魔法のクリエイターと言われる理由、お教えします

人は知る。人は感じる。創作で。

【小説】灯下に神座し

神々が沈む闇

 

 ▲76歩、△34歩、▲75歩……

 |牟田《むた》は上目遣いにして、相手を睨みつけた。

「馬鹿にしてるのか」

 盤面に没頭している|隼鷹《じょうい》から、|外連味《けれんみ》は感じられなかった。

「コンピュータならほとんど指さないでしょう。

 私は人間ですから。

 江戸時代からある立派な戦型です」

 だだっ広い部屋は暗かった。

 2人を天井から照らすスポットライトが|煌々《こうこう》と照りつけ、白い光が上面だけを浮かび上がらせる。

 光は闇を色濃くしていた。

 深いこげ茶色の将棋盤に白い升目が引かれている。

 伝統的な太刀盛りという手法で、特製の白漆を40度に熱した刀でつけていく。

 真剣勝負を陰で支える職人もまた、真剣を用いるのである。

 闇が満たされた会場に白い線が浮かび上がり、まるで至高の宇宙を表すかのようである。

 牟田は考え込んだ。

 3手目で7筋を突き越す手には、いくつかの含みがある。

 最有力は|三間飛車《さんけんびしゃ》である。

 将棋盤は横に「筋」、縦に「段」と数える。

 縦横9マスなので、7筋は左から3筋目。

 だから7筋に飛車を振れば三間飛車なのである。

 とても破壊力があって、愛好者が多いがコツがいる。

 もう一つは鬼殺しという奇襲戦法である。

 三間飛車の一種であるが、受け方を間違えると短手数で勝負がついてしまう。

 この2人のレベルで鬼殺しを食らうとは思えないが、プロの中でも深く研究した棋士がいる。

 油断はできない。

 そして、飛車を振らない指し方もありそうだ。

 相手の攻め筋を限定するために突いた、と見ればすでにポイントを上げられているかも知れない。

 たったの3手で考え込まされている。

 思わず食ってかかったが、高等戦術で揺さぶられているのだ。

最年少名人

 

 |隼鷹 魁人《じょうい かいと》といえば、将棋の代名詞と言っていい。

 中学2年生でプロ入りし、生い立ちからのストーリーが本になって何冊もベストセラーになっている。

 勝つたびにニュースを賑わし、順位戦では9割越えの勝率を上げた。

 順調に昇級を続け、今期は最高位のA級1位。

 名人戦にも勝ち、史上最年少名人になったのである。

「隼鷹名人、おめでとうございます。

 デビューから一番印象に残った一局はありますか」

 インタビューに、戸惑いながら答えた。

「一番はプロ入り直前の一局です。

 自分の将棋観を変えるほどのインパクトでした。

 どの将棋も苦しい局面ばかりで、勝てたのが不思議です」

 会場に笑いが起こった。

 この天然おとぼけキャラも人気の秘密である。

 祝賀パーティーで笑顔を振りまき、ひとしきり終わると自室に籠った。

「ふう。

 俺もまだまだだ。

 名人になっただけで、将棋は全然穴だらけだった ───」

 パソコンを起動すると、名人戦の自戦譜を並べコンピュータの評価値を見る。

 すでに人間はコンピュータに勝てないと言われている。

 あと10年早く生まれていれば、コンピュータと真剣勝負できた世代だった。

 今ではまともに勝負しようなどと誰も思わないし、興行的にも成功しないだろう。

 お互いに悪手は見当たらなかった。

 でも勝ったのは自分だった。

 何が結果をもたらすのかは、一局の流れの中で決まっていく。

 強さとは何かと問われれば、

「ただの思い込みです」

 と言うしかない。

 インタビューの答えは本気だった。

 なぜ勝ったのか不思議である。

 勝ち星が多いと対局数も多くなり、研究に割く時間が少なくなった。

 外を歩いていても、頭の中に将棋の局面が閃いてどこを歩いていたか分からなくなる。

 今日の日付もあまり意識しないし曜日などプロ棋士に関係ない。

 イベントや取材は極力断っているが、ほとんどプライベートな時間がとれなかった。

 頭にはいつも将棋盤。

 寝ても覚めても対局を振り返る。

 棋士とはこういう生き物なのだ。

鬼の三段リーグ

 

 12勝5敗 ───

 牟田は三段リーグの成績を見て|唸《うな》った。

 あと1勝で昇段争いに加われる。

 一人16勝1敗で独走する男がいた。

 隼鷹という中学生である。

 詰襟の学生服姿が初々しい。

 中学生の体格は個人差が大きい。

 華奢な身体に青白い顔だが、スラリとした印象があった。

 美容院でセットしたと思われるマッシュショートがトレードマーク。

 記者が来ると必ず奴の対局を見ている。

「最終局は、強敵の牟田ですね。

 意気込みなどを聞かせてください」

 たまたま居合わせたので、本人にまる聞こえだった。

 神童といわれ、天才の名を欲しいままにしてきた中学生は何を言うのだろう。

 固唾を飲んで見守った。

棋譜を研究しています。

 とても強いです。

 最強の相手でしょう」

 リップサービスだと思った。

 最終局を盛り上げて、話題をさらおうというわけだ。

 記者は嬉しそうにメモを取った。

 

