魔法のクリエイターと言われる理由、お教えします

人は知る。人は感じる。創作で。

【小説】夙夜の夢寐(しゃくやのむび)

生まれ出た若者

 

 春の陽射しが温かい。

 河原には草花が咲き乱れ、蝶がヒラヒラと舞う。

 空にはふわふわと薄雲が浮かび、薄水色の空が広がる。

 |根村 道翔《ねむら ゆきと》はキョロキョロと周りを見回し、足元の花を一本一本確かめる。

 道路を触ったり、白線を指でなぞったり。

 電柱を下から上まで舐めるように見上げ、住所の文字を見つめる。

 一歩一歩踏みしめて、感触を確かめていた。

タンポポ、ツクシ、アスファルト、コンクリート…… 」

 犬を連れて歩く同い年くらいの男が立ち止まった。

「道翔…… だよな。

 よお、元気だったか。

 身体はもういいのか」

 びっくりしたように、顔を上げ、

「|久保 幹雄《くぼ みきお》 ───

 |幼馴染《おさななじみ》」

 ちょっぴり首をかしげて、|怪訝《けげん》な顔をした。

「ん、ああ。

 幼馴染だな。

 どうかしたのか。

 疲れてるみたいだな。

 俺は盤国データバンクで統計の仕事をしてるんだ。

 お前は何をしてるんだい」

「へえ、データベース作ってるのか。

 面白い仕事だね。

 俺は、まだ体調が悪くてね」

 |流暢《りゅうちょう》にしゃべり始めたので、幹雄は安心した様だった。

「そうか。

 身体は大事にしないとな。

 っていうか、お前の場合大変な思いをいつもしてるんだよな。

 できることがあったら何でも相談しろよ」

 幹雄は親分肌なところがある。

 小さいころから身体の弱い道翔を気遣ってくれた。

 また犬を走らせて去っていく後姿をぼんやりと眺めていた。

淡い想い

 

 10年前。

 高校3年生の道翔は、ゆかりと一緒に帰ることが多かった。

 時々体調を崩すと、一緒に付き添って保健室に行ったり家までついてきたりしてくれる。

 母もゆかりを信頼して、帰りに招き入れた。

 娘のように思って、茶飲み話などをして行くのであった。

 そんな仲だから、一緒にいるのが自然に感じられる。

 そして気分が落ち着いた。

 |華奢《きゃしゃ》な手足で道翔の肩を担ぎ、家のインターホンを鳴らす。

「|冨賀《とみが》 ゆかりです。

 道翔くん、また不整脈らしくて」

 慣れたもので、靴を脱がせて上がり込みそのまま奥の部屋のベッドに寝かせた。

 ブレザーを脱がせ、ネクタイを取りシャツの第二ボタンまで外す。

 ベルトを緩めて靴下も脱がせた。

「いつも悪いね。

 ゆかりがいなかったら、高校を卒業できないよ」

 根村家は田園地帯の一軒家だった。

 父は兼業農家なので、別棟に農機具や倉庫がある。

 周囲を囲む垣根を赤や緑の葉と季節の花々が彩る。

 昔は手広く田んぼと畑をやっていたが、兼業にしてから土地をかなり売り払った。

 農家の仕事は割に合わないと言われる。

 一年中副業に時間を割いても本業の半分も稼げないからだ。

 そんな不合理さはあっても、自分の手で作りだし収穫して味わう醍醐味には変えられなかった。

「俺さ、病気が治ったら農家をやりたいんだ」

 |口癖《くちぐせ》のように言った。

 そんな道翔を見ているだけで、ゆかりの心は満たされた。

「私も農家のお嫁さんになりたいな。

 OLってイメージ持てないの。

 貧しくても、幸せな家庭に憧れるな ───」

 窓の外には裏の|竹藪《たけやぶ》がサラサラと風になびく。

 春には椿が咲き、たけのこが芽吹く。

 夏には蝉とカブトムシが竹を登り、蜂だの蝶だのが飛び回る。

 ドクダミの花も盛りと咲き誇る。

 額縁のように、ガラスの向こうはドラマが満ちていた。

AIロボット

 

