魔法のクリエイターと言われる理由、お教えします

人は知る。人は感じる。創作で。

【小説】花影の星屑(かえいのほしくず)




巨大な自然石がそそり立つ、鏐(しろがね)ノ川巨石には、古い伝承が数多く存在する。超自然的な魔術を操る者、闘いに飢えた眼をギラつかせる者、虚ろな目で彷徨う者。それぞれが、伝承の桜を求めて毎年この地を訪れた。その桜は風景を透かす無色透明の花弁に光を湛(たた)え、この世のすべての理を司るとされる宝玉を産み出すのだった。それぞれの胸に抱いた思惑が交錯し、そして白銀の男が宝剣を携えて現れる ───

 

 

 まだ肌寒い朝の風を受けて、草の露が揺れる。

 獣道の草を踏みつぶしながら、キラキラ輝く白装束に身を包んだ男女が滑るように歩いて行く。

「宗次、桜はまだ咲いていないみたい」

 若い女の方が、こちらも若い男に向かって問う。

 互いに息を切らせもせず、かなりの速足で歩きながら視線を周囲に配りつつ話していた。

「|御霊《みたま》殺し・|辛一文字《しんいちもんじ》が鳴いている。

 開花は近いはずだ」

 ボソリと|呟《つぶや》くと、腰に携えた刀に手をやった。

 G県|白銀《しろがね》市。

 かつては|刀鍛冶《かたなかじ》の隠れ里として知られた土地柄か、今でも刀剣を携えた者が時折現れる。

 山深く、剣術の修行に適した静かな村に、様々な流派が伝えられていた。

「それで、|雛《ひな》は何を願うのだ」

「幼い頃の記憶を取り戻すの。

 幻術の理を手に入れる代わりに失った記憶を ───」

 白幻影術師・|雛罌粟《ひなげし》は、18歳になるまで毎日修行に明け暮れた。

 激しい稽古の最中に幻術が暴走し、自らの記憶を封印してしまったのだった。

 宗次はチラリと雛の横顔に目をやった。

「俺は、もっと強くなりたい。

 『桜の宝玉』などなくても、鍛えて鍛えて、鍛え抜く。

 だからお前が使えばいい」

「石だ」

 雛が鋭く叫んだ。

 |鏐ノ川《しろがねのがわ》巨石群に辿り着いたようだ。

 大小さまざまな自然石が積み重なり、奇妙なバランスで立ち並ぶ様子から、神の力が宿るとされていた。

 そして、桜の名所としても知られ、毎年数千本の桜が咲き乱れる。

 その中に、目当ての「透明な桜」があるはずである。

 ガラスのように透けた|花弁《はなびら》を開き、中心には世にも美しい宝玉を付けるとされている。

 毎年桜の季節に、何でも願いを叶えてくれる「桜の宝玉」を求めて人々が集うのである。

 

