフィスを引き払うつもりです」

 こちらも晴れやかな顔になった飯高が、しんみりと言った。

 薄暗くなりつつあった部屋に、沈黙が重くのしかかる。

 だれもが肩の荷を下ろして、ひと時の夢を見た。

 それだけで充分なのかも知れない。

 |黄昏《たそがれ》の陽は、刻一刻と色を失くしていく。

 物事には必ず終わりがある。

 夢は見ることに価値があるのであって、実現するのは一握りの天才だけなのだ。

 |諦念《ていねん》と思い出に生きるのが人生である。

「ちょい待ち」

 徳本は、一変して怒気を|孕《はら》んだ視線を飯高に向けた。

 彼自身も、なぜこんなに腹が立つのか分からないが、許してはいけないともう一人の自分が燃えたぎる精神のエネルギーを|滾《たぎ》らせる。

「冗談じゃない。

 これはただのカラオケマイクじゃない。

 誰もが幸せになる道具だ」

 人差し指で木丸を射貫くと、飯高は背もたれに身を持たせて目を見張った。

「と、言いますと ───」

「僕がモデルケースですよ。

 売り出す方法は簡単です。

 世の中に僕を増やせばいいんです」

 

 |壇上《だんじょう》で、聴衆を前にした木丸は一つ|咳払《せきばら》いをした。

 マイクが乾いた音を立て、ゴツンと叩くように声を絞り出した。

「ええ、私はAIの研究者というほど詳しくはないのですが、なんて言うと怒られてしまいますが」

 ずっと陽の当たらないところで、発明品を試作しては失敗してきたから講演会に呼ばれるなど思いもよらなかった。

 だからなかなか原稿がしっくり来なくて余計なことを言ってしまう。

 だが、言ってみて自分でツッコミを入れたくなる不可解さだった。

「AIで人を幸せにする。

 出発点はそこでした ───」

 黄金スピンクスの大成功を記念して、マスコミに会見を開き公演にも忙しさの合間を|縫《ぬ》って足を運ぶようにした。

 これも、コンセプトに沿った社会への働きかけと解釈している。

 一通り、AIカラオケマイクの理念と工学的解説を加えて、場内は拍手の渦に包まれる。

「ご清聴ありがとうございました。

 今後もさらに改良を加え、AIの未来に貢献していきます」

 そんなことが自然に口を突いて出た。

 

「なあ、知ってるか。

 AIアイドルかと思っていたら、実在する女の子が歌っていたらしいぞ」

「え、マジか。

 このルックスで歌唱力マックスってアリかよ」

 「ミッキー」こと|美樹本 艶《みきもと えん》は、黄金スピンクスを片手に観客に手を振る。

 画面にマイクが大写しになると、会場にどよめきが起こった。

 全国にライブ配信されたコンサートは、チケットが発売後10分で売り切れると地下で数十万円で取り引きされたと噂された。

「このマイクがAIなのか。

 ヘンテコな名前だけど、ミッキーみたいに輝けるなら欲しくなるな」

 男はスマホでAmazonを開いて検索する。

「たったの三万円で売ってるぞ」

 注文が殺到して、納期は半年後になる騒ぎだった。

 

「はい。

 ミッキーの新曲『併存ニンファー』と人気の『不忠実レイオット』はご購入後ダウンロードできますので、まずはご予約を承ります」

 事務所には、10人ほどのスタッフが電話受けとWEBの取りまとめに大忙しである。

 奥の応接室にどっかりと腰を下ろした木丸は、グラスの麦茶をグッと喉に流し込んだ。

「公演お疲れさま。

 黄金スピンクスの人気はうなぎ上りだな」

 飯高は伝票の束を、ガラステーブルに投げ出すとソファにひっくり返った。

「あの娘、ミッキーだなんて呼ばれて大当たりしたな」

「そうさ、油川さんがアイドルの卵を適当に見つくろってきてこのヒットさ」

「徳本さんも、事務方として生き生きとして働いてるし黄金スピンクス|様様《さまさま》だな」

 そこへ、油川が息せききって駆け込んできた。

「2人とも、会場へ来てください。

 ディレクターが開発者を呼べと ───」

 木丸は嘆息して、ジャケットの|襟《えり》を|掴《つか》んで立ち上がった。

「やれやれ、人気者は休む暇がないな」

 ふっと目を伏せて、飯高も起き上がる。

「急いでください。

 ミッキーの歌が終わったところでインタビューを入れます」

 移転してオフィスビルの高層階に落ち着いていたので、屋上のヘリポートまで一足で出ることができた。

 ヘリのメインローターから強い下降気流が生まれ、顔を腕で|覆《おお》っていないと目を開けていられないほどだ。

 すでに暗くなった街は、昼間よりも活気を帯びたように見える。

 ヘリのテールローターがゆっくりと回り始めるのを見ながら、3人は機体に身体を滑り込ませた。

「じゃあ、やってくれ」

 操縦士は機体を星屑のような夜景の上へを舞いあげていく。

 明かりの数だけ暖かさを感じるのは、その数だけ人間の営みがあるからである。

 その|幾《いく》つを、幸せに変えられるのだろうか。

 マイクを持って歌うたびに感じた高揚感を、木丸は夜景の中に見いだそうと目を凝らしたのだった。

 

 

この物語はフィクションです

【プロット】真実の鏡

雨上がりの街は美しい。

石畳の路地を濡らした雨水が、夕日に照らされてキラキラと輝いていた。

雨は、いつの間にか上がり、心なしか空気が清々しい。

細い路地を歩いていると、古びた蔵造りの建物に目を留めた。

その建物は、黒ずんだ壁に蔦が絡まり、どこか怪しげな雰囲気を漂わせていた。

「こんなところに、こんな建物があったなんて」

吸い込まれるように、その建物へと近づいていった。

扉には鍵がかかっておらず、軽く押すと開いた。

薄暗くひんやりとした空気が鼻孔を突いた。

埃っぽい匂いが広がり、足音だけが静寂の中に響く。

奥へと続く廊下を進むと、開け放たれた部屋に行きついた。

部屋の中央には、大きな鏡がぽつんと置かれていた。

その鏡は、周りの薄暗さとは対照的に、不思議な光を放っていた。

私は、鏡に引き寄せられるように近づいていく。

鏡の前に立つと、自分の姿が映った。

しかし、それは普段の自分とはどこか違っていた。

鏡の中の私は、穏やかな笑みを浮かべている。

まるで私自身が、笑ってと話しかけてくるようだった。

その時、鏡の中から声が聞こえた。

「ようこそ、私の世界へ」

驚いて振り返ったが、そこには誰もいない。

声は、確かに鏡の中から聞こえてきたのだ。

「あなたは、誰」

恐る恐る尋ねた。

「私は、あなたの心の鏡。あなたが、本当に求めているものを映し出す者」

鏡の中の自分は、優しく微笑んだまま、何も答えない。

見つめ合いながら、心の奥底に問いかけた。

「本当は何がしたいんだろう」

すると、鏡の中の自分は、ゆっくりと口を開いた。

「あなたは、自由になりたいと願っている」

「自由 ───」

今までの人生で、本当に自分が望むことをしてこなかった。

いつも誰かの期待に応えようとして、自分の気持ちを押し殺してきた。

「自由になりたい」

鏡の中の自分に向かって、心の底から叫んだ。

すると、鏡のまばゆい光が、私の体を包み込んだ。

気がつくと、見慣れた部屋にいた。

窓の外には、雨上がりの青空が広がっていた。

鏡の中の自分との出会いをきっかけに、自分の人生を見つめ直すことができた。

そして、本当に自分がやりたいことを探し始めた。

あの不思議な体験は、夢だったのかもしれない。

しかし、私の中で何かが変わった。

雨上がりのように晴れやかな気持ちで、新しい一歩を踏み出したのだった。

【プロット】黒い闇夜

漆黒の闇に包まれた深夜の住宅街。

街灯の光も届かない一角に、ひっそりと佇む黒い家。

その家の前には、黒塗りの車が一台。

車から降り立ったのは、黒いスーツに身を包んだ男。

顔には深い影が落ち、表情を読み取ることはできない。

男は音もなく黒い家へと歩を進める。

木製の巨大な扉の|蝶番《ちょうつがい》が|軋《きし》む音と共に玄関が姿を現していく。

男は黒い靴で静かに踏み入った。

家の中は、月の光だけが差し込み薄暗かった。

壁には得体の知れない絵画が飾られ、重苦しい空気が漂う。

男は黒い革張りのソファで足を組み、深く息を吐いた。

彼の名は黒崎玲司。

「黒の死神」と呼ばれる凄腕の殺し屋である。

玲司は、依頼人の情報が書かれた黒い封筒を開封する。

今回のターゲットは、この黒い家に住む男。

裏社会の大物で、数々の悪事を働いてきた男だ。

玲司は立ち上がり、黒い手袋をはめた。

そして、音もなく廊下を進んでいく。

彼の立ち姿は、まるで闇に溶け込むかのようだった。

ターゲットの部屋の前で、立ち止まった。

そして、ドアノブに手をかけた。

次の瞬間、部屋の明かりが点き、銃口をはっきりと視界に捉えた。

ターゲットはベッドの横に立ち、口角をわずかに上げた。

「よく来たな、黒の死神。

殺しに来たんだろう」

玲司は、ターゲットを見据えた。

「ああ、そうだ。

お前を地獄へ送ってやろう」

二つの黒い影が、静寂の中で対峙した。

皮膚が渇き、神経が張りつめる。

銃声が鳴り響いた。

呻き声とともに、棒のように床に倒れた男は、それきり動かなくなった。

黒い夏は、まだ始まったばかりだった。

【小説】至極清閑な暮らし向き

出逢ったのは、余命3か月の銀行員と好奇心旺盛な小説家、そして協調性のないマッドサイエンティストだった ─── 余命宣告を受けた小曾根は、家族と別れ独りシェアハウスを探す。誰も入居していなかった物件を押さえ、入居日を迎えた。孤独を愛する者たちと、心に闇を抱えた現代人の奥底に眠る垢のような、わだかまりを共同リビングのテーブルに広げていく。