 1年前、体調を崩した道翔は床に臥せっていた。

 調子がいい日にはベッドから抜け出してパソコンに向かった。

 6畳の部屋にベッドと本棚、デスクが一つある。

 読書好きな道翔は本を積み上げて、少しずつ読んでいた。

 心の奥底に絶望を抱えながら、小説で夢の中を自由に飛び回るひとときを楽しむ。

 そして、インターネットで病気に関する情報も調べていた。

 ある日のこと、人工知能に関する研究機関でAIロボットの研究記事に目を留めた。

「人間の意識を完全にコピーして、同じ人格を持ったロボットを作る研究か ───」

 もしも自分が普通に生活できない身体になったら。

 この世から存在を消すことになったら。

 意識だけでも残っていれば、ロボットとして生きられるのではないだろうか。

 人間の「生」とは何だろうか。

 思うように行動できなくなってくると、余計に「物体」としての身体を意識する。

 60キロほどもある肉の|塊《かたまり》。

 動きが鈍ると、重さで床に押し付けられる。

 もし肉体がなかったら、自由に振舞えるはずである。

 ぼんやりと|両掌《りょうてのひら》を見つめる。

 今は赤みがかっている皮膚も、いずれは白くなり、灰になる。

 だったらロボットとして生きる道を選ぶべきではないか。

 サイトには、ロボットを無料で提供すると書いてあった。

 まだ実験段階だから何が起こるかわからないが、どうせ少ない命である。

 モニターとして報告をすれば、永遠の命が手に入るかも知れないのである。

 おぼろげな意識の中で、申込を済ませていた。

 

 3か月後、モニター当選の知らせが来る。

 ロボットと共に、|小西 奏斗《こにし そうと》という研究者がやってきた。

「はじめまして。

 実験にご協力いただきありがとうございます」

 部屋に入ってくるなり、大きな箱を真ん中に置いた。

「これが、AIロボットですか」

「事前に取得したデータから、根村さんの容姿に合わせてあります。

 遠目には、ほとんど人間に見えるはずです」

 恐る恐る手を触れてみた。

「肌の質感も、本物そっくりなんですね」

 物珍しさに、ペタペタと頭から足まで触りながら唸っていた。

夢寐(むび)プロジェクト

 

 「ロボット道翔」を「|夢寐《むび》」と呼ぶことにした。

 できる限り人間に近い生活を送らせるために、周囲に悟られない配慮だった。

 プロジェクト名は「|夢寐《むび》プロジェクト」に決まった。

 眠って夢を見ている間のできごと、という意味である。

「何しろ人類初の試みですから、何が起こるかわかりません。

 実験の目的を達成すれば、永遠の生命を手に入れるでしょう。

 何を持って成功と言うかは、自問自答しながらやっていきましょう」

「目的とは何ですか」

 自分自身も葛藤していた部分だった。

 肉体を離れて自我だけが存在する。

 頭で考えると矛盾だらけに思えた。

 2人の自分が同時に存在したらどうなってしまうのだろうか。

「秦の始皇帝も晩年に、永遠の命を求めて試行錯誤しました。

 一説には毒さえも飲んだそうです。

 あなたが人類の悲願を実現するのです」

「つまり、永遠の命を手に入れる ───」

「寿命とは、肉体を維持する限界のことです。

 肉体を超越すれば克服できるのです」

 ニヤリと笑った小西は、ロボットの起動ボタンを押した。

「電池か何か入ってるのですか」

素粒子から直接電力を取り出す新技術でエネルギーを得ています。

 理論上は永久に動き続けます」

「やってみないと分からない訳ですか」

 目を開けた夢寐は、黒目だけを動かしてぐるぐると見回している。

 鏡に映したように、そっくりな自分が無表情で虚空を見つめているのは、異様な光景だった。

 少し首を回し、口と手が動き始める。

床に手をついて、上半身を起こした。

「夢寐」

 呼びかけに反応がなかった。

 風景を眺めるように、道翔に視線を合わせてきた。

「俺は、道翔だ。

 君も道翔だけど、ややこしいから夢寐と呼ぶことにした」

 顎に親指を当て、人差し指で口元をカリカリと|掻《か》く仕草をした。

 このポーズには覚えがあった。

 外から見たことはないが、考え込むときにする。

「俺は、夢寐だ。

 ややこしいから、それでいいよ」

 口元が緩み、笑みがこぼれた。

 人間らしい振る舞いをできるロボットだった。

 いつも疲れている自分よりも、溌溂として見える。

 中身が同じなら、元気な分だけ負けている。

「道翔、あまり無理をするな。

 ベッドに横になってろ。

 ちょっと散歩して勉強してくるから」

 自分に対して言うのも|憚《はばか》られるが、いい奴だ。

 自分自身だったら、自分との相性は最高なのだろう。

 相手を完璧に把握できるのだから。

夢寐がいるから

 