 桜のつぼみが膨らんだ頃、急に気温が下がり雨が降り続いた。

 冷たい雫が草花を容赦なく打ち、人を遠ざける。

 川は濁流と化し、土を削り石を押し流す。

 そして、今朝になると晴天に一変した。

「そろそろ探し始める頃合いだ」

 筋骨たくましくて大柄な男がポツリと言うと、|傍《かたわ》らの女が枯れ枝を一本拾い上げた。

「『透明な桜』の宝玉なんて、本当に信じてるの」

 口元を歪め、鼻で笑う。

 眉間に深い|縦皺《たてじわ》を刻み、苛立ちの色を現した男が言う。

「鉄の総大将・|月英《げつえい》様が|仰《おっしゃ》ったのだぞ。

 お前は興味ないのか」

 女が枝に目をやると、みるみるうちに|萌黄《もえぎ》色の芽を出し青々とした葉が伸びていく。

 そして枝の先端からさらに細枝を生やし、根元から太くなっていく。

 葉の間から、ポンと音を立てて次々に花が開いた。

「椿だったのね。

 私は嫌い。

 |蘇《よみがえ》った椿も、その伝説も。

 どちらも綺麗な話だけど、いかにも人間の欲望が作り出した創作でしょう」

 その椿が手元だけを残し、ぐにゃりと歪んだ。

 というよりも、粉々に砕けたのだ。

「音に聞く蘇生の魔法使い・|白光《しらみつ》と言えども、こう|隙《すき》だらけではな」

 片方の口角を上げ、首をかしげて見下ろした。

「はいはい。

 妖刀、|獅子咆《ししほう》の切れ味は素晴らしいわね。

 蒼白魔・|潮闇《しおやみ》さん」

「貴様」

 噛みしめた口元のから、ギリギリと不快な音を立て目を|尖《とが》らせる。

 白光は、のけ反るようにして抜けるような青空を見上げ、ふわりと跳ね上がった。

「剣士って、どうしてこう短気な奴ばっかりなのかしら。

 つい|揶揄《からか》いたくなっちゃうわ」

 桜の何本かが、急激にピンク色を濃くしていく。

 先端から白い花が次々に咲き始めた。

 

 宗次たちは巨石の間を|縫《ぬ》うように進む。

 キラキラ輝く火山岩や層を成す砂岩、泥岩など、まるで石の博物館のようである。

 どの石も人間など簡単に押しつぶすほどの大きさである。

 自然の|脅威《きょうい》を感じずにはいられない。

 その時、ピタリと足を止めた宗次が、

「記憶を取り戻したら、どうするつもりだ」

 と雛に疑問を投げつけた。

「何よ、急に」

 視線を周囲に油断なく巡らして、鯉口を切る。

「引き返すなら今のうちだ」

 入り組んだ迷路のような石の壁に|阻《はば》まれていた視界が開け、老人が姿を現した。

 口元を緩め、目を細めて笑っているように見えるが石の間をするすると滑らかにすり抜けて近づいてくる。

 草を踏んでいるはずなのに、音を立てず石の風景に|馴染《なじ》んでいた。

「お若いの、土地の者ではないな。

 |物騒《ぶっそう》な物を下げているところを見ると、桜が目当てだな」

 相変わらず目尻は垂れさがっている。

 だが徐々に殺気を|孕《はら》んで、どす黒いオーラを|纏《まと》い始めた。

「今年も桜を求めて、荒くれ者どもがやって来ている。

 血眼になって探しているようだが、果たして見つかるかな」

「あんたは何者だ。

 邪魔をするなら ───」

 刀の柄を手で制して、瞑目した雛は2人の間に割って入った。

「私は幻術師です。

 修行の途中で記憶を失い、進むべき方向を見失いました。

 だから、記憶を取り戻すために桜の宝玉を求めて来たのです」

 足元に集まった、小さな虫が雛の腹のあたりまで登っている。

 大きな顎を持ち、鍵爪を|皮膚《ひふ》に食い込ませ、血がにじむ。

「おい、雛」

 宗次の足にも虫が数匹よじ登っていた。

 足を振り上げるが、しがみついた虫はビクともしなかった。

「どうだ、噛みつき虫・|雷霊《らいれい》を引き|剥《は》がすのは容易ではあるまい。

 ワシは虫使い、|浅海《せんかい》長老こと、|笑果《しょうか》だ。

 虫は捕まえた|獲物《えもの》を、骨になるまで食いつくす」

「しまった」

 刀で虫を切り落とそうとするが、的が小さく身体に食い込んでいるから斬れない。

「弱いのう。

 その程度でこの地に来るなど笑止」

 笑果の術を前に、なすすべなく2人は地に倒れ、やがて動かなくなった。

 

 

