魔法のクリエイターと言われる理由、お教えします

人は知る。人は感じる。創作で。

【小説】おくり犬

街の技術者たち

 

 午前2時。

 街は静かに眠り、街灯が煌々と路地を照らす。

 飲み屋ででき上った酔っ払いも、さすがにいなくなった。

 工場には|熊久保 明範《くまくぼ あきのり》一人だけが残り、パソコンの図面を見て唸っている。

 熊久保製作所を父が立ち上げ、物心ついた頃から旋盤を回す技術者を見てきた。

 寡黙で手を動かさないと気が済まない。

 そんな男たちの気配が、工場のあちこちに残っていた。

 自宅近くの工場に、夕食後またやって来て帰宅する社員を送り出してからクランクシャフトと向き合っている。

 機械油の臭いが鼻孔を突き、眠気を消してくれる。

 工作機械を止めた町工場には、夜の静寂が入り込んでくる。

 秋が深まり、急に冷え込んできた。

 社名入りのジャンパーを羽織り、作業着の袖が少し出ている。

 右手を顎に当て、眉根を寄せていたが大きく息をつくと立ち上がった。

 配電盤のスイッチを切ると、工場全体が闇に包まれた。

 

 翌日、昼過ぎまで書類に判押しをすると、未決済ボックスが空になった。

 工場の様子を見に行こうかと腰を上げると、背中に凝りを感じた。

「失礼します。

 石見です。

 社長宛ての郵便をお持ちしました」

 きちんと背筋を伸ばし、|踵《かかと》をつけて直立した男が手にした封筒の束を少し持ち上げてみせる。

 総務部長の|石見 善和《いわみ よしかず》は、ホテルマンのように|恭《うやうや》しく来客用テーブルに封筒を広げた。

 そのまま退室しようとしないので、顔を上げた。

「どうかしたのか」

 声をかけると、

「気になる封筒がありまして」

 一つを手に取ってこちらによこした。

 「東京地方裁判所(民事)」と右下にあった。

 事の重大さを瞬時に理解した熊久保は、封を切ると中身を斜め読みした。

「何だこれは ───」

 中身を知らない石見も、ある程度予想していたとみえて顔を|顰《しか》めた。

危機

 

「うちのクランクシャフトが、特許権侵害だそうだ」

 手紙を石見に手渡した。

 顔面がみるみる蒼白になり、目を見開いていく。

「すぐに対策を練りましょう」

 顧問弁護士の六角に電話をかけると、すぐに駆けつけてきた。

「反論の余地はあるのでしょうか」

「裁判になった以上、応じる以外にありません。

 その前に、この明細書と図面について説明していただけませんか」

 すぐに開発部に内線をかけた。

 開発部長の井森は、熊久保と共に頑張ってきた古株である。

 作業帽を被り、作業服には機械油のシミがあちこちについていた。

 一流大学を出ているものの、就職活動に失敗して中小企業のうちに拾われた男だ。

 理想を追う研究者肌で、信念を強く持っている。

 熊久保は心意気を買っているが、日本のものづくりの現場では曲者と見られてもおかしくない。

「こりゃあ、まったく同じ技術だし特許請求の範囲にハマってますね。

 まずいな ───」

 図面をテーブルに広げ、端から丁寧に説明し始めた。

 すると、半分も行かないところで六角が深く息をついた。

「ああ、すみません。

 やはり私はついて行けません。

 まあ、訴訟は始まっていますし技術的なことはその都度お聞きして進めます」

「賠償額は15億円で、差し止めも求めているのか」

「そんな金、うちには払えませんよ」

 石見が震える声を絞りだす。

 訴訟になった以上長びけば、さらなる負担を覚悟しなくてはならない。

「まずいことになったな」

 一同テーブルの図面を見つめて、ため息をついた。

 提訴したのは「㈱フェ二ック」だった。

 同じくらいの規模の町工場である。

 直接取引したことはあまりないし、お互いにライバル視している訳でもない。

「少々違和感を感じますね。

 確かフェニックの顧問弁護士は栃谷でしたか。

 キナ臭いですね」

「どんな弁護士ですか」

「いわゆる札付きです。

 ちょっと探りを入れてみます」

 ベテラン弁護士の目に鈍い光が差していた。

ものづくり

 