 春の日差しに誘われて、ゆかりは友だちの|真歩《まほ》と立ち話をしていた。

 田んぼには水が張られ、カエルやバッタも姿を見せ始めた。

 泥水の色が一面に広がり、ふわふわとした雲を映している。

 うららかな風景に、自然と心が穏やかになった。

「で、道翔君とはどうなの」

「どうって、時々様子を見に行ってるよ」

「|健気《けなげ》だねえ」

 茶化すように肩をすくめた。

「私は応援してるよ。

 気持ちを大事にしなよ」

 ゆかりはぼんやりと空に目をやった。

 遠くの路地から、道翔がキョロキョロしながら歩いてくるのを見留めた。

「噂をすれば影だね」

「ちょっと待って。

 様子が変だよ」

 しゃがみ込んで石をつまみ上げ、しげしげと眺めている。

 道端に投げ捨てると今度は塀のブロックを触って顎に手を当てた。

 こちらの視線に気づいたのか、スタスタと真っすぐに歩いてきた。

「根村君、体調はいいの」

 ゆかりはすぐに気づいた。

「夢寐君の方ね」

 小声で周囲を気にしながらいう。

 真歩にはすでに話してあった。

「例のロボットね。

 へえ、よくできてるね」

 それじゃあと、気を遣って帰って行った。

 残されたゆかりは少々手持ち無沙汰になって、

「ちょっと散歩しようか」

 2人で肩を並べて歩きだした。

 暖かい陽射しを眩しそうに、目を細め髪を掻き分ける。

 二人の影が地面にくっきりと並んでいた。

 周りを見回したり身振り手振りで話したりするうちに、何度か手が触れた。

 自然な動作で夢寐の手を握るゆかり。

 足を止めて向き合った。

「私、道翔のことが好きなの。

 どうしたらいいかな」

 夢寐は、ゆかりをじっと見つめていた。

命を懸けて

 

 ゆかりの告白を受けて、夢寐は素直に嬉しかった。

 だが瞬間的にネガティブな状況を思い、感情を封印していた。

「道翔、落ち着いて聞いてくれ。

 今日、ゆかりに会った」

 ベッドから上半身を起こし、中央にいる夢寐をじっと見つめた。

 薄暗い部屋には、音を立てるものがなくなった。

 夢寐は視線を合わせ、息を整えた。

「君のことが好きだって」

 薄々は分かっていたはずである。

 長い間傍にいて、世話をしてくれたのだ。

 感情の繋がりがなくてはできないことだ。

「俺も、ゆかりを大事に思ってるよ」

「よかった」

 嬉しそうな顔を見せた夢寐に、道翔は違和感を感じた。

「思っていることを言ってくれ。

 俺だってゆかりの気持ちは知ってたさ。

 でも今は夢寐がいる」

 床の継ぎ目を見ていた視線を、さらに下げて俯いた。

 そして静かに座り込むと、

「実はな、俺には全然理解できないんだ。

 『好きだ』と言われるのは嬉しいのだけど、多分道翔とは違う感情だ。

 恋愛感情というものも、当然インストールされている。

 でもまったく琴線に触れてこないんだ」

「何かあったのか」

「一緒に散歩して、向こうから手を握ってきた。

 そのあと好きだと言われた。

 それだけなんだ。

 俺には記憶がインプットされているけど、感情を伴っていない。

 だからかも知れない」

 床に手を広げ、大の字になって寝転んでしまった。

「俺は、道翔の代わりにはなれない。

 姿形と、脳みそをコピーしただけのロボットだよ。

 今日思い知った ───」

 ベッドから足を下ろし、ヘリに座って覗き込むように夢寐の顔を見る。

「なんだ、悲しそうな顔してるな。

 一緒に喜んでくれよ。

 友だちだろう」

 道翔の言葉はあっけらかんとして、夢寐を優しく包み込んだ。

「俺さ、決心がついたよ。

 一か八かの大手術を受けることにした。

 今決めたぞ、うん」

「なんだって」

「俺が死んだら、ゆかりの思い出を土産に天国へ行ける。

 生き残ったら、気持ちに応えられる。

 どちらにしてもハッピーだ」

 立ち上がった夢寐は、悲壮な覚悟を持った友をあらためて見た。

「道翔 ───」

運命の分かれ道

 