 

 本当の孤独を知っていますか。

 寂しさではなく、至高の孤独を。

 自分の時間をきっちり分けられる人こそ孤独を友とし我が物とした、人生の達人なのです。

 気高く凛として咲く、一輪挿しのように生きられたら素晴らしい。

 今日もそんな思いで筆を執りました。

 

 

 本当の孤独は、心の隅々まで命を行きわたらせ、満たしてくれる ───

 

 シェアハウスを申し込み、審査結果が来るのを心待ちにしていた|小曽根 泰二郎《こそね たいじろう》は、SNSに書かれた審査結果を開いて安堵のため息をついた。

「ようやく、独りになれる。

 これで、誰にも迷惑をかけずに残りの人生を生きられる」

 静かな廊下でスマホを片手に握りしめ、ゆっくりとデスクに戻って行った。

 デスクには所狭しと書類が積まれ、パソコン画面が埋まるほどの|付箋《ふせん》を張り付けてある。

 椅子に腰かけるや否や、電話が鳴った。

「小曽根さん、どこへ行ってたんだ。

 |稟議《りんぎ》が止まってるぞ」

 重要書類を入れる|篭《かご》に束ができていた。

「すみません、すぐに回します」

 左肩に受話器を挟み、電話口の|苛立《いらだ》った声に謝る。

 右手で象牙認印を摘まみ上げ、朱肉へ押し付けるとデスクに並べた書類に叩きつけるように押していく。

「部長、取引先からの郵便です」

 個人名が入った郵便は、自分で開けるしかない。

 近頃は電子化が進んだおかげで減ったとは言え、紙の方が丁寧だと思い込んでいる|輩《やから》は多い。

 表題だけ読んで中身を推測して、不要ならすぐに段ボール箱へ投げ込む。

 書類の山がデスクから消える日など永遠に来ないだろう。

 少なくとも自分が生きている間は ───

 人がひっきりなしに出入りし、走り回る部下たちが他人ごとのようにぼんやりと見えた|刹那《せつな》、人生が|走馬灯《そうまとう》のように脳裏をよぎった。

 仕事に打ち込んでいれば、ひととき忘れられるのだが集中力が切れると首筋にひやりと|憂鬱《ゆううつ》が降りてくる。

 何度も歯を食いしばって自分を奮い立たせてきたが、重くなった胃がキリキリと痛みだすとどうにもならなくなる。

 呻き声を上げる小曽根を、何人かの部下が認め休憩室へ運び込んだ。

 

 灰色のデスクの上にパソコンが一つ。

 壁にはスチールの小さな本棚があり、窓を半分ほど|遮《さえぎ》り昼間でも薄暗い。

 物理学だの、数学だのといった難しい本が床に無造作に積み重ねられていた。

「先生、|礒見《いそみ》 先生」

 入口のドアを開けた男が、モニタを食い入るように凝視する女を呼んだ。

 だが、声が聞き取れなかったのかキーボードをシャカシャカと打つ音がまた響く。

 仕方がないので部屋に入った男は、女の前に|掌《てのひら》を差し出して|遮《さえぎ》った。

 ギロリと|睨《にら》む女の形相に、思わずたじろいだ男が、

「先生が悪いのですよ。

 さっきからお呼びしているのに、答えていただけないから」

「で、何か用か。

 私が暇そうに見えるのか。

 無駄にする時間など一分たりとも持ち合わせていない」

「今度の学会はいかがなさいますか」

「お前が行って適当に発表してこい」

 ふんと鼻を鳴らしてモニタに視線を戻した。

「一度くらい顔を出してください。

 僕が怒られてしまいます」

「お前の仕事だ。

 私はとにかく行かない」

 男が缶コーヒーを書類の隙間に置くと、|傍《かたわ》らのスツールに腰かけた。

 深く息を吸い、ため息を一つ吐くと床に落ちる窓の光に視線を落とした。

「太陽の公転速度と、星の動きを比べるとどちらが速いと思う」

 |礒見《いそみ》 かおりは、無駄な脂肪の一切を削ぎ落したような|尖《とが》った顎をしゃくり、窓を指した。

 男は|逡巡《しゅんじゅん》した。

 彼女の問いには、いつも深い意図がある。

 床に映った四角い光は、ほとんど分からないほどゆっくり動いているはずだ。

 印をつけて、30分ほど経ってからもう一度見ると動きを認知できるだろう。

「太陽の方が速いのではないでしょうか」

 迷いながらも言い切った男に、ふんと鼻を鳴らして彼女が言った。

「答えは、どちらも動いていない、だ。

 一般相対性理論も知らないのか」

 

 体調を崩した小曽根を、部下が車に乗せて走らせた。

「病院へ行った方が良いのではありませんか。

 顔色が悪いですよ」

 激務に追われる銀行員は、車くらいにしか金をかける物がない。

 レクサスの後部座席でぐったりとする彼は、|呆《ほう》けたように外を眺めていた。

「思えば、仕事しかしてこなかったな。

 俺の人生は何だったのだろう ───」

 モニタに映し出された後部の画像が、後ろへと流れていく。

 アラウンドビューに切り替えると、車を上から見下ろしたような映像になる。

 どんな仕組みなのだろう、と改めて考えるが素人には分からない。

 コンピュータが生活のあらゆる場面に組み込まれ、ブラックボックス化していく現代においても、人生の価値は自分で探さなくてはならない。

 分からない物に囲まれて、目先の仕事に追われる人生だった。

 不意に無力感が心を支配し始める。

「もう、疲れたな」

「ご自宅でゆっくり休んでください」

 引っ越したばかりのシェアハウスの玄関まで、肩を貸してくれた部下に礼を言い、リビングの椅子に腰かけた。

 ふう、と息をつきコップ一杯の水を飲む。

 体調は日を追うごとに悪くなっていく。

 自分には仕事しかない。

 ネガティブな意味だけではない。

 人生に何も残らないわけではない。

 数えきれないほどの企業を|破綻《はたん》に追い込んだが、救った企業もまた数えきれない。

 星の数ほどの人と知り合い、別れてきた。

 まだ陽は高いが、夜空の星が天井の向こうに見える気がした。

 何とか身を起こし、着替えると|据《す》え付けたばかりのベッドに入り目を閉じた。

 隣りの部屋で、時々物音がした。

 日中も部屋に|籠《こも》って仕事をしている人たちがいる。

 自分にも孤独を選ぶ機会が、人生のどこかであっただろうか。

 つい弱気が顔を|覗《のぞ》かせ、|自嘲《じちょう》に口元が|歪《ゆが》む。

 そうだ、俺には銀行以外に道はなかった。

 

 街の喧騒の中に身を置くと、歩いているだけで大量の情報を得られる。

 カフェでパソコンに向かい創作に|耽《ふけ》る時間を愛し、行き詰るとまた歩く。

 そんな生活も近頃はルーティーンワークになっていた。

 エッセイを書くために調べ物をしていたとき、ふと目に留まった言葉が「シェアハウス」だった。

「なるほど。

 特定の人を観察して理解するには、一緒に住むのが一番か ───」

 |顎《あご》を右手の甲に乗せ、テーブルに|肘《ひじ》を突いたポーズで、|唸《うな》りながら|瞑目《めいもく》した。

 早速、駅に向かって歩いて行くと不動産屋が何件か目についた。

 間取り図が、所狭しと貼りだされている中に、シェアハウスを扱う業者を見つけるまでに、そう時間はかからなかった。

「小説を書いているのですが、良い物件を探しに来ました」

 店員はカウンター越しにこちらをジロジロと値踏みするように凝視する。

「それでは、静かなお部屋がよろしいですかね」

 などと言うが、小説家だから静かに仕事をしたいと決めつけるのもどうかと思う。

「違います。

 シェアハウスに興味がありまして」

 少しずり落ちた眼鏡を指で押し上げ、|額《ひたい》に|皺《しわ》をよせた店員が、

「ご予算はいくらくらいですか」

 と金の話に切り替えた。

 シェアハウスをする客は、金がなくて仕方なく選択することが多いのだろう。

 その事情は分かるが、創作に活かすためなどと本当のことでも言って得はないだろう。

 貧乏をごまかして、きれいごとを言っているようにしか聞こえない。

「はあ、5万円くらいで狭い部屋でもあればと ───」

 と言うと、いくつか見つくろってきてくれた。

 間取り図を見て、目に留まった物件があった。

「これは ───」

 廊下があって、部屋が分断されている。

 ある程度の静寂があって、共同スペースでたまに人と顔を合わせる感じだろうか。

「ちょっと、注文がつく物件なのですよ」

 店員は顔を|顰《しか》め、髪を掻き上げた。

「病気の方が入居されまして ───」

 深刻な状況らしいのだが、異変があったらすぐに通報してくれる人がいた方が安心だ、という主旨のことを言われた。

「お家賃は、勉強させていただきますので日中一緒にいてくださるだけでも。

 もしよろしければですが」

 壁のチラシに視線を移し、しばし|逡巡《しゅんじゅん》した。

 そして軽く|膝《ひざ》を打った。

 

