魔法のクリエイターと言われる理由、お教えします

人は知る。人は感じる。創作で。

【小説】深紅の時空間旅行Ⅳ

月夜の遭遇

 

 会社は金曜日に休みを取った。

 忙しい時期ではないし、最近は有給休暇を消化しろとうるさく言われる時代である。

 木曜日までに仕事を片付けると、早めに退社して荷物を確認し始めた。

「10日土曜日は中秋の名月で満月になります」

 振り返るとルージュが立っていた。

 時空を超えて物質を転送する技術は当社の企業秘密です。

 過去へ戻る際には眠っていただきます。

睡眠薬などを使うのでしょうか」

「いえ、自然に眠りに落ちた頃、過去へ転送させていただきます」

 枕元に荷物を置くと、外出の支度をしたまま布団に入った。

 手足がシャツとパンツのゴワゴワした感触に違和感を感じたが、すぐに眠りに落ちた。

 外は閑として、ビロードのような闇が窓に貼りついていた。

 目に陽射しを感じてゆっくりと眸を開いていく。

 いつもと同じ、小鳥のさえずりが聞こえた。

「あれ、随分寝ちゃったかな」

 身体を起こすと、硬い繊維が擦れる。

 髪はあまり乱れていなかった。

 昼になったはずなのに、あまり寝た気がしない。

 もしかすると ───

 窓に目をやると、バラの刺繡を施したカーテンがまとめられ、開き窓が見えた。

 外は青空が広がる。

 床は臙脂の絨毯。

 窓辺にゆるやかな曲線を描く椅子と机。

 そしてデスクライトのランプシェードには花と葉が流麗に描かれている。

 壁紙には小鳥とサクランボのような実が繰り返し描いてある。

 豪華な設えだった。

 硬いベッドから床に降りると、|草履《ぞうり》があった。

 普通はビニールのスリッパだが、植物を編んであるようだ。

 軽く拳を握りながら斜めに腕を伸ばし、肩の筋肉が伸びるのを感じた。

 窓辺のひざ丈ほどの台に、見覚えのある荷物が置いてある。

 香苗はとりあえず財布が入ったバッグを肩にかけ、腕時計をはめた。

 洗面台の鏡には、うねるような植物文様の装飾がうるさいほどに主張している。

 傍らに、水瓶が置かれていて、|柄杓《ひしゃく》で汲んで手を洗った。

 そういえば、ドライヤーもコンセントもない。

 電灯のスイッチは見たこともない曲がりくねった形をしていた。

 机にあった鍵を取り、部屋を出ると鍵穴に挿して回した。

 徐々に状況を理解しつつあった。

 過去へやってきたのだ。

父の面影

 

 廊下に出ると、小さな窓に木のサッシがはめ込まれ、上の方は丸くおしゃれにカーブしていた。

 凝ったデザインだが、何か違和感を感じた。

 落ち着かない気分は、足取りを重く用心深くさせた。

 足元の床は、大理石が磨かれてピカピカの艶がある。

 いくつかアンモナイトがスライスされて床の一部になっていた。

 そろりそろりと歩を進めると、石造りの階段にさしかかった。

 手すりはアイアンワークの緩やかなうねりを描き、|縁《へり》に葉の形があしらわれている。

 金属の滑り止めが乾いた音を立てる。

 一階まで降りると、フロントに鍵を預けた。

「あの、今日は何年何月何日ですか」

 恐る恐る聞いてみる。

 貫禄がある40代と思われる白人の女性は目を丸くした。

 受付から間仕切りを開けて出てくると、足の下から頭のてっぺんまでゆっくりと目を這わせた。

「あなた、|菊田 武夫《きくた たけお》さんの ───」

 今度は香苗が目を丸くした。

「私の、父です」

「1889年9月9日土曜日ですよ」

 ニッコリと笑い、静かに言った。

「お父さんは、セーヌ川沿いの広場にいると思うわ。

 さっき、大道芸とかマルシェが出ていて、パリの雰囲気を味わうにはいいですよ、とお教えしたのです」

 思いがけず、父の名前が出てきた。

 もしかすると、ルージュさんが同じ宿にしてくれたのかも知れない。

「父は私がいることを知らないと思います。

 もし帰ってきたら」

「ええ、娘さんのことをお話しますね」

 鍵を預けると、表の扉に手をかけた。

 表通りに面しているはずだが、ガラス窓が小さい。

 ドアも自動ではなく、分厚い木製である。

 身体を斜めにして、力いっぱい押さないと開かなかった。

「ではごゆっくり」

 大仕事をした、といった気分で息をひとつ吐いた。

セーヌ川と少年

 