 最終戦は異様な熱気の中始まった。

「隼鷹です。

 よろしくお願いします」

 小さな声だった。

 13歳ほど離れた少年は、将棋盤に視線を落とす。

 双方、大橋流で駒を並べた。

 先手は牟田である。

 戦型は|雁木《がんぎ》。

 同様の戦型が江戸時代にあったが、現代とはかなり違う。

 女流棋士でも愛好者がいた。

 当時はまだB級戦法といわれていたが、牟田は独自の研究をして改良していた。

 柔軟に相手の出方を見て対処できる戦型で、センスが問われる。

 三段リーグで使う者はほとんどいなかった。

 つまり、ここぞというときに取って置いた懐刀を抜いたのだ。

 雁木は必ず流行る。

 牟田は確信していた。

応戦

 

 何分考えただろう。

 認識の甘さを責めた牟田は、次の手を指すか迷った。

「投了もある」

 平たく言えばギブアップである。

 想定外の手が飛び出したのだ。

 だがすぐに、弱音だと|叱咤《しった》する。

 相手の手を見て対処する、アレをやろうと決めた。

 次の手は飛車先を突く。

 超急戦で一気に攻め潰す手もありうるから、こちらも気合い負けしていられない。

 真正面から攻め合うと見せて、形を作っていく方針である。

 隼鷹は|要《かなめ》となる飛車の動きを保留したまま、金銀を繰り出し桂馬を跳ねていく。

 1段目に空間ができた。

 飛車を深く引き、地下鉄飛車が完成する。

 最下段で攻撃の起点を自由に変えられる戦型である。

「名人に定跡なしだな。

 この一局から、どれほどの新手が生まれるのか」

 ニヤリと口元を上げた隼鷹は、楽しんでいるように見えた。

「牟田さんこそ。

 雁木が進化しています。

 やはり、名人戦で感じていた違和感の答えがここにありました」

「どういうことだ」

 答える代わりに、長考に沈んだ。

 牟田が選んだ筋はツノ銀雁木という形を先に作り、玉を動かさずに待つ戦術である。

 通常の雁木よりも囲いの自由度が高い。

 3手で狙いをつけた右辺に玉を囲う意表の展開を本筋として考えている。

 すでに7筋の歩は消してあるが、相手の手に乗って囲いを作っていく構想があった。

 何もかもが目新しい。

 緻密な読みと、たゆまぬ研究が支える薄氷の筋だった。

 隼鷹は身体を前後に揺すり、リズムを取り始めた。

 あらゆる展開を網の目のように巡らせ、すべてを検討していく。

 中盤の分岐点である。

 数時間考えても結論は出そうもない。

 それほど創造的な筋が出現していた。

仕掛け

 

 予定通り右玉に構えると、後手にも関わらず玉のすぐ近くから戦端を開く。

 ハイリスクだが、隼鷹も右玉で待つ形にしたためお互いに主導権を握る手があると見たのだ。

 自玉の頭がスカスカになってしまう展開だが、攻撃陣を弱体化させることができた。

 続いて左辺にも戦端が開かれる。

 こちらは隼鷹から仕掛けた。

 お互いに玉の近くで戦いを起こす。

 ノーガードで打ち合う形で互角の展開になった。

 現代将棋では、囲いを堅くせずに攻め合ったり、バランスを取ってギリギリを通したりする筋が好まれるようになった。

 中盤が短くなって一気に終盤戦にもつれるとも言えた。

 闇で展開された将棋はまさに現代的だった。

 牟田が|唸《うな》る。

 すでに玉の寄せ合いに入っている。

 大局を見れば双方互角だが、詰みまで読んで正確に指さなくてはならない。

 中盤では感覚と経験で有利な態勢を作るのだが、終盤は決着まで見通さなくてはならなくなるのである。

 一手違いで勝敗が|覆《くつがえ》る。

 隼鷹の詰将棋力は、詰将棋解答選手権で優勝するほどである。

 甘い読みは通用しない。

 将棋盤の裏で握った拳に力がこもる。

 手の平には脂汗。

 何度も虚空を見上げ、読み直した。

 先に玉を捕らえたのは牟田だった。

 駒台に貯め込んだ金銀桂を打ち込み、追い詰める。

 途中で、見落としに気づいた。

 隼鷹の手が、よろけるように玉を攻め駒に近づけた。

 勝負あった。

 寄せきれなかった牟田の駒台にはほとんど受け駒がない。

 元々囲わずに攻め合う方針である。

 大量に渡した駒であっという間に詰まされるのは明白だった。

 |脇息《きょうそく》に右肘を突き立てる。

 右手は額を撫でつけ、俯いてため息を吐いた。

 肚から力が抜け、頭がぼんやりとする。

 途端に身体の熱を感じた。

 終わったか ───

「負けました」

 駒台に右手を乗せ、小さく呟いた。

 手には歩が2枚ひっ付いていた。

 