 夕飯時になっても、2人の住人は姿を現さない。

 白い壁紙が室内を明るく感じさせるリビングには、テーブルとイス、電子レンジと最低限の皿、洗い物を入れる|篭《かご》があるくらいである。

 共用だから、趣向のないこざっぱりした家具と調理器具のみである。

 冷蔵庫は自由に使って良いが、できるだけ名前を書くように言われている。

 調味料は供託金から買うシステムである。

 持ち込んだミキサーの|蓋《ふた》を開け、米とグラノーラを入れるとボタンを押した。

 甲高い機械音がすると、あっという間にベージュ色のドロッとした液体に変わる。

 消化器が弱っているので、固形物は受け付けなくなった。

「あと3か月。

 持っても半年の命です」

 医者の言葉は非情である。

 そして正しい。

 肌の|艶《つや》がすっかりなくなって、|萎《しな》びた指先を伸ばすと、マグカップを|茶箪笥《ちゃだんす》から取り出した。

 仕事中は気を張っていられるが、独りになると身体の力が抜けてしまう。

 思えばずっと気を張って生きてきた。

 金を扱う仕事は、人の裏切りを扱う仕事でもある。

 |欺《あざむ》き、頼られてまた裏切る。

 こうして脱力しているときには、自分に正直でいられる。

 人生とは、皮肉なものである。

 自分自身の存在が、頼りなく揺らぎ始めたときに気づいた。

 肩の力を抜いてもいいのだと。

「小曽根さん、ですよね」

 不意に背後から声をかけられた。

 30代と思われる男は、気さくな笑みを浮かべて向かい側に腰かけた。

「身体のお加減はいかがですか。

 事情を知っていて越してきたのですから、気兼ねなく何でも言ってください」

 男は名刺を差し出した。

 「作家 |津福 健一朗《つぶく けんいちろう》」とあった。

「ちょっと待ってください。

 福津さんって小説家の ───」

「ご存じですか。

 あまり有名ではありませんけどね」

 目を丸くして、小曽根は彼の顔を凝視した。

 テレビでも何度か見た顔だった。

 

 小説家の津福と、小曽根の仕事や生い立ちなど込み入った話をした後、

「では、お体に障りますから」

 と話を切り上げて行った。

 家族のことを、生活から切り離そうとして引っ越しを決断した。

 病気を患ってからも、特に何も変わらなかった。

 生活のすべてを仕事中心にしてきた自分が、見返りを求めていたわけではないが結局家族に何かを期待していたのかも知れない。

 その時、スマホが振動した。

「父さん、大変だ」

 上ずった声で、通話口からいきなり訴えた。

「会社の金を使い込んだのがバレたんだ。

 このままじゃあ、俺クビになっちまうよ」

 裏返った声だった。

「|真志《しんじ》か、今どこにいる」

 テーブルに片手を突いて身を起こした。

 スピーカーから車の音や人の話し声が聞こえる。

 外からなのだろう。

「このままじゃ、俺警察に捕まっちゃうよ」

「どうすればいい」

「今すぐ500万用意できれば、何とかなるかも知れない」

 口座をメモに書き、

「ここへ振り込めば何とかなるのか。

 父さんの|伝手《つて》で話してやろうか」

 答えはなかった。

「ちょっと待った」

 スマホをひったくると同時に、

「お前は誰だ、こちらからかけ直すから一旦切るぞ」

 荒っぽく怒鳴りつけ、通話を切ってしまった。

 口を半開きにした小曽根は、その女の横顔を|呆然《ぼうぜん》と見つめた。

「あの、あなたは誰ですか」

 蚊の鳴くような声しか出なかったから、聞こえなかったのか女は無言でスマホを突き返した。

 鼻をふんと鳴らし、

「ほら、息子さんにかけ直してみなさい。

 こんなの常識だろうが」

 最後は𠮟りつけるように声を荒げた。

 息子は、きょとんとして父親の身体のことを聞いてきた。

 |勿論《もちろん》金を使い込んだなど、心当たりがないようだった。

 

「私は|礒見《いそみ》 かおりだ。

 夜遅くに大声を出されては迷惑だから様子を見に来たら、このザマだ」

 頬骨の影がくっきりと見える、やせ細った輪郭は病人とそう変わらない。

 ギョロリとした目を小刻みに動かし、決して目を合わせようとはしない。

「えっ、失礼ですが礒見さんはあの、|癌《がん》の特効薬を開発したとニュースに出ていた ───」

 眉間の縦じわを深くして、テーブルの中心を|睨《にら》みながら言った。

「新聞か。

 テキトーなことを言うな。

 分子標的薬及び遺伝子組み換え技術を発展させた新薬を開発しているだけだ」

 床を小刻みに踏みつけ、くるりと背を向けると廊下に出ようとした。

「見たところ、末期癌のようだな。

 余命3か月というところか。

 医者も|匙《さじ》を投げるだろう」

 小曽根の顔に影が差した。

 ピタリと足を止めた彼女は、天井に視線を向けて言った。

「明日、一緒に研究室へ来い。

 新薬の実験台にしてやる」

 燃えるような目をして、威圧感を残し部屋へと戻って行った。

「いやあ、何事だい」

 入れ違いに、津福が向かいの椅子に腰かけた。

 こちらも不健康な顔をしている。

 髪はボサボサ、目の下に少しクマができている。

「へえ、新薬のねえ ───」

 夜は部屋に籠っている彼女のことを、津福もあまり知らなかったようだ。

「息子さんは、何をしているんですか」

 相変わらず、他人のことをあれこれ知りたがる彼は質問を続けた。

「商社に勤めていまして、私に金をせびるようなことはないのです。

 礒見さんに言われるまで、|詐欺《さぎ》に気づかなかった自分が恥ずかしい」

 頭を|掻《か》いた小曽根は、キッチンでコップに水をくんで一口含んだ。

「なぜ、家族と離れて暮らすのですか ───」

 静かに尋ねた。

「最期くらい、自分と向き合いたいと思ったのです」

 

 銀行の舞台裏は、毎日が戦いである。

 稟議に上がる書類の裏側に、家族を抱えた男たちの姿がちらつく。

 常務になった小曽根の顔には、|沢山《たくさん》の苦悩が刻まれている。

 最近は、ベンチャー与信判断が増えてきた。

 DX化の波は、農業のような第一次産業にこそ色濃く表れ大規模化している。

 個人でやっていても、それだけで食っていけるわけではない。

 だから土地を手放し、格安で買い集めた者が企業して最新の農機に投資するのである。

 銀行内では、丁寧に調査を重ねて審査をする小曽根の評価が上がっていた。

「常務、またご自分で調査に出られるのですか」

 稟議にまとめた仕事を、一から調べ直さないと気が済まない彼に、部下は渋い顔をする。

 笑って|誤魔化《ごまか》しながら、公用車を自分で運転して出かけていくのだった。

 

「礒見さん、お陰様でこうやって人生の続編を楽しむことができました。

 本当にありがとうございます」

 深々と腰を折って礼を言う小曽根に、彼女は|一瞥《いちべつ》くれるだけで、ふんと鼻を鳴らして背を向けた。

「すっかり顔色が良くなって、|憑《つ》き物がとれたようですよ」

 津福が屈託なく笑った。

「新しいビジネスと向き合うようにしたら、銀行の仕事も面白く思えてきたのですよ。

 命に|執着《しゅうちゃく》がなくなったら、生き方の間違いに気づきました」

 荷物をまとめた小曽根は、シェアハウスを後にして出て行った。

 ベッドの他は、ほとんど家具らしいものもなかった。

 |瞑目《めいもく》して、大きく息を吐いた津福は、

「新薬開発、という仕事は人の役に立つ、やりがいのある仕事ですね」

 廊下ですれ違おうとした礒見に言った。

 彼女は、またふんと鼻を鳴らした。

「人の役に立とうが立つまいが、私には関係ない ───」

 パタパタと細かいスリッパの音が、奥の部屋へと消えて行った。

「さてと、僕も|閑《しずか》に仕事をするとしますか ───」

 津福の部屋には、ノートパソコンのキーボードを叩く音だけが響いていた。

 時折手を止め、唸ってはまた打ち込む。

 一定のリズムで心臓が脈打つように、新たな世界が紡ぎ出されていった。

 

 

この物語はフィクションです

【プロット】黒い闇夜

漆黒の闇に包まれた深夜の住宅街。

街灯の光も届かない一角に、ひっそりと佇む黒い家。

その家の前には、黒塗りの車が一台。

車から降り立ったのは、黒いスーツに身を包んだ男。

顔には深い影が落ち、表情を読み取ることはできない。

男は音もなく黒い家へと歩を進める。

木製の巨大な扉の|蝶番《ちょうつがい》が|軋《きし》む音と共に玄関が姿を現していく。

男は黒い靴で静かに踏み入った。

家の中は、月の光だけが差し込み薄暗かった。

壁には得体の知れない絵画が飾られ、重苦しい空気が漂う。

男は黒い革張りのソファで足を組み、深く息を吐いた。

彼の名は黒崎玲司。

「黒の死神」と呼ばれる凄腕の殺し屋である。

玲司は、依頼人の情報が書かれた黒い封筒を開封する。

今回のターゲットは、この黒い家に住む男。

裏社会の大物で、数々の悪事を働いてきた男だ。

玲司は立ち上がり、黒い手袋をはめた。

そして、音もなく廊下を進んでいく。

彼の立ち姿は、まるで闇に溶け込むかのようだった。

ターゲットの部屋の前で、立ち止まった。

そして、ドアノブに手をかけた。

次の瞬間、部屋の明かりが点き、銃口をはっきりと視界に捉えた。

ターゲットはベッドの横に立ち、口角をわずかに上げた。

「よく来たな、黒の死神。

殺しに来たんだろう」

玲司は、ターゲットを見据えた。

「ああ、そうだ。

お前を地獄へ送ってやろう」

二つの黒い影が、静寂の中で対峙した。

皮膚が渇き、神経が張りつめる。

銃声が鳴り響いた。

呻き声とともに、棒のように床に倒れた男は、それきり動かなくなった。

黒い夏は、まだ始まったばかりだった。

【プロット】森の旅人

薄暗い路地裏。

ネオンの光が乱反射する雑居ビルの前で、黒衣の男は煙草を燻らせていた。

彼の名は黒木蓮

裏社会では名の知れた探偵だ。

常に冷静沈着だが、何を考えているのか分からない。

「黒木さん、またこんなところで何してるんですか?」

聞き慣れた声が背後から聞こえた。

振り向くと、石田剛刑事が立っていた。

苛立った顔で、黒木を見据えている。

「石田刑事、こんばんは。

 ちょっとした調査ですよ」

黒木は煙草を地面に落とし、踏み消した。

「また裏社会の仕事か?

