どうしても忘れられない あのときの「豆まき」

受験生だったとき、豆まきの後試験本番を迎えました。

予備校に詰めていたたくさんの受験生が、少しずつ豆まきをしました。

みな憔悴していて、自分も疲れていましたが目だけは爛々と煌めいていました。

極限状態で撒いた豆。

なぜかパックされていて、あとで回収していました。

豆をまくことに、意味がありました。

受験に苦労したので、何でもすがりたい気分で豆を力いっぱい投げました。

豆まきをしても落ちて、2浪しても落ちて、仮面浪人しも第一志望は叶わず。

そんなことを思い出してしまいます。、

 

今週のお題「マメ」

穏やかで熱容量が高い人

 「熱容量」とは「物体」の温度を変化させるために必要な熱量のことです。

 「物質」については「比熱」といいます。

 熱しやすく冷めやすい場合には低いことになります。

 水は比熱が高いので、たくさんの物質を含んだ海水も熱容量が高いです。

 だから、冷却に用いられるわけです。

 熱しにくく冷めにくい人は、海水のように熱容量が高いと言えそうです。

 人間の場合は、

「落ち着いたい人」

「泰然自若とした人」

「達観して動じない人」

「穏やかな人」

 と言われます。

 反面、エネルギーを溜め込んでいるので、一旦熱くなったら凄そうです。

 物語のキャスティングを考えるときに、熱の移動を考えるようにして性格を設定します。

 一人の熱量を考えると、他が決まって全体のバランスを取っていく感じです。

作品をパクられると嬉しかった

 自分の作品を真似されたら、嬉しかったです。

 絵を真似されることはしょっちゅうあります。

「おお。真似しようとしてるけど、ちょっと違うんだなあ」

 とか一人で講評してます。

 もちろん非公開。

 そんなひと時が楽しいのです。

 現代アートもやっていたので、その当時の作品を真似をして成功している人もいました。

「おお。でも、違うなあ」

 とかまた講評します。

 なんでか、自分は嫌悪感を抱かないです。

 文章は、真似されるでしょうか。

 まだ心当たりがありません。

 ちょっぴり寂しいです。

春になったらやりたいこと

今週のお題「あったかくなったら」

 さらに寒くなった今日この頃。

 しんしんと足元が冷え、外を歩くと冷気が肌にまとわりつきます。

 春になったら、何をしますか。

 私は思い切り運動したいです。

 子育てをしていると、なかなか時間が取れないですが、外を走って公園で運動することが望みです。

 たまに時間ができると執筆するようになってから、運動から遠のいています。

 家でできる体操やストレッチなどはしてますけど。

 独身のときは、遠くの河川敷まで走って遥か彼方まで続く景色を見てストレス解消してました。

 たまには広い空を眺めて、自分の身の丈を知ることも必要です。

 運動して身体を鍛えたところで、大きな大地と空に比べれば、たいしたことはないと思えます。

青春って、すごく密なので

 甲子園で初優勝した仙台育英の監督の名台詞です。

 強い言葉だな、と思いました。

 青春を思い出すだけで、胸が熱くなるものです。

 何十年経っても、色鮮やかに思い出すことができます。

 時代が変わり、根性で何かを成し遂げることが減った気がしますが、青春を思い出させてくれます。

 青春小説を書いていると、イメージが心に染み込んできて若返る気がします。

 小説家を志したきっかけは、自分の体験を元に青春小説を書いたからです。

 クリエイターであり続けるには、心に青春が必要ですから。

 残りの人生を考えれば、少しでも密にしたいと思います。

 青春真っただ中の高校生は、挑戦を続けてほしいと思います。

子どもの頃「猫じゃらし」を猫に向けたことがある

 野草のイヌフグリを「猫じゃらし」とも言います。

 子どもの頃、猫じゃらしを猫に向けたことがあります。

 ゆらゆらと動かしても、興味を示さなかったので、猫がじゃれつきそうなイメージの形をしているのだと思いました。

 猫は動く物を追いかける習性があります。

 犬も動く物を追いかけるし、人間も追いかけます。

 眼の前でゆらゆらと大きな物体が動けば、手で払い除けるのは自然な行動です。

 じゃれつくと言うと、楽しく遊んでいるイメージがあります。

 猫が毛糸玉を転がしている様子が微笑ましいので、猫じゃらしにも同じようなイメージを持ってしまいます。