 ホテルの向かい側に大きな建物が見えた。

 その手前が広い往来になっていた。

 馬車とクラシックカーが次々に通り過ぎる。

 そして、足元の石段を降り、広場に立った。

 かなり広い空間に面して、カフェテラスがいくつかある。

 レストランや、別のホテルなど中心街らしい街並みだった。

 看板を見ると「ルーブル」と記されていた。

「じゃあ、あれって有名なルーブル美術館ね」

 |逸《はや》る気持ちを押さえ、河を探した。

 ルーブル美術館は、世界最大の美術館である。

 すべて見るには一週間かかると言われている。

 ついでに寄れる規模ではない。

 美術館鑑賞は、現代に帰ってからすればいいだろう。

 ルーブルの佇まいを目に焼き付けながら、往来に沿って回り込んでいく。人の流れが自然にそちらを目指していた。

 角を曲がるとルーブルの正門がある。

 その向こう側に巨大な河が横たわっていた。

セーヌ川 ───」

 事前にガイドブックで位置関係を頭に入れていた。

 反対側を振り返るとオペラ座が見える。

 気になるスポットばかりだが、許された時間は少ない。

 橋の手前に広場があった。

 ホテルの女性が言っていた場所である。

 緊張が走った。

 父はここにいるかも知れない。

 川をバックにして、大道芸人がジャグリングしている。

 その隣りでヴァイオリンを弾く少女がいた。

 何重にも取り巻く聴衆。

 美しい音色に惹かれて近づいていくと、少年が話しかけてきた。

「タバコ、いるかい。

 酒もあるよ」

 濁った眼を上目遣いにしている。

 ポケットに手を入れ、よれたハンチング帽を斜めにかぶっていた。

「あんたの後ろに、スリがいたぜ。

 気をつけな。

 見慣れないファッションだね。

 どこから来たんだい」

「私は、日本から来たの」

 いきなり未来から来たなどと言ってもしょうがない。

 それに、身なりはきれいだが、無気力で投げやりな雰囲気を持った少年に警戒心を抱いていた。

「俺さ、金は持ってんだ。

 盗みはしないぜ。

 姉さん、パリは初めてだろう。

 さっきからキョロキョロ見てたから、スリに目をつけられたんだぜ。

 気をつけなよ。

 少しの間なら、案内するよ。

 なに、俺も友達がいなくて暇だったんだ」

怒涛の時代に

 

 ジャンと名乗った少年は、5歳年下だった。

 ヴァイオリンが好きで、よく聴きに来るのだそうである。

 普段はあちこちの教会で演奏会が開かれていて、万博の期間は広場で演奏したり大道芸をやる人が増えている。

 暇で話し相手が欲しかったと言った。

「俺さ、6歳の時にパリへ売られて来たんだ」

「えっ」

 売られた、という言葉が耳に突き刺さった。

 思わずジャンの顔を覗き込んだ。

「パリでは珍しくないのさ。

 社会が急に変わって、食い詰める家が続出してさ」

 語る顔に、悲しみはなかった。

 堰を切ったように言葉を続ける。

「街外れの工場に売られてきた俺は、寝る時間以外は働く毎日さ。

 病気になったり、大怪我した奴はいなくなっていく。

 身体が丈夫だったお陰で、何とか生き延びたよ。

 親は俺を売ったんだ。

 でも恨んじゃいない。

 時代が悪いのさ」

 世界史の教科書で読んだことがあった。

 ブルジョワがブクブク太り、若者がやせ細り骨まで絞り取られる風刺画。

 高い壁で防御した城のような工場。

 大気汚染。

 |荒《すさ》んだ目で|彷徨《さまよ》う若者。

 まさに世紀末、といった様相である。

「俺さ、ヴァイオリンを習いたいんだ。

 もうすぐ契約期間が終わるから、まともな仕事を探して人生を楽しむんだ」

「そう」

 香苗には言葉が見つからなかった。

 新しい技術、未来への情熱。

 そんな明るい世界しか思い描いていなかった。

 物事は表裏一体。

 強い光は、濃い影を作り出す。

 ジャンのような少年が、影で支えた繁栄なのである。

街並みの先に

 