 俺にも教えろよ」

石田は前のめりに言ったが、黒木は首を横に振った。

「今回は、関係のない事件だ。

 危険な橋を渡る必要はありません」

石田の眉尻がピクリと動き、頬が引きつった。

「よお、勿体つけるなよ」

挑戦的な態度で食い下がるが、黒木は表情を変えず、ただ静かに見返すだけだった。

黒木は、とある資産家の失踪事件の調査を依頼されていた。

行方不明になったのは、財界の大物、山岡龍之介。

事件性はないと判断した警察は捜査をしなかった。

だが山岡の家族は何かを隠しているように感じ、黒木に調査を依頼したのだ。

黒木は、山岡の自宅を調査し、書斎で奇妙な紋章を発見する。

それは、古代の魔術書に記されていた、異世界への扉を開くための鍵だった。

まさか、山岡は異世界に迷い込んでしまったのか。

黒木は、半信半疑ながらも、紋章を手に取り、書斎の壁に手を触れた。

すると、壁が溶けるように消え、眩い光に包まれた。

気がつくと、見たこともない場所に立っていた。

そこは、緑豊かな森が広がり、空には二つの月が浮かんでいる。

まるで、ファンタジーの世界に迷い込んだようだった。

森を彷徨い、そこで出会った妖精から、山岡が魔王に捕らえられたことを知る。

魔王は、山岡の持つ莫大な富と権力を利用し、この世界を支配しようと企んでいたのだ。

黒木は、妖精の協力を得て、魔王の城へと向かう。

城内には、様々な罠や魔物が待ち受けていたが、それらを突破していく。

そして、ついに、魔王との対決を迎える。

魔王は、強力な魔法を操り、黒木を追い詰めた。

しかし、黒木は、持ち前の洞察力と推理力で、魔王の魔法の弱点を見抜き、見事に打ち破る。

そして、山岡を救出し、共に元の世界へと戻った。

事件解決後、黒木は石田に、今回の奇妙な事件について報告する。

石田は目を丸くして驚くが、黒木の話を信じ、共に異世界への扉を封印した。

【プロット】赤の光と黒の影 1

うだるような暑さが続く2050年の夏。

東京の街は熱気に包まれ、人々はどこか浮き足立っていた。

木蓮は、冷房の効いた事務所で、窓の外を眺めていた。

黒ずくめのスーツに身を包んだ彼は、一応探偵だった。

「また面倒な事件になりそうだ」

手元の資料に目を通しながら呟いた。

それは、都内にある巨大複合施設「クロノスタワー」で起きた不可解な連続失踪事件に関するものだった。

クロノスタワーは、オフィス、商業施設、ホテル、そして高級マンションが一体となった巨大な建物だ。

東京の新たなランドマークとして人気のスポットである。

しかし、その華やかなイメージとは裏腹に、最近では不穏な噂が流れていた。

「黒木、今回の事件、何か裏がありそうだな」

事務所のドアが開き、石田剛が入ってきた。

彼は、黒木とは旧知の仲だが、正反対の熱血漢の刑事だった。

「ああ、石田。君もそう思うか?」

黒木は、石田に資料を手渡した。石田は、資料に目を通しながら、眉間に皺を寄せた。

「連続失踪事件…しかも、被害者は全員、クロノスタワーの関係者。

ただの偶然とは思えないぜ」

「俺もそう考えている。何か大きな力が働いているような気がする ───」

黒木は、窓の外に目をやった。

夕日に照らされ真っ赤に色づいたクロノスタワーは、血のような影を落としていた。

そして二人は、クロノスタワーへと向かう。

その施設は、まるで巨大な迷宮のように入り組んでいた。

黒木は注意深く観察して、手がかりを探していく。

石田は持ち前の行動力で、関係者への聞き込みを進めた。

調査を進めるうちに二人は、クロノスタワーの裏にある闇に気づき始める。

黒木と石田は、想像を絶する陰謀を暴き、事件の真相を明らかにしていく。

しかし、彼らの行く手には、様々な罠が待ち受けていた。

【小説】色をつけ事を触れる

病弱で高校を休みがちだった北迫は、死に物狂いで勉強して志望校合格を果たす。大学に入ってからも、命を削るように勉強を続けて司法試験合格を果たした。だが余命宣告を受け、病床で人生を振り返る。そんなとき「来世からのメッセージ」に出逢った。

 

 

 白い壁に黄色い光が差し込み、窓際に暖かい柔らかな空気を感じる午後、退屈しのぎに分政経の参考書についていたCDを流し、聞きながら天井の模様をぼんやりと眺めていた。

 眠気を感じ始めると、教室の光景が|瞼《まぶた》に浮かぶ。

 医者が言うには「水頭症」という病気らしく、脳にたまった水を抜くために入院したのだった。

 頭に管を挿して機械につないでいるわけだが、もう慣れてしまって恐怖は感じなかった。

 病院特有の、消毒液と尿が混ざったような微かなにおいが漂い、早く出たいと初日には思ったのだが頭に巻いた包帯の間から管を出している自分が、|滑稽《こっけい》に見えて諦めの境地に至った。

 一番外側の個室の壁に頭を向けて寝かされて、足の向こうに広い空間があり、窓までかなりの距離がある。

 外からの太陽光が床に反射して柔らかいグレーに部屋を染める。

 眠気に誘われ、首から横に顔を倒したとき人の気配がした。

 入口のドアは引き戸になっていて、手をかけるとガタンと音を立てる。

 そしてぴょこんと顔を覗かせた。

「|勝川《かつかわ》、起きてる」

 ブレザーのままで、カバンを後ろ手に持ったままだから学校帰りなのだろう。

 同じ高校に通う|矢澤 里夏《やざわ りか》だった。

 ひざ下まで長いスカートの下に、きちんとそろえた足元が見える。

 長い髪は、少し乱れているが艶やかだった。

「退屈でしょう。

 一緒にいてあげるから、感謝しなよ」

 こうやって、学校帰りにやって来てはパイプ椅子に座って静かにこちらを見ているのである。

 日本史CDをまた聞き始めると、矢澤はカバンから参考書を出して読み始めた。

 しばらく本に視線を落としていたが、一息ついた心地でテーブルの上にプリントをきちんと広げた。

「読んであげるね」

 柔らかく、ハスキーな声で宿題や家庭連絡の内容を読み上げ、また参考書を手に取った。

 心がゆっくりほぐされていく。

 内容よりも、彼女の声を今日も聞けた。

 その事実が、命を確かめる作業のように感じられた。

 

 身体の調子は完全ではないが、退院許可が出たので久しぶりに自転車のペダルを踏む。

 入院するたびに体力を削られ、ふらつきが出るが|唇《くちびる》を|噛《か》みしめて道路を|睨《にら》む。

 進学校に通う勝川は|焦《あせ》っていた。

 高校は病気を理解して、進級させてくれるがその先は自分の力で切り拓かなくてはならない。

 見渡す限りの田んぼをまっすぐに貫く道を|辿《たど》り、ペダルを踏む足に力を込めた。

 教室に入ると、頭に包帯を巻いているせいか皆の視線が集まった。

「身体は大丈夫か」

「困ったことがあったら言ってくれ」

 などと暖かい言葉を次々にかけてくれた。

 病室でずっと独りだったので、人恋しさはあった。

 だが矢澤が来てくれたお陰で、学校のことは大体わかっている。

「ちょっと水抜いただけさ。

 もう元気だよ」

 カラカラと大口を開けて笑った。

 授業は、分からない部分もあったが、大学入試へ向けて勉強していれば何とかなる。

 参考書を開いて読みながら授業を受けている生徒が多いため、焦りは徐々に消えていった。

 包帯が取れると、まるごと剃っていた頭に|産毛《うぶげ》が生え始めていた。

 周りを見れば、ワックスで固めたり軽くウエーブさせたりと、おしゃれをする男子が多いのだが、かなり浮いた存在になってしまう。

 肌は真っ白になり、身体はぽっちゃりとして少し腹が出た。

 運動不足が|祟《たた》ったのだ。

 暖かい陽に当たりながら、ぼんやり中庭を眺めていると、

「よお、それじゃあマリモみたいだな。

 もう少し伸ばせばウニになるか」

 ブレザーを着崩して、学年色の黄色いネクタイをだらしなく首から下げた北迫が、口の片端を上げて笑いながら近づいてきた。

「ははは、違いないな」

 恵比須様のように目尻を垂らして肩をすくめた。

「ねえ、北迫。

 デリカシーないこと言わないで」

「なんで。

 じゃあ、励ませばいいのか」

 近くにいた女子に責められた彼は、鼻を鳴らして勝川の肩を軽く小突いた。

「この程度で|挫《くじ》けたりしないだろう」

 と言いながら、メモ用紙にペンで何か描いているようだった。

 