 何度か特許について指摘があったのは確かだった。

 だが新製品開発に携わっていれば、お互いにギリギリのところでやっているのだ。

 図面を見ていた熊久保は、腑に落ちない気持ちがあった。

「図面の書き方には、作り手の|癖《くせ》が出るものだ」

 ポツリと言うと、井森が図面の隅に目を落とした。

「うちの図面と、似過ぎていますか」

 特許侵害を訴えているのだから、似ているのは当たり前だが ───

 頭を振って熊久保が言った。

「似ているだけでは、何も言えないが違和感を感じる」

 作り手のこだわりが、細かいところに現れている。

 長年ものづくりに関わっていれば、部品一つにも感じるものがある。

「とりあえずクランクシャフトの開発はストップしておきます」

 社長室を出た井森は、開発部に戻る。

 事務室が別棟になっていて、社長室はその奥にある。

 工場から工作機械の音が響き、フォークリフトとトラックが通りに面した搬入口に止まっていた。

 町工場はどこも厳しい経営である。

 20億円ほどの負債は珍しくない。

 新しい技術を研究し、自社で部品を作り市場へ送り出す。

 当たり前のようだが、小さな工場でできる技術で業界に新風を吹かせたい。

 井森は一つ一つの技術に並々ならぬこだわりをもっていた。

「部長、シリンダーの試作品を見てください」

 若い|大平《おおでら》が呼び止めた。

 机の上に、シリンダーと図面が広げられていた。

 ポリウレタン手袋をつけ、むんずと掴んで持ち上げた。

 エンジンの主要部分を成し、上下のピストン運動をする部分である。

 肉眼では判別が困難なほどの精度が要求され、スムーズに動き耐久性もなくてはならない。

「大平、おまえ、このシリンダーに何を込めたい」

 低く絞り出すような声だった。

 大平の顔に緊張の色が強くなる。

「込める、とは ───

 研磨は完璧です。

 安定性と耐久性は向上しています」

 眉根を寄せ、天井を見上げた井森は小さく息を吐いた。

「お前の肚に、何があるかと聞いているんだ」

「はあ」

「若いからって、できませんじゃ済まねえんだよ。

 こいつには個性がねえ。

 大平、お前にしかできない部品を作れ」

 吐き捨てるように言って、睨みつけた。

「すいません。

 作り直します」

「当たり前だ。

 もっと頭を絞れ」

 最後は声を荒げていた。

企業秘密

 

「栃谷さん、訴状が届きました。

 まさか、内通がバレたりしませんよね」

 事務所に戻った六角は、顔が蒼白になっていた。

「何かあったのか」

 ふん、と鼻を鳴らし抑揚のない調子で言う。

「図面に違和感があるって言うんです。

 私は工学の知識がないので良く分からないのですが、熟練工が感じる何かがあるのでしょうか」

「お前、ビビってるみたいだな。

 いいか、特許侵害は動かぬ事実だし証拠もある。

 それに、裁判は勝たなくてもいいんだ。

 長びかせれば町工場の体力が尽きて和解交渉になる」

 裁判には時間と金がかかる。

 そして特許裁判は泥沼化することもある。

 長期化すれば金が続かなくなるのである。

「それはそうですが ───」

「お前は言われた通りにしていればいい。

 謝礼は弾む」

 何か言おうとしたが、電話が切れた。

 スマホを充電器に置きデスクに腰かけた。

 六角は気が小さい。

 弁護士には相手を論破する論理力だけでなく、度胸も不可欠である。

 ここ一番というときの胆力がなくて負けた裁判も多かった。

「俺の人生は、負け戦続きだったな」

 ふらりと窓辺に寄って、ブラインドの隙間から街を眺めた。

 行き交うトラックは、日本のものづくりを支えている。

 工作機械と向き合い、新製品を開発する技術者には誇れる成果がある。

 でも自分には ───

 企業秘密を流したり、個人情報を売る弁護士は多い。

 法律を知り尽くしているのだから、犯罪すれすれを通す仕事も当然ある。

 道徳観念とか、プライドとか甘っちょろい考えは捨てなくてはやっていけない業界だ。

「俺は、つくづく弁護士に向いてなかったな」

 自嘲気味に口角を歪め、吐いて捨てるように言うのだった。

つながり

 

 ㈱バビルエンジニアリングの社長、|浦松 雄貴《うらまつ ゆうき》は町工場でエンジン部品を作る同業者として、また新製品開発のライバルとして度々熊久保の工場に顔を出した。