 小学生の時通学路にたくさん雑草が生えていて、歩きながら猫じゃらしの穂をもぎ取っていました。

 短くて硬い毛がたくさん生えているので、手の中で揉むと移動して出てきます。

 猫じゃらしの茎は硬くて結構丈夫なので、豚の鼻を掃除したりもしました。

 豚は鼻にあまり神経がないのか、猫じゃらしの茎を入れても抵抗せず懐いてきたように見えました。

自由奔放に振る舞うとは

 自由に振る舞うためには、ある程度の制約が必要です。

 近代社会のキーワードである「自由」は、制約から開放されることを意味します。

 でも、自由と放任は違うと言われます。

 意思決定を自由にできることが肝心なので、その道筋をイメージして予測を立てるのです。

 例えば、選ぶ対象が複数なければ選択の自由を実現できません。

 日本国憲法職業選択の自由が最たる例です。

 仕事を自由に選べたのは、子どものうちだけだと思います。

 社会人になれば、ライフスタイルや人生観が明確になるので、必然的に選択肢は狭まります。

 また経験を活かす仕事を選ぶようになるためでもあります。

 虚構の物語の中では自由奔放に振る舞うことができます。

 現実にはない現象を起こすこともできるし、過去や未来を描くこともできます。

何がどうなっているのか、わからないが勝ってしまう

 うまくいくときには、論理を超えて勝ってしまいます。

 努力を積み重ねて、一枚一枚紙を重ねるように作り上げた技術も知識もほとんど役に立たなかったかのように。

 そして勝ち始めると良い方向に連鎖が始まります。

「持つ者は与えられる」

 と言うように、実績が勝利を呼びさらなる高みへと押し上げていきます。

「どうやったら成功するのか教えてほしい」

 と言われても月並みな常識しか語れません。

 自分でも認識の|埒外《らちがい》にあるからです。

 感覚で認識しているので、擬音語擬態語で表現した方が近いのかもしれません。

 濡れ手で|粟《あわ》をすくうように、思いのままに勝ち続けるときには、何が起こったのかわからずに勝ってしまいます。

創造がクリエイターを作る

 クリエイターになるためには、まず作ってみることです。

 作品を作る側になると、見方が変わります。

 場面や登場人物を自分だったらどうするか考えるようになるのです。

 そして、ストーリーの要素が記憶に残っていきます。

 見て、聞いて、読んだ情報に自分自身のアウトプットが影響を受けていきます。

 流行りの作品が、なぜ好まれるのかを分析し、試行錯誤が始まります。

 思った通りに作りだすのは難しい、と気づきます。

 難しいから、やってみたくなります。

 創造的に発想する限り、いくらでも変化し続け理想を追うことになります。

 流行りの作品に寄せてみたり、自分の道を追及したり。

 満足する作品が書けても、読んでもらえなかったり。

 そんな日々が心を満たしてくれます。

昔不評だったカヌレが復活 売り切れ続出ローソン「濃密カヌレ」

 感染症により、自宅での「プチ贅沢需要」が高まりました。

 また午後のティータイムを楽しむ「ヌン活」も盛り上がりを見せています。

 カヌレは2000年直前に流行った後、最近になってブームの兆しがあります。

 ローソンの「濃密カヌレ」は売り切れになるほどの人気です。

 カヌレとは、フランスのボルドー地方の焼き菓子です。

 外側がカリカリで、中はもっちり。

 カスタードクリームや生クリームなどが添えられます。

 ローソンの濃密カヌレラム酒の香りがほのかに漂う風味が人気の秘訣だとか。

 外観はかぼちゃのような縦のラインが特徴的です。

 無人コンビニの実験店舗である、「グリーンローソン」でも目玉商品の一つになっているそうです。

 物価高で油や調味料が高騰しています。

 コンビニ業界にも、少し割高でも売れる商品を開発する動きが出てきました。

できていますか 適切な評価

 創作を評価するときに何を基準にするのでしょうか。

 人の心を打つ作品でなくてはいけませんが、評価できるのか。

 感動は主観的なビジョンがもたらします。

 だからといって、状況を説明せずに想像してもらうだけでは散漫です。

 作家としての成長を認識するには、適切な評価が不可欠です。

 適切に評価するために、評価基準を明確化する必要があります。

 私の場合、当面の基準は文字数と作品数です。

 内容を問う段階まで達していないと感じているからです。