 所狭しと机を並べ、脇のフックにカバンをかけていると人が通る隙間などほとんどない。

 教室は、人の熱気でまとわりつくような空気が満ちていた。

 少々息苦しさを感じながら、勉強が特に遅れている英語の参考書を広げる。

 前の席の奴が大柄なので、机の上が教員からは見えない。

 きっと居眠りしても分からないだろう。

 足を組み換え、首を|捻《ひね》り文字を頭に叩き込んでいると、頬が紅潮し気が遠くなりそうになる。

 人間が一日に覚えられる量には限りがあるのだろうか。

 何分おきかに繰り返すと良いとか、覚えたページを食べると定着するとか、妙な論理を実践する同級生もいるが、結局のところ一秒でも長く参考書を読めば良いだけだ。

 ふと北迫に視線を向けると、またメモ用紙に何かを書いている。

 鋭く光る両眼が見開かれ、何度も何かを見ては視線を落とす。

 熱中しているのは間違いない。

 だが、何に ───

 自分と同じように、勉強を頑張っているのかも知れない。

 北迫には、他の友人にはない覇気を感じていた。

 懸命に何かを|掴《つか》もうと努力する顔だった。

「北迫くんって、デリカシーないよね。

 病気なのに、マリモだとかウニだとか平気で勝川くんに言うでしょ」

 周りの雑音に混ざって、女子のヒソヒソ声が聞こえてくる。

 男子の間でも、北迫に対する風当たりが強くなっていた。

 いつも自分の|殻《から》に閉じこもって、一心不乱に何かをしている。

 そのくせ、他人に手厳しい。

 黒板に北迫の似顔絵を描いて、ウジだのハエだのを描き足す者が出てきた。

 すると、

「おっ、誰が描いたんだ。

 なかなか上手じゃないか」

 自分がいじられているのに、絵の出来栄えだけを彼は見ていた。

 そんなある日、矢澤と大学受験の話題になって、

「T大を受けようと思う」

 最難関の大学名を挙げた。

「そう  ───」

 驚きもせず、いつものように参考書に視線を落とした。

 

 3年生になると、受験一色に染まる。

 電車で1時間ほどかけて大手予備校に通うようになると、休み時間にもほとんど遊ばずに勉強三昧だった。

 英語の勉強をして、仕事に就きたいとか、法律の勉強をするとか、薬剤師とか具体的な目標をだれもが掲げて努力していた。

 勝川自身は、経済学部に照準を合わせていた。

「将来は経営者か商社マンあたりか」

 北迫だった。

 彼は他人を励ましたりは絶対にしない。

 いつも冷笑的な表情を浮かべて、社会を斜めに見ているようだった。

「なあ、お前はいつもなにを見ているんだ」

 いつも筆ペンを片手に何かを書いている。

 聞いてもまともに答えないし、見せてくれない。

 だが、

「いつも人間を見ている。

 この世で一番興味深いものを見つけるために ───」

 シニカルな笑みを消した北迫の横顔には、鬼のような怒りさえ感じた。

 他人を寄せ付けない|強靭《きょうじん》な|煌《きら》めきを目に|湛《たた》え、虚空を睨みつけた。

「いつも、絵を描いているのか」

「わからない。

 何を描いているのか、自分でもわからない」

 それ以上は聞かず、また参考書を読み始めた。

 もうすぐ再入院することになっている。

 勉強も大変だが、体調は良くなかった。

「俺は、絵がヘタクソだ。

 だから描くんだ」

 北迫とは、妙な会話をしてからあまり話さなくなった。

 強い意志が、彼の身体からほとばしるのを感じ、背中からは威圧感を周囲に残していった。

 変わり者扱いされていた彼が、誰も寄せ付けないムードで駆け抜けていく。

 お互い一分一秒さえ惜しい生活に、どっぷり浸かっていった。

 

 8年の歳月が流れた。

 ビジネス関連の専門学校を卒業した北迫は、趣味で続けていたスケッチを飾り個展を開いた。

 デパートの最上階にあるギャラリーを借りて、仕事は休暇を取って念願を叶えたのだった。

 季節の草花に愛情をこめて観察して、丁寧な筆致で描いた作品が並んでいた。

 眩しいくらいのスポットライトを当てて木製の額に収めた作品は、生命力に満ちている。

 生まれ育った土地で、疎遠だった知人も訪れ花やお菓子を差し入れてくれたり、遠方からもチラシを見てやってくる人もいたりと驚きの連続である。

「良いものを見せてもらったよ。

 ありがとう」

 見ず知らずの人が目元を緩めて感謝の言葉を残していく。

 真心が伝わった、と思えた。

 客足が一段落して、暇を持て余し始めた頃懐かしい友人がやってきた。

「北迫、久しぶりだな。

 おまえ、凄いじゃないか」

 恵比須様のような笑顔を向けてきたのは、勝川だった。

「おお、ありがとうな」

 立ち上がって受け付けの前に出ると、高校時代と少しも変わらないように見えた。

 だがお互い、無駄口が減った気がして手持無沙汰になってしまうところに、年月を感じて戸惑っていると、

「芳名帳に名前を書いていいかな」

 テーブルの前に立った勝川はペンを差し出した。

「ちょっと ───

 手が不自由でね。

 代わりに」

 |怪我《けが》でもしたのかと思い、ペンを取った。

「ええと」

「おいおい、俺の下の名前忘れたのか。

 思い出せよ」

 語気が不自然に強くなった。

 彼もおかしなことを言ったと思ったのか、

「|勝川 真裕《かつかわ まさひろ》だ。

 真実の真と衣偏に谷」

 と教えてくれた。

 じっくりと一枚一枚見ながら、

「もしかして、画家になるのか」

 などと将来の話をした。

「俺は弁護士になるんだ。

 司法試験に合格した」

「へえ、凄いな。

 試験大変なんだろう」

 難関資格だと知ってはいたが、彼にとってどれ程重い報告だったか、その時は知る由もなかった ───

6

 

 北迫はワンルームマンションを借りて、職場近くに住居を構えていた。

 手狭な部屋にテーブルが一つあるだけで、洗濯機もユニットバスも、目の前にあるキッチンも充分な物件だった。

 滅多に人が訪ねてこないのだが、その日は夜遅くにドアホンが鳴った。

 少々迷惑だと思い、不機嫌な声を出すと、

「実はご友人のことで、お伝えすることがあります」

 きちんとスーツを着こなした男が深々と頭を下げて言った。

「友人の ───」

 なぜか勝川の顔が浮かんだ。

 ギャラリーを訪れた彼は、様子がおかしかった。

 別れ際に顔を伏せて、速足で逃げるように去って行ったからだ。

 呼び止めようとしたが、振り返らずに行ってしまった。

 スチールのドアが乾いた音を立て、チェーンが外れた。

 鍵を開けると、頭を下げたままで男が封筒を差し出した。

「こちらが、お預かりした手紙でございます」

 重ねられた名刺に「来世からのメッセージ メッセンジャー |継宮 来《つぐみや らい》」とあった。

「来世からのメッセージ ───」

 手紙の差出人は勝川だった。

「まさか」

 見開いた|双眸《そうぼう》を、継宮が上目づかいで見返す。

「ご想像の通りです。

 勝川様は、昨日お亡くなりになりました」

 腹の奥の臓物が、重くなって身体は宙に浮くような感覚に襲われた。

 つい1週間ほど前に言葉を交わしたばかりだった。

 彼は夢を語っていた。

 ようやく実を結んだ努力の果実を、これから享受しようとしていたはずだった。

 いや、そう思い込んでいた。

 彼は別れを言いに来たのだ。

 思い出してみれば、手には麻痺があったし歩き方もぎこちなかった。

 異変を認識していても「死」を想像していなかった。

「北迫様の個展を、とても楽しみにしておられたようです。

 想像していた通り、誠実な筆致に感動したとおっしゃいました。

 でもそれが ───」

 言い淀んだ継宮が視線で手紙を|促《うなが》した。

「私は、契約を|履行《りこう》したに過ぎません。

 ですが、|謹《つつし》んでご冥福をお祈りいたします」

 深々と腰まで頭を下げたまま、ドアが閉ざされた。

 静寂の中、階段に響く靴音が、次第に消えていった。

 

 就職祝いにと、両親から贈られた黒いダブルのスーツに袖を通し、黒い柄物ネクタイを締める。

 子ども時代には「死」を他人事だと思っていた。

 川で溺れたり、交通事故に遭ったり、病気だったりして亡くなった人の話は聞いたが、こんなに身近で起こり得るとは想像できなかった。

 内ポケットに香典を入れると、部屋を出た。

 |出不精《でぶしょう》な北迫にとって、友人に会いに出掛けることも珍しかった。

 マンションの階段は薄汚れていて、隅には黒ずんだ|埃《ほこり》がこびりついている。

 いつかホームセンターで買った|箒《ほうき》できれいにしよう、などと考えるうちに路地に出た。

 斎場までバイクを飛ばして、20分ほどで着く。

 勝川の交友関係は、意外と狭かった。

 高校の同級生が数人いる他は、親戚が多いようだ。

 建物に促されて、香典を渡すと控室で彼の思い出話などをした。

 テレビやゲームの話題などを、昔は笑いながら話したものだが互いの近況を淡々と話していると、職場での苦労がにじみ出る。

 心の|隙《すき》が少なくなって、からかう余裕もなくなった。

 だれもが自分の人生を、懸命に歩いているのだと改めて思い知らされた。

 そして、故人も ───

 まだ記憶に新しい勝川の顔は、安らかだった。

 ほとんど日焼けしていない肌。

 少し緩んだ口元。

 今にも目を開けて話かけてきそうだった。

 焼香の順番を待つときに、前列の席に矢澤の姿があった。

 ハンカチを顔に当てて|嗚咽《おえつ》を押さえてすすり泣いていた。

 俺が死んだら、こんな風に誰かが悲しんでくれるだろうか。

 人は、何に価値を見いだすのだろう。

 仕事をして、家事をして、自分のために絵を描いて、心のバランスを辛うじて保って生きている。

 そんな自分に、価値ある「死」が訪れるのだろうか。

 葬儀が終わり、お|斎《とき》の料理が振る舞われた。

「こんな事でもないと、集まらなくなっていくのかもな」

 仲間内の誰かが言った。

 歳をとるごとに、孤独が深く影を落とす。

 若くして死ねば、人生の春のままで時が止まる。

 そんなに簡単に割り切れるものではないだろうが。

 勝川は死を恐れていたはずだ。

 だから虚しい命を野望に焦がし、俺の心に焼き付けて逝ったのだ。

 