 |鏐ノ川《しろがねのがわ》巨石群の前に、ほのかなピンク色の桜が今にも咲きそうな勢いで命を|漲《みなぎ》らせていた。

「花は|蕾《つぼみ》ね。

 完全な花とは、命をはじけさせる直前の桜 ───」

 足を止めポツリと|呟《つぶや》くと、足元に違和感を覚えた。

 小さな虫が足の肉に食い込み、血を|啜《すす》っているのに気づいた。

 彼女はぼんやりと眺め、草むらに腰を下ろすと後ろに両手をついて空を仰ぐ。

「ふむ。

 何か術を持っておるな」

 巨石の影からひょっこりと老人が姿を現した。

 目元に深い皺を刻み、にこやかに笑っている。

「あら、虫に|襲《おそ》われて、か弱い乙女が倒れているのに」

 距離を保ったまま、さらに続けた。

「虫に食いつかれて血を見ても、驚かないじゃろうが。

 可愛げがないのう」

「かわいそうな虫さんたち。

 一度死んでるわね」

 彼女がふっと息を吐くと、雷霊は次々に地面に落ち腹を見せてバタバタともがく。

 一匹ずつ摘まみ上げ、ひっくり返してやった。

「蘇生術か ───」

「安心して。

 私は戦闘力ゼロの平和主義者よ」

「というより|冷笑主義シニシズム》に見えるがのう」

 警戒を解いた笑果は、空を見上げた。

「桜など興味はない、という顔をしておる」

「老人って、人畜無害な顔をしながら近づいてくるのよね。

 まあ、荒っぽい剣士よりずっとマシね」

「蘇生術だけでは戦えぬ。

 ワシと一緒に来ぬか」

 頬の皺をつり上げ、虫袋を持ち上げてみせる。

「一緒にいれば落ち着いて花見ができそうね」

「そうじゃ」

 陽の光に背を向けた2人は、巨石群の中心へ向かって歩を進めた。

 

 岩陰に身を隠していた宗次は、大きく伸びをして両腕をグルグルと回して息をついた。

「雛、老人は行ってしまったようだぞ」

 無残に嚙みちぎられた木の枝を、雛はじっくり観察していた。

「死んで霊体と化した虫は、術者の魂の動きを感じ取って動いていたようね。

 嚙みつかれたら一切の攻撃を受け付けない厄介な相手だわ」

 足元に流れ落ちた血を指先で拭い、宗次はペロリと舐めた。

 幼い頃から木刀を振り続け、あらゆるものを斬る術を求めて様々な流派を学んできた。

 虫を操る術や、死者を使って攻撃してくる者も知っている。

 だが聞き知った術を遥かに超えた強さだった。

 宗次は桜を求めて集まってくる者の恐ろしさを垣間見た気がしたのだった。

「面白い」

 蕾の色を濃くした桜は、ちらほらと咲いている株もあるようだ。

 2人は先を急いだ。

 艶やかな岩が|眩《まばゆ》い陽の光を反射して、草花を鮮やかに照らしだす。

 背中をジリジリと熱くする太陽が空高くなると、景色の影が少なくなった。

「サク‥‥ラ ───」

 ボソボソと呟く声がする方を見ると、人影がゆらりと立っていた。

 雛は目を開き、奇妙な歩き方をする人間を凝視する。

 重心が大きく揺らぎ、足をもつれさせながらゆらゆらと、そして器用に低木を避けながらこちらには気づかぬ様子で歩いていた。

 敵かもしれない。

 直観的に何かを感じ取った2人は油断なく身構え、近づいていく。

 何か言っている。

 虚ろな目を泳がせ、断片的にしか聞き取れない小さな声で囁くように、

「古の‥‥幻術‥桜 ───」

 と言っているようだ。

「おい、透明な桜のことを知っているのか」

 幻術、と言っているようだ。

「雛、思い当たることはあるか」

 少しの間瞑目した雛が、

「宝玉の力を発動する幻術があるのかしら」

 と話しかけた。

「宝玉‥|幻《まぼろし》‥‥形‥ない ───」

 揺らぎをピタリと止めたと思うと、奇妙な言葉を投げかけ、また元のようにふらふらと歩いて行ってしまった。

 

 桜がちらほらと咲き始めた。

 というよりも巨石群の中心部に近づくにしたがって、咲いていくようだった。

 地面を激しく蹴りつけ、歯ぎしりをした潮闇が、白光の消えた方向へ向けて刀を振り下ろす。

 うなりを上げた衝撃波が岩を砕き、地響きとともに巨石を倒した。

 黄色い|土埃《つちぼこり》が広がり、桜が鈍く煙る。

「うつく‥‥しい‥‥桜 ───」

 不意に背後で声がしたかと思うと、潮闇の視界の端に|蓬髪《ほうはつ》のみすぼらしい女が現れた。

「なんだ、こいつは」

 虚ろな瞳を遥か前方へ向けたまま、ゆらゆらと歩いて行く。

「|汚《けが》す‥‥桜‥‥神の‥木 ───」

 ぶつぶつと独り言を残して、巨石群の中心部の方へと進む。

「薄気味悪い奴 ───」

 腰の刀に手をかけ、右足を前に摺り出した。

 ゆっくりと腰をかがめて前のめりになる。

 同時に半身を切って刀身を後ろへ隠した。

「俺は|獅子咆《ししほう》流激剣会皆伝の|潮闇《しおやみ》。

 