 内容を適切に判断する目がないと言っても差し支えありません。

 だから、今はスポーツで言えば基礎体力を地道に養っています。

 作家として仕事をしていくためには、継続して大量に書く能力こそが大事になります。

 自分を作家へと近づける適切な評価基準です。

 そして、書くことで比較対象が増え、適切な評価をする眼力が養われると考えます。

外国人でも幼児でもできる神経衰弱

 トランプに熱中する子どもたち。

 最初にやるのは神経衰弱が多いです。

 同じ数字を探す、シンプルなルールですが盛り上がります。

 幼児でも、数字を認識することさえできればゲームに参加できます。

 子どもはすぐに勝負どころを掴んで、できるようになっていきます。

 神経衰弱をやっていると、大人も子どもも対等に戦えるので面白いです。

 また言葉が通じない外国人同士でもできます。

 勝負にかける執念が出たりと、お互いに性格を知りわかり合うためにゲーム性は重要です。

 記憶力は、年齢と共に落ちるとか、大人が優れているとか、そんなことはないと実感できるゲームです。

 物覚えが悪いのではなく、集中しないから覚えないのです。

 幼児にいろいろ指摘されたり、勝ち負けを超えた振る舞いを教えたりと奥深さも感じました。

 ゲームの中で、感情を処理する方法、相手を尊重する気持ちも教えられます。

 言葉で諭すよりも効果的です。

世の中にお返しする

 創作をして表現していると「何を込めるか」を考えます。

 私小説であっても、場面を選んで抜き出すのですから意図があります。

 世の中の人たちに何を伝えたいかが、表現の質に直結すると思います。

 その何かは、具体的であればあるほど伝わりやすくなります。

 考えすぎて焦点がぼやけてしまうと、何も伝わりません。

 人生を振り返ると、たくさんの人に支えられてきました。

 対立した人も、重要な示唆を与えてくれる存在です。

 クリエイティブに創作していると、膨大な熱量が必要になります。

 創造の源は、ポジティブな思考ばかりではありません。

 もしかすると、真剣に向き合うからこそぶつかるのかもしれません。

 だから、ときどき周りに目を向けて、お返しをすることも大事です。

 ただ単に贈り物をするとか、奉仕するのではなく自分の役割を果たすのです。

ブレイクスルーを起こすか 量子コンピュータ

 電子などを構成する素粒子の働きで計算するコンピュータです。

 計算速度が桁違いに速くなると期待されています。

 一説には「パスワード」を一瞬で暴くとか、新薬開発が飛躍的に速くなると言われています。

 現状では用途が限定的で、実用的ではありません。

 ほんの一瞬しか量子コンピュータを維持できないので、たくさん繋いで連続で起動して用いた実験がニュースになりました。

 従来の速度の1億倍とも言われる結果が、大々的に報道されたのです。

 ただし、実際にはそこまで早く計算したわけではなく、実験結果の捉え方次第だとされています。

 量子コンピュータは「ゲート」というプログラム言語のようなものの命令で動きます。

 興味深い点は、100%の正解が出ないところです。

 非常に早く処理する代わりに、○○%の確率で△という解である、という具合なのです。

 コンピュータは正しい答えを出してくれる、というイメージが覆されました。

 間違いが起こるかもしれないので、計算をいくつも組み合わせて正解率を上げる必要があります。

 まるで、人間の仕事のようです。

 ミスをなくすために、何度も確認するようなものでしょうか。

半径5メートルから始める

 身近なところから変えていくと、世の中が変わっていくという考え方をすれば自分のためにもなると思います。

 「一隅を照らす、これすなわち国宝なり」という最澄の言葉は、帝王学でも取り上げられています。

 そこまで|大袈裟《おおげさ》でなくても、まず自分ができることをすると自分の考えも変わっていきます。

 例えば感染症対策を一人一人が徹底すると国全体の利益になる、という具合です。

 日本人は、真面目にマスクをして消毒、手洗いを徹底しています。

 身近な取り組みをすることで、大きな動きになるのです。

 ちょっと宗教的な感じもしますけど、本質的な精神論だと思います。

 一人一人が自分事として取り組み、何とかしようとするエネルギーが蓄積して国全体を良くしていくイメージを感じる言葉です。