 天ぷらを突きながら、近況をお互いに話しだしたころ、

「北迫さんて、どの人だい」

 勝川を|縦《たて》に伸ばしたような顔をした兄がこちらを振り向いた。

「いやね、弟が『一番の友達だった』と言ってたんだよ。

 へえ、そうか。

 弟がお世話になりました」

 北迫を訪ねてすっ飛んで来たものの、何を言ったらいいのか分からなくなった、という|体《てい》だった。

「脳腫瘍でね。

 医者から余命宣告を受けていたんだ。

 最期の手術を受ける前に、身体が動くうちに素晴らしい絵を見られて良かった、と言っていたよ」

 などと言われたが「一番の友達」という部分が腑に落ちなかった。

 一緒に遊びに行ったこともないし、高校時代1年間同じクラスになっただけである。

 彼には悪いが、心当たりがないのだ。

 故人に対して、異を唱えるのも場違いだしその場を取り繕うように、

「亡くなる直前に書いた手紙を受け取りました」

 と言うと、内ポケットに忍ばせていた封筒を取り出した。

「これは貴重な遺品ですから、お持ちください。

 コピーを取ってあります」

 兄はその場で中身を取り出した。

「強く生きてくれ、と書いてありました。

 友達と言っても、馴れ合いのない間柄です。

 彼らしい言葉でした」

 胸にぎゅっと封筒を押し付けるようにした兄は、深々と頭を下げて立ち去った。

「しかし、司法試験受かったんだってな。

 凄いよなあ。

 闘病しながらだぞ」

 誰かが呟くように言った。

 本当に頭が下がる。

 死の床にあっても勉強しようとする、高潔な精神に。

 

 手紙には|差出人欄《さしだしにんらん》に「4月1日」と添えられていた。

 個展の最中に、偶然だが年度が変わっていた。

 そして「エイプリルフール」だった。

 意図的に選んだのだとしたら、未来への希望を語り、来世からの手紙を書くことが彼にとってのウソだったのだろうか。

 あまりにも剛直で、短い輝きが消える瞬間をウソだと言いたかったのだろうか。

 来世で彼は、夢を実現するという意味だろうか。

 短い手紙には、何も記されなかった。

 その日から、北迫は日曜画家としてさらに精力的に活動し始めた。

 目的などいらない。

 ウソでもいい。

 勝川の強さの半分でも、欲しいと願ったのだった。

 

 

この物語はフィクションです

【プロット】月の巫女リリア

美しい月の光が降り注ぐ幻想的な世界、エテルニア。

17歳の少女リリアは、透き通るような銀髪と、夜空を映したような深い青色の瞳を持つ、村一番の美少女だった。

心優しいリリアは、村人からも愛されていた。

しかし、平穏な日々は、突如として現れた「影」によって打ち砕かれる。影は、人々の感情を喰らい、世界を闇に染め上げていく恐ろしい存在だった。

村はパニックに陥り、人々は絶望に打ちひしがれる。

リリアは、村の愛する人々を守るため、立ち上がる。

彼女は、古の伝説に伝わる「月の巫女」の力を受け継いでいた。

そして影との戦いに身を投じる。

リリアは、旅の途中で様々な困難に直面する。

次々に襲い掛かる影の魔物。

立ちはだかる深い森や険しい山脈。

しかし、彼女は決して諦めなかった。

持ち前の勇気と優しさで、人々を励まし、希望の光を灯していく。

リリアは、謎多き剣士、レオンと出会う。

レオンは、冷静沈着で寡黙だが、内に熱い闘志を秘めた男だった。

二人は力を合わせ、影の魔物たちを打ち倒していく。

過酷な旅の中で、リリアとレオンは、互いに惹かれ合うようになる。

二人の間には、言葉にはできない深い絆が生まれていた。

しかし、影との戦いは激しさを増し、二人は過酷な運命に翻弄される。

ついに、リリアは、影の根城へとたどり着いた。

そこで待ち受けていたのは、強大な力を持つ影の王だった。

リリアは、最後の力を振り絞り、影の王との壮絶なバトルを繰り広げる。

死闘の末、リリアは、影の王を打ち倒す。

世界は光を取り戻し、人々は歓喜に沸く。

リリアは、村人たちに迎えられ、英雄として称えられたのだった。

戦いが終わり、リリアとレオンは、静かな湖畔で再会する。

二人は、互いの気持ちを確かめ合い、永遠の愛を誓う。

美しい月の光が、二人の未来を祝福するかのように降り注いでいた。

【プロット】大和撫子ネオンガーデス

ネオン煌めく電脳都市、MAKUHARI。

西暦2042年、千葉はサイバー技術の進化により急速に変貌を遂げていた。

人々は仮想現実と現実世界を自由に行き来し、生活はより刺激的になっていく。

裏では、謎のハッカー集団「ブラディコード」が暗躍していた。

彼らは高度なハッキング技術を駆使して、仮想空間を混乱させ、人々の生活を脅かしていた。

MAKUHARIには、一般人に紛れて平穏に暮らす少女たちがいた。

彼女たちは、昼間は普通の女子高生として生活しているが、夜になると、サイバースーツに身を包み、「大和撫子ネオンガーデス」として、ブラッディコードの悪事を阻止するために戦う正義の戦士なのだ。

リーダーの「ネオンレッド」こと、17歳の少女、桜井あかりは、明るくスポーツ万能で、どんな困難にも立ち向かう勇気を持っている。

彼女は、卓越した身体能力と格闘センスを活かし、敵をなぎ倒していく。

クールビューティーな「ネオンブルー」こと、16歳の少女、水無月みずきは、冷静沈着な判断力と、高度なハッキング技術を駆使して、敵のシステムを撹乱し、戦いを有利に進める。

そして、心優しい「ネオンイエロー」こと、15歳の少女、星野ひよりは、特殊な能力で仲間をサポートし、傷ついた人々を癒すことができた。

ブラッディコードは、MAKUHARIの電脳空間を支配し、人々を洗脳して思いのままに操ろうと企んでいた。

ネオンガーデスは、ブラッディコードの野望を打ち砕くため、日夜、激しい戦いを繰り広げていく。

ある日、ブラッディコードは、MAKUHARIの中枢システムをハッキングし、都市機能を麻痺させる大規模なサイバーテロを計画する。

ネオンガーデスは、この危機を阻止するため、ブラッディコードのアジトへと乗り込むのだった。

アジトは、電脳空間と現実空間が融合した複雑な迷宮と化していた。

ネオンガーデスは、それぞれの能力を駆使し、次々に襲いかかる敵を倒していく。

ついに、ブラッディコードのリーダーである謎の男、「シェードマスター」との対決を迎える。シェードマスターは、圧倒的なハッキング技術と、強力な電脳兵器を操り、ネオンガーデスを追い詰める。

しかし、ネオンガーデスは、諦めなかった。

あかりの勇気、みずきの知性、ひよりの優しさ。三人の力が一つになった時、奇跡が起こる。

ネオンガーデスは、シェードマスターの攻撃をかわし、反撃に転じる。

あかりは、華麗な格闘術でシェードマスターを翻弄し、みずきは、シェードマスターのシステムに侵入し、電脳兵器を無力化する。

そして、ひよりは、傷ついた仲間を癒し、力を与える。

ついに、ネオンガーデスは、シェードマスターを打ち破った。

MAKUHARIは、再び平和を取り戻し、人々は歓喜に沸くのだった。

しかし、ブラッディコードとの戦いは、まだ終わってはいなかった。

シェードマスターは、姿を消す直前に、不気味な言葉を残していた。

「これは、まだ始まりに過ぎない。我々は、必ず戻ってくる」

ネオンガーデスは、新たな脅威に備え、さらなる力を身につけることを決意する。

彼女たちは、厳しい訓練を重ね、より強力なサイバースーツを開発し、新たな仲間を迎え入れる。

そして、MAKUHARIの平和を守るために、新たな戦いに立ち向かうことを誓うのだった。

ネオンガーデスは、戦いの中で、互いの絆を深め、成長していく。

あかりは、リーダーとしての責任感と、仲間への思いやりを学び、みずきは、クールな仮面の下に隠された優しさを表に出すようになる。

ひよりは、自分の能力を信じ、ゆるぎない信念を持つようになる。

彼女たちは、日常生活でも、互いに支え合い、励まし合うようになる。

時には、恋の悩みを相談したり、一緒にショッピングを楽しんだり、普通の女の子としての一面も見せながら。

ネオンガーデスは、愛と友情の力で、どんな困難にも立ち向かい、未来を切り開いていく。

彼女たちの戦いは、これからも、MAKUHARIの夜空を彩り続けるだろう。

【小説】花影の星屑(かえいのほしくず)




巨大な自然石がそそり立つ、鏐(しろがね)ノ川巨石には、古い伝承が数多く存在する。超自然的な魔術を操る者、闘いに飢えた眼をギラつかせる者、虚ろな目で彷徨う者。それぞれが、伝承の桜を求めて毎年この地を訪れた。その桜は風景を透かす無色透明の花弁に光を湛(たた)え、この世のすべての理を司るとされる宝玉を産み出すのだった。それぞれの胸に抱いた思惑が交錯し、そして白銀の男が宝剣を携えて現れる ───

 

 