 妖刀・|獅子咆《ししほう》の切れ味を試してくれよう」

 周囲の空気が張りつめ、桜の枝から鳥が逃げて行く。

 風景が歪むほどの黒いオーラを放った身体が、抜く手も見せずに溜め込んだ力を解放する。

 耳をつんざく轟音と地響きが身体を揺する。

 三日月形の黒い軌跡がはっきり見えるほどの斬撃が巨石と桜を木っ端みじんにした。

 ふう、と息を吐き形ばかりの血振りをして、カチリと鞘に納めた。

 その時、足元に小さな虫がいくつか貼り付いていることに気がついた。

「むっ、気色悪い虫が ───」

 足を振り上げてもビクともしない。

 的が小さすぎて刀で斬ることもできない。

 舌打ちをして、手で叩き落とそうとするが摘まもうとした指がすり抜ける。

 しだいに鮮血が|滲《にじ》み始めた。

 

「やはり、潮闇の|仕業《しわざ》だったのね」

 双眸を細め、鋭い光を放つ白光が言った。

「お前、今までどこへ」

「お前などと言われる筋合いじゃないわ。

 いずれこうなる運命だったの」

 血を啜る音が高くなり、潮闇の顔が歪む。

「俺を|殺《と》ったつもりか」

 口角を上げ、不気味な薄笑いを浮かべた。

「術者もろとも吹っ飛ばしてやる」

 苦痛をものともせず、衝撃波を放つ態勢を取る。

 白光は逃げる素振りもなく、潮闇の足元を指さした。

「私が何者か、忘れているんじゃないの」

 吐いて捨てるように言うと、瞑目し空を仰ぐ。

 |両掌《りょうてのひら》を天に向かって返し、身体をさらに反らせていく。

 そして、掌を地に返すと同時に足元を睨みつける。

「汝よ、枯れることなかれ。

 命の息吹をもって、欲にまみれた|悪鬼羅刹《あっきらせつ》をその身に溶かし、土に還らせ|給《たま》え ───」

 閃光に包まれた身体を伝い、周囲に飛散した枯れ枝へと命の波動がほとばしる。

 みるみるうちに枝が芽吹き、太く長く、そして無数の枝が伸び潮闇の足の自由を奪った。

「くっ、お前がこんな術を ───」

 伸びていく枝が手の自由を奪い、刀を地に落とす。

「|穢《けが》れた血で桜を染めるのは不本意なれど‥‥せめて|御霊《みたま》を花とし神の懐へ迎え入れ給え ───」

 全身を木の一部にした潮闇が断末魔の叫びを上げた。

「南無 ───」

 合掌する白光の前で、ポンポンと高い音とともに蕾が開く。

 ひときわ大きな桜が満開の花煙りに霞んだ。

 岩陰から出てきた老人が、目尻を下げて掌を合わせた。

「これなら、ワシはいらなかったのう」

「こんな役に立たない|脳筋《のうきん》でも、桜の栄養にはできるのよ」

 薄く|嗤《わら》う彼女の眼の端に、刃物のような|煌《きら》めきを見た笑果は、底知れぬ恐怖に身震いしたのだった。

 