「万博を見にいくのだろう」

 広場を歩きながら、ジャンが言った。

 台の上で逆立ちする大道芸人の周りで拍手が起こった。

 石造りの2階建ての建物が立ち並ぶ。

 世界屈指の大都市も、百数十年前は空が広かったのである。

 たくさんの馬車と、腰の後ろが膨らんだバッスルスタイルの女性たち。

 電飾は少なくて、植物の蔓がうねるような装飾の看板がさまざまな形でアクセントを刻む街並み。

 現代的なビルが立ち並ぶ都市景観よりも豊かな気がした。

 建物の間から、時折若者たちの笑い声が聞こえる。

 甲高い声を上げたり、冷やかすような言葉、ぼんやりと往来を眺める目。

 バッグの取っ手を握り直した香苗は、周囲を油断なく見回しながら歩いた。

「あんたの服装が、珍しいのだろう。

 あまり目立つと、スリに狙われるぞ」

 また諭すように言った。

 セーヌ川が見えてくると、対岸のエッフェル塔が大きくなる。

「あれが、フランス繁栄の証、エッフェル塔さ」

 鼻をフンと鳴らしてジャンが言った。

 ニュースでフランスが出てくると決まってエッフェル塔が映される。

 大きな事件や祝い事があるとライトアップされ、時々動画を見たあの佇まいは変わらなかった。

 エッフェル塔から、終わりが見えないほどの長蛇の列ができていたが脇をすり抜けチケットを差し出した。

 3日間使えるフリーパスを用意してもらっていたので、助かった。

 ツアー客気取りで歩いて行くと、列の人からジロジロ視線を向けられた。

 ちょっとだけ気分が良くなって、歩を早めると、

「じゃあ、俺はここで」

 と言い、ふっと笑った。

「明日も、朝広場にいるから来て欲しいんだ。

 ちょっと見せたいものがある」

 手を振りながら|踵《きびす》を返した。

「ありがとう。

 明日もヴァイオリンを聴きに行くから」

 万博のゲートを兼ねた塔の下に入っていった。

栄華の極み

 

 入口には「フランス革命100周年」の文字が高々と掲げられていた。

 バスティーユ監獄へ市民が押し寄せ、時代が変わった。

 そして今、産業の革新によって社会が変化している。

 ふとジャンの顔が浮かんだ。

 その陰で青春を搾取され、暗い闇に心を沈めた少年たちがいた。

 タイムスリップをしてやってきた自分にとって、教科書に載っていた歴史だった。

 中学生や高校生には、頭に叩き込む重要語句の一つでしかなかった。

 入口には、ヴァイオリン弾きが黒山の人だかりを作っていた。

 さまざまな民族衣装をまとった人々が、入場者を迎え道端には露店が並ぶ。

 パリの芸術の登竜門であるエコール・デ・ボザールが立てたボザール館があった。

 石造りの装飾を思わせるデザインの中にも、洗練された現代的なセンスが感じられた。

 向こうには自由芸術館がある。

 日本から陶器の壺や磁器が多数出品され、たくさん受賞している。

 機械館の脇にはコルト6連発回転銃の看板があった。

 回転式リボルバーを備えた形は拳銃のイメージそのものだった。

 武器には機能美がある。

 19世紀の最先端の造形は、現代にはない驚きがあった。

 世界30か国以上が参加した空前の規模の博覧会は、お祭りムードで飽きさせない。

 イメージ通りの会場だった。

 だが、一抹の違和感を感じる。

 この程度の感動は、本や映像、ネット上のコンテンツでも味わえるはずである。

 何のためにここへ来たのか。

 改めて考えてみた。

 たくさんの建物と露店を横目に、人々の振る舞いに目を留めた。

 着飾った人々の波は、裕福な層の華やかさだった。

 会場の外へ一歩出れば、ジャンのような若者もいる。

 新しい技術が世の中を豊かにしたと言っても、利益を享受するのは富裕層である。

 では街の一般市民の暮らしはどうなのだろう。

 急に落ち着かない気持ちになった。

 パリの夏は日が長い。

 1時間ずらしたサマータイムのせいもあるが、緯度が高いのでなかなか日没にならない。

 現代の日本で合わせてきた時計を見ると、午後5時になっていた。

パリの灯

 