 まだ肌寒い朝の風を受けて、草の露が揺れる。

 獣道の草を踏みつぶしながら、キラキラ輝く白装束に身を包んだ男女が滑るように歩いて行く。

「宗次、桜はまだ咲いていないみたい」

 若い女の方が、こちらも若い男に向かって問う。

 互いに息を切らせもせず、かなりの速足で歩きながら視線を周囲に配りつつ話していた。

「|御霊《みたま》殺し・|辛一文字《しんいちもんじ》が鳴いている。

 開花は近いはずだ」

 ボソリと|呟《つぶや》くと、腰に携えた刀に手をやった。

 G県|白銀《しろがね》市。

 かつては|刀鍛冶《かたなかじ》の隠れ里として知られた土地柄か、今でも刀剣を携えた者が時折現れる。

 山深く、剣術の修行に適した静かな村に、様々な流派が伝えられていた。

「それで、|雛《ひな》は何を願うのだ」

「幼い頃の記憶を取り戻すの。

 幻術の理を手に入れる代わりに失った記憶を ───」

 白幻影術師・|雛罌粟《ひなげし》は、18歳になるまで毎日修行に明け暮れた。

 激しい稽古の最中に幻術が暴走し、自らの記憶を封印してしまったのだった。

 宗次はチラリと雛の横顔に目をやった。

「俺は、もっと強くなりたい。

 『桜の宝玉』などなくても、鍛えて鍛えて、鍛え抜く。

 だからお前が使えばいい」

「石だ」

 雛が鋭く叫んだ。

 |鏐ノ川《しろがねのがわ》巨石群に辿り着いたようだ。

 大小さまざまな自然石が積み重なり、奇妙なバランスで立ち並ぶ様子から、神の力が宿るとされていた。

 そして、桜の名所としても知られ、毎年数千本の桜が咲き乱れる。

 その中に、目当ての「透明な桜」があるはずである。

 ガラスのように透けた|花弁《はなびら》を開き、中心には世にも美しい宝玉を付けるとされている。

 毎年桜の季節に、何でも願いを叶えてくれる「桜の宝玉」を求めて人々が集うのである。

 

 桜のつぼみが膨らんだ頃、急に気温が下がり雨が降り続いた。

 冷たい雫が草花を容赦なく打ち、人を遠ざける。

 川は濁流と化し、土を削り石を押し流す。

 そして、今朝になると晴天に一変した。

「そろそろ探し始める頃合いだ」

 筋骨たくましくて大柄な男がポツリと言うと、|傍《かたわ》らの女が枯れ枝を一本拾い上げた。

「『透明な桜』の宝玉なんて、本当に信じてるの」

 口元を歪め、鼻で笑う。

 眉間に深い|縦皺《たてじわ》を刻み、苛立ちの色を現した男が言う。

「鉄の総大将・|月英《げつえい》様が|仰《おっしゃ》ったのだぞ。

 お前は興味ないのか」

 女が枝に目をやると、みるみるうちに|萌黄《もえぎ》色の芽を出し青々とした葉が伸びていく。

 そして枝の先端からさらに細枝を生やし、根元から太くなっていく。

 葉の間から、ポンと音を立てて次々に花が開いた。

「椿だったのね。

 私は嫌い。

 |蘇《よみがえ》った椿も、その伝説も。

 どちらも綺麗な話だけど、いかにも人間の欲望が作り出した創作でしょう」

 その椿が手元だけを残し、ぐにゃりと歪んだ。

 というよりも、粉々に砕けたのだ。

「音に聞く蘇生の魔法使い・|白光《しらみつ》と言えども、こう|隙《すき》だらけではな」

 片方の口角を上げ、首をかしげて見下ろした。

「はいはい。

 妖刀、|獅子咆《ししほう》の切れ味は素晴らしいわね。

 蒼白魔・|潮闇《しおやみ》さん」

「貴様」

 噛みしめた口元のから、ギリギリと不快な音を立て目を|尖《とが》らせる。

 白光は、のけ反るようにして抜けるような青空を見上げ、ふわりと跳ね上がった。

「剣士って、どうしてこう短気な奴ばっかりなのかしら。

 つい|揶揄《からか》いたくなっちゃうわ」

 桜の何本かが、急激にピンク色を濃くしていく。

 先端から白い花が次々に咲き始めた。

 

 宗次たちは巨石の間を|縫《ぬ》うように進む。

 キラキラ輝く火山岩や層を成す砂岩、泥岩など、まるで石の博物館のようである。

 どの石も人間など簡単に押しつぶすほどの大きさである。

 自然の|脅威《きょうい》を感じずにはいられない。

 その時、ピタリと足を止めた宗次が、

「記憶を取り戻したら、どうするつもりだ」

 と雛に疑問を投げつけた。

「何よ、急に」

 視線を周囲に油断なく巡らして、鯉口を切る。

「引き返すなら今のうちだ」

 入り組んだ迷路のような石の壁に|阻《はば》まれていた視界が開け、老人が姿を現した。

 口元を緩め、目を細めて笑っているように見えるが石の間をするすると滑らかにすり抜けて近づいてくる。

 草を踏んでいるはずなのに、音を立てず石の風景に|馴染《なじ》んでいた。

「お若いの、土地の者ではないな。

 |物騒《ぶっそう》な物を下げているところを見ると、桜が目当てだな」

 相変わらず目尻は垂れさがっている。

 だが徐々に殺気を|孕《はら》んで、どす黒いオーラを|纏《まと》い始めた。

「今年も桜を求めて、荒くれ者どもがやって来ている。

 血眼になって探しているようだが、果たして見つかるかな」

「あんたは何者だ。

 邪魔をするなら ───」

 刀の柄を手で制して、瞑目した雛は2人の間に割って入った。

「私は幻術師です。

 修行の途中で記憶を失い、進むべき方向を見失いました。

 だから、記憶を取り戻すために桜の宝玉を求めて来たのです」

 足元に集まった、小さな虫が雛の腹のあたりまで登っている。

 大きな顎を持ち、鍵爪を|皮膚《ひふ》に食い込ませ、血がにじむ。

「おい、雛」

 宗次の足にも虫が数匹よじ登っていた。

 足を振り上げるが、しがみついた虫はビクともしなかった。

「どうだ、噛みつき虫・|雷霊《らいれい》を引き|剥《は》がすのは容易ではあるまい。

 ワシは虫使い、|浅海《せんかい》長老こと、|笑果《しょうか》だ。

 虫は捕まえた|獲物《えもの》を、骨になるまで食いつくす」

「しまった」

 刀で虫を切り落とそうとするが、的が小さく身体に食い込んでいるから斬れない。

「弱いのう。

 その程度でこの地に来るなど笑止」

 笑果の術を前に、なすすべなく2人は地に倒れ、やがて動かなくなった。

 

 

 |鏐ノ川《しろがねのがわ》巨石群の前に、ほのかなピンク色の桜が今にも咲きそうな勢いで命を|漲《みなぎ》らせていた。

「花は|蕾《つぼみ》ね。

 完全な花とは、命をはじけさせる直前の桜 ───」

 足を止めポツリと|呟《つぶや》くと、足元に違和感を覚えた。

 小さな虫が足の肉に食い込み、血を|啜《すす》っているのに気づいた。

 彼女はぼんやりと眺め、草むらに腰を下ろすと後ろに両手をついて空を仰ぐ。

「ふむ。

 何か術を持っておるな」

 巨石の影からひょっこりと老人が姿を現した。

 目元に深い皺を刻み、にこやかに笑っている。

「あら、虫に|襲《おそ》われて、か弱い乙女が倒れているのに」

 距離を保ったまま、さらに続けた。

「虫に食いつかれて血を見ても、驚かないじゃろうが。

 可愛げがないのう」

「かわいそうな虫さんたち。

 一度死んでるわね」

 彼女がふっと息を吐くと、雷霊は次々に地面に落ち腹を見せてバタバタともがく。

 一匹ずつ摘まみ上げ、ひっくり返してやった。

「蘇生術か ───」

「安心して。

 私は戦闘力ゼロの平和主義者よ」

「というより|冷笑主義シニシズム》に見えるがのう」

 警戒を解いた笑果は、空を見上げた。

「桜など興味はない、という顔をしておる」

「老人って、人畜無害な顔をしながら近づいてくるのよね。

 まあ、荒っぽい剣士よりずっとマシね」

「蘇生術だけでは戦えぬ。

 ワシと一緒に来ぬか」

 頬の皺をつり上げ、虫袋を持ち上げてみせる。

「一緒にいれば落ち着いて花見ができそうね」

「そうじゃ」

 陽の光に背を向けた2人は、巨石群の中心へ向かって歩を進めた。

 

 岩陰に身を隠していた宗次は、大きく伸びをして両腕をグルグルと回して息をついた。

「雛、老人は行ってしまったようだぞ」

 無残に嚙みちぎられた木の枝を、雛はじっくり観察していた。

「死んで霊体と化した虫は、術者の魂の動きを感じ取って動いていたようね。

 嚙みつかれたら一切の攻撃を受け付けない厄介な相手だわ」

 足元に流れ落ちた血を指先で拭い、宗次はペロリと舐めた。

 幼い頃から木刀を振り続け、あらゆるものを斬る術を求めて様々な流派を学んできた。

 虫を操る術や、死者を使って攻撃してくる者も知っている。

 だが聞き知った術を遥かに超えた強さだった。

 宗次は桜を求めて集まってくる者の恐ろしさを垣間見た気がしたのだった。

「面白い」

 蕾の色を濃くした桜は、ちらほらと咲いている株もあるようだ。

 2人は先を急いだ。

 艶やかな岩が|眩《まばゆ》い陽の光を反射して、草花を鮮やかに照らしだす。

 背中をジリジリと熱くする太陽が空高くなると、景色の影が少なくなった。

「サク‥‥ラ ───」

 ボソボソと呟く声がする方を見ると、人影がゆらりと立っていた。

 雛は目を開き、奇妙な歩き方をする人間を凝視する。

 重心が大きく揺らぎ、足をもつれさせながらゆらゆらと、そして器用に低木を避けながらこちらには気づかぬ様子で歩いていた。

 敵かもしれない。

 直観的に何かを感じ取った2人は油断なく身構え、近づいていく。

 何か言っている。

 虚ろな目を泳がせ、断片的にしか聞き取れない小さな声で囁くように、

「古の‥‥幻術‥桜 ───」

 と言っているようだ。

「おい、透明な桜のことを知っているのか」

 幻術、と言っているようだ。

「雛、思い当たることはあるか」

 少しの間瞑目した雛が、

「宝玉の力を発動する幻術があるのかしら」

 と話しかけた。

「宝玉‥|幻《まぼろし》‥‥形‥ない ───」

 揺らぎをピタリと止めたと思うと、奇妙な言葉を投げかけ、また元のようにふらふらと歩いて行ってしまった。

 