 生まれつき欠損している心臓を人工素材で補う手術には、大きなリスクがあった。

 幼い頃から、手術以外に助かる道はないと言われ続けてきた。

 子どもらしく外を駆け回ることも、友達と夜遅くまで語ることも、食事も、人生のすべてを制限してきた病気。

 最後の切り札を切るときが来た。

 ゆかりのことだけが最後に引っかかっていた。

 手術の当日。

 ゆかりと夢寐も、麻酔に落ちていく道翔の手を取って見送った。

 手術は13時間にも及んだ。

 目覚める可能性は50%もない。

 普通の生活を送れる可能性は数パーセントしかない。

 枕元で、面会時間いっぱいに2人が見守っていた。

 長時間全身麻酔をかけたため、リスクが大きいと聞いていた。

 このまま目覚めない可能性もある。

「目覚めたときに『おかえり』って言ってあげるんです」

 母親にゆかりは話していた。

 

 3日目の昼頃。

 道翔は目覚めた。

 主治医の話では、ほとんど奇跡に近い成功だそうである。

 医学の進歩が、病気の進行よりもほんの少し早かったという意味の説明をしていた。

「道翔 ───」

 右手をぎゅっと握り、ゆかりは泣いた。

「俺は、涙をインストールされてない」

 夢寐の顔は安堵の色を呈した。

 殺風景だった病室に、いつの間にか花と果物がたくさん持ちこまれていた。

「良かった。

 良かったよ ───」

 一応、日常生活は問題なく送れる。

 体力は劣るものの、ベッドから起きて歩いても息切れはしなかった。

「なんか、夢みたいだ」

 道翔はゆかりを、吸い込まれるように抱きしめた。

「ずっと一緒にいられる ───」

幸せ、そして別れ

 

 

 術後の経過は順調だった。

 リハビリ病院へ転院すると、日常動作の訓練が始まった。

 毎日、指先を使う練習、平行棒を掴んでの歩行訓練。

 心臓の機能は健常者の半分もなかったが、生きていくには充分な力を取り戻していった。

 長い闘病生活で固まった脚を鍛え直すのは、想像を絶する苦労だったが、ゆかりがいつも寄り添ってくれた。

 3か月ほどで、退院を許可されるまでになった。

 あと数日で退院という日、外出許可を得て夢寐とゆかりと共に散歩に出る。

 近くの公園には、広い芝生の広場がある。

 ぐるりと囲んでランニングコースがあり、滑り台もあった。

 垣根に囲まれた東屋に落ち着いて、自販機で買ってきた飲み物を一口飲む。

「もう秋になってたんだな」

 しみじみと道翔が言った。

 ずっと屋内で過ごしてきたため、言葉に重みがあった。

 頭の上を、小さなトンボが横切った。

 コオロギが鳴く声。

 枯れ始めた草もある。

 あちこちで生を謳歌する営みを感じた。

「おれは、人工知能を研究したいと思うんだ。

 体力がないから、独学でプログラミングを勉強していこうと思う」

 ちらりと夢寐を見た。

 空をぼんやりと眺め、どっかりと椅子にもたれていた夢寐は、立ちあがって2人の方へ向き直る。

「言っておかなくちゃいけないことがあるんだ」

 いつの間にか空は赤みを帯びていた。

 夕日を背にした夢寐は、濃い影を長く長く落としていた。

「俺は、そろそろお払い箱だ。

 夢寐プロジェクトは終わった ───」

「なぜだ。

 ずっと一緒にやって行こうぜ」

 道翔も立ちあがって、夕日を頬に受けた。

「もう、俺の居場所はない。

 ゆかりちゃんと、ずっと幸せに暮らしてくれ」

「人間に永遠の命を与えるプロジェクトじゃなかったのか」

 2人に背を向けて、右手を小さく上げた。

「もう、与えたよ ───」

 徐々に消えていく足音。

 いつも頼りにしていた夢寐の背中は、小さくなっていった ───

エピローグ

 

 その後、入籍した2人は小さな一軒家でつつましく暮らしていた。

 庭には、野菜や果物がたくさん実をつけていた。

 体外受精で2人の子どもにも恵まれた。

 AIの技術は日進月歩だった。

 道翔も最先端で、研究に関わっていた。

 ロボット研究では、倫理的な問題から実在する個人をコピーすることが禁じられた。

 ある意味夢寐プロジェクトが役に立ったと言える。

 だが道翔には野望があった。

「いつか、夢寐を復活させたい。

 ロボットと共存できる未来がやってくれば、必然の方向性だ。

 自分自身と暮らした日々は、俺の宝物だ」

 学会で熱心に訴え続けた。

 

「なあ、夢寐。

 お前は幸せだったか ───」

 秋の夕暮れ、あの東屋でふと呟いた。

 

 

この物語はフィクションです