「なあ、特許侵害で訴えられたんだって」

「耳が早いな。

 賠償金15億よこせとさ」

 大学時代から、一緒に飲みに行ったりする仲だった。

「熊久保さんとこも、大変だな。

 もし合併の話に乗る気になったら相談に乗るぜ」

 屈託のない笑みを浮かべて冗談を言う。

 訴訟費用を考えれば、支払不能に陥ってもおかしくない。

 両肩に重い鉄材がのしかかったような気分だった。

「まあ、そう落ち込むな。

 物は相談だが、知財専門の弁護士を紹介しようかと思ってな」

 思いがけない提案に、まじまじと浦松を見た。

「フェニックの栃谷は厄介な相手だが、何とかしてくれそうな男がいるぞ」

 名刺入れを探り、一枚取り出してよこした。

「同じ事務所で働いていた、|樋宮《ひのみや》という弁護士だ。

 実力は業界トップクラスと噂されている。

 工学部出身だから専門知識もある」

「顧問弁護士を代えるのか。

 六角さんにはいろいろお世話になってきたが、今回の件は長びきそうだ。

 専門知識のある顧問弁護士は喉から手が出るほど欲しいところだ」

「よし、じゃあすぐ来てもらうよう電話しておく」

 言葉通り、すぐに駆けつけてきた樋宮は熊久保と同じくらいの年だが若々しい男だった。

「特許侵害で訴訟になったそうですね。

 早速ですが図面を見せてください」

 挨拶もそこそこに、来客用ガラステーブルに図面を広げると隅々まで丁寧に確認していった。

「熊久保社長は、どのように感じますか」

 特許侵害は間違いないこと、図面の癖まで似ていて少々違和感を感じたことを話した。

「率直に申し上げます。

 この件には裏がありそうですね」

「内通者がいるのでしょうか」

 イエスともノーとも言わず、図面を指でなぞって確かめ始めた。

「六角弁護士に気をつけてください。

 悪い人ではありませんが、気が弱いですから。

 それと、貴社が保有する特許の書類を見せてください」

 図面の内容を見ただけで理解したようだった。

 何も質問せずに他の特許もチェックしてくれることになった。

「これでは他の特許も訴えられてしまいますよ。

 なぜだかわかりますか」

 特許請求の範囲のところを指でコツコツ叩きながらいう。

「材質と形状、用途などを具体的に書いているのはいいですが、どこまでを保護するのか考えていませんね。

 穴だらけの特許です。

 すべて見直しましょう」

しがらみ

 

 翌日、顧問弁護士の六角を社長室に呼び出した。

 白髪をオールバックにした髪型が、初老の弁護士を少し若く見せていたがやせ細り目つきが少々オドオドして見えた。

「六角さん、ご無沙汰してます」

「樋宮か。

 どういうつもりだ」

 目に怯えの色を浮かべて、熊久保の方を見た。

「この熊久保製作所をずっと見守って来ていただいて、感謝いたします」

 ゆっくりと立ち上がった六角は、テーブルに手をついて|俯《うつむ》いた。

「なんだ、俺は工学の知識がないからお払い箱か。

 今まで誰に株主総会を仕切ってもらってきたと思っているんだ」

「すみません。

 でも今回の件を六角弁護士にお任せすると、当社はお金が続きません。

 早期解決は望めないと判断し、知財に詳しい樋宮さんに顧問弁護士をお願いした次第です。

 今までありがとうございました」

 六角は手を震わせ、まだ言い足りない顔をしていたが顔をそむけるように立ち上がり、出て行こうとした。

「これを、|餞別《せんべつ》です」

 キャンペーンの景品として作ったスマホの充電器だった。

 ふんと鼻を鳴らした六角は、それを掴んでつかつかと靴音を高く帰ってしまった。

おくり犬に食われるな

 

 樋宮の指導を受けて特許訂正を進めた。

 特許を取得すると、特許無効になるなどの理由があれば訂正できる。

 ただし何でも通るわけではなく、審判が行われるのである。

 特許権侵害を訴えた場合、まず考えるのは特許無効あるいは特許請求の範囲であるが、うちの特許には曖昧な点が多くて訴訟リスクが高かった。

「例えば、棒状の鉄材と言っても含まれる特許がたくさんあるわけです。

 言葉を綿密に選ばなくてはなりません」

 書類を隅々まで検討し、樋宮の鋭い眼で次々に改善点をあげていく。

 六角はベテランで安定感があるが、町工場の事情に疎い。

 その点樋宮は説明しなくても部品の構造を理解するし、的確に指摘することができた。

「訴訟の方ですが」

 顔を上げて切り出した。

「もし違法な手段による企業秘密|漏洩《ろうえい》の事実をつかめば、フェニックの特許が無効になります。

 同時にこちらの特許権を侵害した事実がないか調べてみます」

「なるほど。

 フェニックとはあまり取引したことがないですし、特許の使用権を設定したことがない気がします」

 

 事務所に戻った六角は、苛立ちと同時に焦りを感じていた。

 スマホ充電器を取り出して、スマホを置いてみた。

 ケーブルを繋ぐタイプではなくて、置くだけで充電できる。

 電磁誘導などと言っていたが、理系ではないから詳しくはわからない。

 プライドを傷つけられた怒りが込み上げてきた。

 スマホを取り上げ、栃谷へかける。

証拠

 