 桜がちらほらと咲き始めた。

 というよりも巨石群の中心部に近づくにしたがって、咲いていくようだった。

 地面を激しく蹴りつけ、歯ぎしりをした潮闇が、白光の消えた方向へ向けて刀を振り下ろす。

 うなりを上げた衝撃波が岩を砕き、地響きとともに巨石を倒した。

 黄色い|土埃《つちぼこり》が広がり、桜が鈍く煙る。

「うつく‥‥しい‥‥桜 ───」

 不意に背後で声がしたかと思うと、潮闇の視界の端に|蓬髪《ほうはつ》のみすぼらしい女が現れた。

「なんだ、こいつは」

 虚ろな瞳を遥か前方へ向けたまま、ゆらゆらと歩いて行く。

「|汚《けが》す‥‥桜‥‥神の‥木 ───」

 ぶつぶつと独り言を残して、巨石群の中心部の方へと進む。

「薄気味悪い奴 ───」

 腰の刀に手をかけ、右足を前に摺り出した。

 ゆっくりと腰をかがめて前のめりになる。

 同時に半身を切って刀身を後ろへ隠した。

「俺は|獅子咆《ししほう》流激剣会皆伝の|潮闇《しおやみ》。

 

 妖刀・|獅子咆《ししほう》の切れ味を試してくれよう」

 周囲の空気が張りつめ、桜の枝から鳥が逃げて行く。

 風景が歪むほどの黒いオーラを放った身体が、抜く手も見せずに溜め込んだ力を解放する。

 耳をつんざく轟音と地響きが身体を揺する。

 三日月形の黒い軌跡がはっきり見えるほどの斬撃が巨石と桜を木っ端みじんにした。

 ふう、と息を吐き形ばかりの血振りをして、カチリと鞘に納めた。

 その時、足元に小さな虫がいくつか貼り付いていることに気がついた。

「むっ、気色悪い虫が ───」

 足を振り上げてもビクともしない。

 的が小さすぎて刀で斬ることもできない。

 舌打ちをして、手で叩き落とそうとするが摘まもうとした指がすり抜ける。

 しだいに鮮血が|滲《にじ》み始めた。

 

「やはり、潮闇の|仕業《しわざ》だったのね」

 双眸を細め、鋭い光を放つ白光が言った。

「お前、今までどこへ」

「お前などと言われる筋合いじゃないわ。

 いずれこうなる運命だったの」

 血を啜る音が高くなり、潮闇の顔が歪む。

「俺を|殺《と》ったつもりか」

 口角を上げ、不気味な薄笑いを浮かべた。

「術者もろとも吹っ飛ばしてやる」

 苦痛をものともせず、衝撃波を放つ態勢を取る。

 白光は逃げる素振りもなく、潮闇の足元を指さした。

「私が何者か、忘れているんじゃないの」

 吐いて捨てるように言うと、瞑目し空を仰ぐ。

 |両掌《りょうてのひら》を天に向かって返し、身体をさらに反らせていく。

 そして、掌を地に返すと同時に足元を睨みつける。

「汝よ、枯れることなかれ。

 命の息吹をもって、欲にまみれた|悪鬼羅刹《あっきらせつ》をその身に溶かし、土に還らせ|給《たま》え ───」

 閃光に包まれた身体を伝い、周囲に飛散した枯れ枝へと命の波動がほとばしる。

 みるみるうちに枝が芽吹き、太く長く、そして無数の枝が伸び潮闇の足の自由を奪った。

「くっ、お前がこんな術を ───」

 伸びていく枝が手の自由を奪い、刀を地に落とす。

「|穢《けが》れた血で桜を染めるのは不本意なれど‥‥せめて|御霊《みたま》を花とし神の懐へ迎え入れ給え ───」

 全身を木の一部にした潮闇が断末魔の叫びを上げた。

「南無 ───」

 合掌する白光の前で、ポンポンと高い音とともに蕾が開く。

 ひときわ大きな桜が満開の花煙りに霞んだ。

 岩陰から出てきた老人が、目尻を下げて掌を合わせた。

「これなら、ワシはいらなかったのう」

「こんな役に立たない|脳筋《のうきん》でも、桜の栄養にはできるのよ」

 薄く|嗤《わら》う彼女の眼の端に、刃物のような|煌《きら》めきを見た笑果は、底知れぬ恐怖に身震いしたのだった。

 

 巨石群の中心部は、開けた野原があり今が盛りと透き通るような桜色の世界が広がっていた。

 限りなく純粋なその色は、魂を清め訪れる者の心を捉えた。

「この風景を見ているだけで、来てよかったと思えないか ───」

 傍らの石に腰かけた宗次は、足を投げ出し目を細めた。

「花は人の心を|慰《なぐさ》めるわね」

 そこへ、ふらふらと髪を振り乱した女がゆっくりと近づいてきた。

「桜‥‥の‥命を‥光に変えて‥‥幻の‥宝玉が花開く ───」

「|徘徊教徒《はいかいきょうと》・|夢壺《ゆめつぼ》が出るとは。

 いよいよ宝玉への扉が開かれる時かのう」

 背後にちんまりと立った老人が、ポツリと言った。

 虫の攻撃を仕掛けてきた老人だと気づいていたが、殺気はまるで感じなかった。

「徘徊教とは ───」

 肩をすくめ、カラカラと笑った老人は、

「ワシも良く知らん。

 この地の伝承だ」

 野原には色とりどりの花が咲き乱れていた。

 老人とともにやってきた女がちらりと視線を落とすと、野花の根元に落ちていた枯れ枝がみるみる伸びていく。

「さっきは、してやられたが白幻影術師の力が必要だ」

 ニヤリと口角を上げた笑果は、雛を前へと促した。

「我らの心を浄化した|無垢《むく》なる|幻桜《げんおう》よ、透明な|夢郷《むきょう》への扉を紡ぎ出せ。

 |現世《うつしょ》を超え、心に満ちる美しき理想郷を彩れ ───」

 瞑目して両掌を天へと伸ばし、太陽の光を受けて輝く白装束が、次第に光を帯びていく。

 宗次も目を閉じ、脱力して澄んでいく空気に意識を集中した。

 桜吹雪が舞い上がり、風を巻き一筋の花の道を作り出した。

「これが、透明な桜への道 ───」

 目を閉じたまま、雛と白光が吸い込まれていく。

 宗次が|纏《まと》った白装束が、桜の花びらと化してほぐれていく。

 手も足も、身体全体が透明な粒に変わり空高く舞い上がる。

 そして、虚空へと溶けていった。

 

 誰もいない、透明な地に意識だけが舞い降りた。

 空に澄み切った宇宙が広がり、地の底には命の波動が満ちている。

 無数の|星屑《ほしくず》が辺りを照らし、ガラスの木々が|朧《おぼろ》げに立つ。

 4つの霊魂がゆらゆらと歩を進めると、透明な花を|霞《かすみ》のように広げた桜に至った。

 それは、注意して見ないと分からないほど|微《かす》かな存在だった。

 キラキラと輝く花弁が、まるでシャボン玉のように揺れ落ちるさまは花の涙とでも言うべきだろうか。

 生まれてこのかた、物事に感動などしたことがない宗次でさえ|頬《ほお》を涙が伝った。

 顔の表情は消え、完全なる安息が心を満たした。

「宗次、あなたと出会ってから、私は透明な桜を求めて生きることができたの。

 感謝しているわ」

 煌めく|双眸《そうぼう》を薄く開き、両手を広げた|雛罌粟《ひなげし》は、暗い宇宙に身体を預けた。

「蘇生術なんて、みんなに馬鹿にされる能力だったけど、桜とは抜群に相性が良かったわね。

 ここまで来られて、私は充分に幸せだわ」

 名前の通り命を紡ぐ白い光を全身から放つ彼女は、澄んだ瞳をさらに透明にして桜を眺めていた。

「ワシは、地に|這《は》いつくばって虫とともに生きてきた。

 だが、良い|冥途《めいど》の|土産《みやげ》ができたのう」

 美しい ───

 |只々《ただただ》見とれてしまう。

 完全なる輝きとは、物質的な存在さえも超え心を直接、浄化していく。

 争いに明け暮れた人間たちを、|無窮《むきゅう》の空へと誘い、光に包む。

 宗次はふと、|抜刀神威《ばっとうしんい》流剣術の|理《ことわり》を思い出していた。

 |佩刀《はいとう》した|御霊《みたま》殺し・|辛一文字《しんいちもんじ》は、霊体をも断つとされている。

 持つ者を黄泉へと導き、現世を浄化するためにあると伝えられていた。

「ならば、俺は ───」

 すでにこの世の者ではないのかも知れない。

 いや、剣士になったときから命など剣の一部になっていたのであろう。

10

 

「宗次は、これからどこへ行くの」

 ピンクの桜が咲き乱れる巨石群は、4人の肩に花弁の吹雪を積もらせた。

 腰に|佩《は》いた辛一文字に手をやると、遥か彼方の山影に視線を向けた。

「行くさ。

 どこまでも ───」

「これで、失った記憶を取り戻せるのう」

「そうね。

 幻術がなければ、桜の宝玉は手に入らなかったのだから、好きにしていいわ」

 だが、|掌《てのひら》に握り込んでいた宝玉を、宗次へ差し出した雛が言った。

「いつか、旅の途中でこれを必要としている人に出逢うわ。

 だから、あなたが持って行って」

 宝玉を辛一文字に近づけると、吸い込まれて光の粒と化した。

 御霊を斬るとされる刀は、宝玉の力によって桜の花びらを舞いあげ、風を起こして去っていった。

 

 

この物語はフィクションです