 巨石群の中心部は、開けた野原があり今が盛りと透き通るような桜色の世界が広がっていた。

 限りなく純粋なその色は、魂を清め訪れる者の心を捉えた。

「この風景を見ているだけで、来てよかったと思えないか ───」

 傍らの石に腰かけた宗次は、足を投げ出し目を細めた。

「花は人の心を|慰《なぐさ》めるわね」

 そこへ、ふらふらと髪を振り乱した女がゆっくりと近づいてきた。

「桜‥‥の‥命を‥光に変えて‥‥幻の‥宝玉が花開く ───」

「|徘徊教徒《はいかいきょうと》・|夢壺《ゆめつぼ》が出るとは。

 いよいよ宝玉への扉が開かれる時かのう」

 背後にちんまりと立った老人が、ポツリと言った。

 虫の攻撃を仕掛けてきた老人だと気づいていたが、殺気はまるで感じなかった。

「徘徊教とは ───」

 肩をすくめ、カラカラと笑った老人は、

「ワシも良く知らん。

 この地の伝承だ」

 野原には色とりどりの花が咲き乱れていた。

 老人とともにやってきた女がちらりと視線を落とすと、野花の根元に落ちていた枯れ枝がみるみる伸びていく。

「さっきは、してやられたが白幻影術師の力が必要だ」

 ニヤリと口角を上げた笑果は、雛を前へと促した。

「我らの心を浄化した|無垢《むく》なる|幻桜《げんおう》よ、透明な|夢郷《むきょう》への扉を紡ぎ出せ。

 |現世《うつしょ》を超え、心に満ちる美しき理想郷を彩れ ───」

 瞑目して両掌を天へと伸ばし、太陽の光を受けて輝く白装束が、次第に光を帯びていく。

 宗次も目を閉じ、脱力して澄んでいく空気に意識を集中した。

 桜吹雪が舞い上がり、風を巻き一筋の花の道を作り出した。

「これが、透明な桜への道 ───」

 目を閉じたまま、雛と白光が吸い込まれていく。

 宗次が|纏《まと》った白装束が、桜の花びらと化してほぐれていく。

 手も足も、身体全体が透明な粒に変わり空高く舞い上がる。

 そして、虚空へと溶けていった。

 

 誰もいない、透明な地に意識だけが舞い降りた。

 空に澄み切った宇宙が広がり、地の底には命の波動が満ちている。

 無数の|星屑《ほしくず》が辺りを照らし、ガラスの木々が|朧《おぼろ》げに立つ。

 4つの霊魂がゆらゆらと歩を進めると、透明な花を|霞《かすみ》のように広げた桜に至った。

 それは、注意して見ないと分からないほど|微《かす》かな存在だった。

 キラキラと輝く花弁が、まるでシャボン玉のように揺れ落ちるさまは花の涙とでも言うべきだろうか。

 生まれてこのかた、物事に感動などしたことがない宗次でさえ|頬《ほお》を涙が伝った。

 顔の表情は消え、完全なる安息が心を満たした。

「宗次、あなたと出会ってから、私は透明な桜を求めて生きることができたの。

 感謝しているわ」

 煌めく|双眸《そうぼう》を薄く開き、両手を広げた|雛罌粟《ひなげし》は、暗い宇宙に身体を預けた。

「蘇生術なんて、みんなに馬鹿にされる能力だったけど、桜とは抜群に相性が良かったわね。

 ここまで来られて、私は充分に幸せだわ」

 名前の通り命を紡ぐ白い光を全身から放つ彼女は、澄んだ瞳をさらに透明にして桜を眺めていた。

「ワシは、地に|這《は》いつくばって虫とともに生きてきた。

 だが、良い|冥途《めいど》の|土産《みやげ》ができたのう」

 美しい ───

 |只々《ただただ》見とれてしまう。

 完全なる輝きとは、物質的な存在さえも超え心を直接、浄化していく。

 争いに明け暮れた人間たちを、|無窮《むきゅう》の空へと誘い、光に包む。

 宗次はふと、|抜刀神威《ばっとうしんい》流剣術の|理《ことわり》を思い出していた。

 |佩刀《はいとう》した|御霊《みたま》殺し・|辛一文字《しんいちもんじ》は、霊体をも断つとされている。

 持つ者を黄泉へと導き、現世を浄化するためにあると伝えられていた。

「ならば、俺は ───」

 すでにこの世の者ではないのかも知れない。

 いや、剣士になったときから命など剣の一部になっていたのであろう。

10

 

「宗次は、これからどこへ行くの」

 ピンクの桜が咲き乱れる巨石群は、4人の肩に花弁の吹雪を積もらせた。

 腰に|佩《は》いた辛一文字に手をやると、遥か彼方の山影に視線を向けた。

「行くさ。

 どこまでも ───」

「これで、失った記憶を取り戻せるのう」

「そうね。

 幻術がなければ、桜の宝玉は手に入らなかったのだから、好きにしていいわ」

 だが、|掌《てのひら》に握り込んでいた宝玉を、宗次へ差し出した雛が言った。

「いつか、旅の途中でこれを必要としている人に出逢うわ。

 だから、あなたが持って行って」

 宝玉を辛一文字に近づけると、吸い込まれて光の粒と化した。

 御霊を斬るとされる刀は、宝玉の力によって桜の花びらを舞いあげ、風を起こして去っていった。

 

 

この物語はフィクションです