 六角のスマホに着信が表示された。

 熊久保からだった。

「俺はもう、お払い箱だろう。

 今さら何の話がある」

 |憤《いきどお》りこの方ないといった口調である。

「一つ、謝らねばならないことがあります」

「なんだ」

「電話を秘密録音させていただきました」

 六角の背中に、冷たい汗が一筋流れた。

 身体が硬直して、見開かれた目がブラインド越しに夕日を捉えた。

「まさか ───」

 傍らにある充電器を凝視する。

 むんずと掴んでひっくり返したり、電源ケーブルを引っ張ったりしてみた。

「お察しのことと思いますが、充電器に仕込みました。

 音声データ化して飛ばすようになっています。

 フェニックの顧問弁護士、栃谷さんと内通していた証拠を掴みました。

 裁判で証拠を提出することもできます」

「刑法に規定はないが通信保障及び監察法第24条によって5年以下の懲役になるぞ」

 低く威圧感を込めた口調で言った。

「ハッタリはやめてください。

 違法行為を調べるためにした秘密録音は犯罪にあたらないとされています。

 事務所に無断で侵入した訳でもないし、訴えようがないはず」

 六角が大きく息をつく音がした。

「わざわざ電話で知らせたのは、なぜですか。

 裁判に証拠として提出すれば、私たちが逮捕されて終わりでしょう」

「私は、あなたと栃谷さんに罰を与え、和解金を要求したいとは思っていません。

 提訴を取り下げていただければ結構です」

「熊久保さん、思えばあなたと二人三脚で長い間会社を支えてきた。

 金欲しさに栃谷のような奴の口車に乗せられてこのザマだ。

 弁護士事務所の経営も大変でな。

 私に後始末を任せてくれないか」

 毒気が抜けた声だった。

 しばらく間を置いてから、静かに答えた。

「私は今でも、六角さんを顧問弁護士であり熊久保製作所の父であると思っています」

 六角の目が、夜景を捉えた。

 ブラインドを上げ、街灯とまばらな星空が見えている。

「いや、何が熊久保さんをそこまで実直にさせているのかと思ってね」

「経営者の背後には『おくり犬』がついているのです。

 研究職を辞め起業してからずっと、私を噛み殺そうと狙っています。

 悪意を持って金儲けに走ったら、たちまち殺されることでしょう。

 会社なんて、作るものではありませんね」

新しい出発

 

 翌日の昼過ぎに、フェニック社長の伊奈が社長室へやってきた。

「この度は、大変ご迷惑をおかけしました」

 深々と頭を下げ、席を勧めても座ろうとしなかった。

「このままでは話しにくいので、どうぞソファにおかけください」

 やっと落ち着いた2人はテーブルに置かれた図面に目をやった。

「うちの顧問弁護士栃谷は契約解除しました。

 もちろん提訴を取り下げます。

 和解にしたいと思いますが、言い値で結構です」

 相当打ちひしがれた様子で、視線を合わせようともしなかった。

 熊久保は大きく息を吐いて立ち上がった。

 窓の外は、心地よい陽射しが満ち、木々が風に小さく揺れていた。

「和解金は結構です。

 お互い町工場は経営が苦しいですからね。

 裁判一つで消し飛ぶような、小さな会社です。

 その代わりと言っては何ですが、取引先として一緒に仕事をしませんか」

 伊奈は顔を上げた。

「それでいいのですか」

「私が思うに、会社の利益とは社会全体の利益なのです。

 水に浮かぶ木の葉のような中小企業が一つ二つ沈んでも社会に影響はないでしょう。

 でも我々が手を携えて日本のものづくりを支えていけば、世の中のためになるはずです」

 窓を背に、熊久保の姿がシルエットになる。

 強い日差しが眩しく部屋を照らしていた。

「一つ、言わせてください。

 経営者の背後には『おくり犬』がいます」

「登山するときに、転ぶとたちまち噛み殺すという伝承のやつですか」

「そうです。

 技術という山の頂を目指して歩き続けないと、我々はたちまち噛み殺されるのです。

 目先の損得や、怒りに身を任せてはいけません」

 その後、エンジン部品を共同開発し、フェニックと共にいくつかの特許を取得した。

 町工場の技術力を武器に新製品を次々に開発していくことになるのであった。

 

 開発部の大平は、小一時間部品の試作品を眺めていた。

「よお、いい製品ができたじゃねえか」

 部長の井森は、相変わらず機械油の染みだらけの作業服で、やってきた。

「いや、まだまだ改良の余地がありますよ。

 井森部長の部品の特許チェックは、これからやりますので」

「いらねえよ。

 もう済んだ」

「えっ」

 膨大な特許を調べ、類似する発明がないか調べる仕事があったはずである。

 あれを一人でやったのか、としばし呆然とした。

「おまえと一緒に仕事してると楽しいぜ。

 ほれ、次の仕事持ってきたぞ。

 並行して進めてくれ」

 工作機械が金属を削る音が響き、納品のためのケースを運ぶフォークリフトが忙しく行き来する。

 今日も町工場は日本の技術を支えるために戦うのだった。

 

 

この物語はフィクションです