 宿に帰ると、部屋に一つだけの白熱電球を点けた。

 19世紀には白熱電球が一般的だった。

 LED照明が当たり前になった現代では、10年以上の寿命を持つ照明機器に慣れているため、節約する意識が低い。

 調べたところ、1000~3000時間の寿命で、製品にバラツキがあった。

 半年から1年程度で取り替えることになる。

 光に顔を寄せて地図を広げる。

 もちろんスマホなど持っていてもただの重りである。

 テレビもラジオさえもない。

 電球からは、黄色い光が放射状に広がる。

 エネルギーのロスを防ぐためか、ランプシェードはない裸電球だった。

 昼間の出来事を、ノートに書きつけた。

 博覧会場を見るために来たので、目的は達成した。

 フロントで父の部屋の番号を聞いてあった。

 廊下に出ると、203号室のドアをノックした。

 少し待つと、鍵を開ける音がする。

 少しだけドアを開け、中から声がした。

「何でしょうか」

「夜分恐れ入ります。

 |菊田 武夫《きくた たけお》さんはいらっしゃいますか」

 恐る恐る覗き見る。

 30代の男は目を|瞬《しばたた》いた。

「そうですが」

 突然の訪問だったが、すぐに理解した。

 父である。

 怪訝な顔をしていたが、ドアを開けてくれた。

「日本人ですね。

 失礼ですが、他人のような気がしません。

 せっかくですから少しお話しましょう」

 と香苗を招き入れた。

 薄暗い室内に、旅行カバンが広げられていた。

 20年ほど前からタイムスリップしてきた父は、髪がボサボサで飾り気のないファッションだった。

 早速、母から預かった手紙を手渡した。

 何を言ったらいいのか、実際に会ってみると言葉が見つからなかった。

「これを ───」

 小さな封筒を手に取り、裏側を見た。

 裏側に|菊田 伊予《きくた いよ》、つまり母の名前が記されていた。

 じっと見つめたまま、何か考えている様子である。

 大きな白熱電球の暖かい光に照らされた文字は、くっきりと浮かび上がっていた。

「私は、あなたの娘の香苗です。

 未来からタイムスリップして来ました」

 雷に打たれたように、父の身体が硬直した。

 ゆっくりとこちらを振り向く。

 暗い室内。

 一点の光源に照らされた顔と机。

 ネーデルラントの画家、ヨハネス・フェルメールの「手紙を書く少女」のような光景だった。

 父の顔は、|精悍《せいかん》で瞳に穏やかな光を湛えている。

再会

 

 父は手を伸ばし、香苗の顔に触れた。

「本当に、俺の娘なのか」

 香苗は手短にルージュの提案で時空間旅行に参加したこと、迷った末に1989年のパリ万博を選んだことを話した。

「おお」

 父はまだ信じられない、という顔をしていた。

「多分、手紙にも書いてあると思うけど、父さんは不慮の事故で亡くなってしまうの。

 それから母さんは女手一つで私を育てたの」

 ほんの一瞬|俯《うつむ》いて、顔に影が差した。

「そうか。

 運命なんだろうな。

 苦労かけてすまなかった」

 広告関係の仕事に就いて、充実した毎日を送っていると話した。

「それなら、母さんに感謝しなさい。

 俺はあまりいい父親ではなかったな」

 ぼんやりと電球を見つめていると、父がボールペンとノートを取り出した。

 母への手紙を書いてもいいか、と言い封筒を開いた。

 自分の父親であると同時に、母の夫でもある。

 年齢に見合わないほど落ち着きがあって、内面に力を秘めた強い眼をした父。

 時々小さく唸りながら、手紙を読み終えるとボールペンを取った。

「万博は見てきたのか」

 書きながら父が聞いた。

 時代の変革を誇示するような展示。

 ジャポニスムが色濃く現れた芸術作品。

 昼間自分の目で見てきた感想を素直に話した。

「世界中の人たちが集まって、先端技術や異文化を見せあうエネルギーは感じたよ。

 でも、正直思ったほどの感動はなかったかな ───」

 考え込むように、腕を組み虚空を見る父。

 言葉を選ぶように慎重に、口を開いた。

「それはな、香苗。

 お前が大人になったからだろう。

 素直に他者を分析できるのは、確固たる自分があるからだ。

 俺は、理想を求めるという人間の営みを自分に問うために時空間旅行へ参加した。

 でもな、結局自分の内面の問題だと気づかされたのさ。

 自分のあり方は、自分で決めるものだ。

 物事は表裏一体。

 明るい時代には裏がある。

 お前には、明るい未来を生きてほしいが時代が犠牲にして来たものにも目を向けて欲しい」

 重々しく心の底に言葉を収めた。

 そしてまた、机に向かうのだった。

 

 

この物語はフィクションです