将棋の鬼

 

 俯いたまま、牟田はしばらく動けなかった。

 息は乱れ、|両掌《りょうてのひら》にべっとりと油を塗ったようになっていた。

 頭の熱が少し冷めて、改めて対局者を見上げる。

 落ち着いて来ると、相手の息使いが耳に入ってきた。

 自分より遥かに荒い ───

 肩でゼイゼイと息を吸い、目は大きく見開かれ額からの汗が光っていた。

 頭を何度もかきむしった跡があった。

 トレードマークのショートボブは|蓬髪《ほうはつ》と化していた。

「まるで、地獄の鬼だな」

 終局後の第一声だった。

 顔を両手で覆い、盤面を凝視している。

 部屋には静寂だけが残されていた。

 抜け殻のような駒たちが、盤面に散らばる。

 頭の中では無数の盤面が走馬灯のように宇宙を作りだす。

「あの、3手目の ───」

 ボソボソと隼鷹の口から何かが出た。

 指で75の地点を指している。

 ゆっくりと身体を前に傾け、指を盤に付けた。

「ここです。

 この手が分からなくしました」

「ああ、悪かったな。

 凄い構想だったよ。

 多分75歩に対処したお陰で一手遅れた」

「違います。

 雁木で対処する筋があったなんて ───」

 隼鷹の手は震えていた。

 顔を上げて、スポットライトに照らしだされた形相は、鬼そのものだった。

「お前 ───」

 思わずギョッとして声を出した。

 将棋の鬼。

 奨励会から弾き出され、闇に沈んだ自分など比べ物にならないほどの闇を感じた。

「ああ、こんな手があるなんて。

 コンピュータが雁木を好むのは、ここにも含みがあるからなのか」

 牟田への言葉ではなかった。

 将棋の神 ───

 恐らく彼には見えている。

 絶対に追いつけない、神の領域が。

アンダーグラウンド将棋

 

「いやいやいや。

 いいモノ見せてもらいましたよ」

 暗闇に入ってきた男がいた。

「金子さん、この一局は約束通りお願いしますよ」

「分かってる、分かってる。

 こんな名勝負、闇対局場でやっただけで充分だ。

 将棋盤と駒は、家宝にするぞ」

 隼鷹はきょとんとしていた。

「そういえば、ここはどこなんですか」

 牟田に誘われてやってきて、変わった趣向だな、くらいにしか思っていなかった。

 日本全国を飛び回り、パリ対局もこなしたのだから少々の変化では驚かなくなっていた。

「牟田さんには、稼がせてもらってますよ。

 ふふふ」

 揉み手をする金子は、卑しい笑いをする。

「将棋を賭けの対象にする、アンダーグラウンド将棋の対局場を借りた。

 軽蔑されるかな」

 ニヤリと笑った牟田を、真っすぐに見た。

「いいえ。

 将棋を指すなら、どこでも一緒です。

 賭けをしているのは、ギャラリーでしょう。

 それに、この対局は無関係のようですし」

 ため息を深々と一つ吐いた牟田は、天井を見上げた。

「地下の闇からは、空が見えないと思っていたよ」

「宇宙なら、どこからでも見えますよ。

 将棋盤が綺羅星を見せてくれます」

 将棋指しは、盤面に没頭するときオーラを放つ。

 そして一たび離れれば人が変わったように戻るのだ。

「牟田さん、ぼくは雁木を見せてもらえて嬉しかった。

 あなたはプロの世界にいるべきだと思いました。

 将棋の神様を目指す仲間だと確信したのです」

 こんなクサイ台詞を平然と言えるのは、隼鷹が第一人者だからかも知れない。

 彼は本気で目指している。

 だから強いのだ。

 牟田よりもほんの少し思いが強かった。

 無垢な気持ちが、未知の手を究めさせるのだ。

 格が違うのはわかっていた。

 そもそも現名人と指すなど、普通はあり得ないのだ。

「なあ、俺の誘いに乗ってくれたのは ───」

「牟田さんと対局すれば、強くなれると思ったからです。

 そして、正しかった。

 さあ、感想戦をやりましょう」

 その日、4時間以上も変化の筋を検討し続けた。

余勢を駆りて

 

 隼鷹は名人以外のタイトルもほとんど獲得していた。

 プロ棋士は年間を通して、タイトルを目指して対局し続ける。

 一つでも獲れれば一流といわれている。

 異常な勝率で勝ち続ける天才棋士は、必然的に全冠制覇を成し遂げていく。

 将棋界の話題は隼鷹の活躍ばかりだった。

 そんな中、彗星のように現れた棋士がいた。

 久しぶりに別の棋士が取り上げられ、ニュースを賑わす。

 隼鷹に挑戦するという形ではあったが ───

 山形県天童市『ほほえみの宿 滝の湯』が注目の第一局の舞台になった。

 竜王はまだあどけない顔つきだが、20歳になると風格を備え始めていた。

 木々は色づき始め、空気が冷たくなってきた。

 手前には石で囲われた池。

 特大のガーデンパラソルが白くアクセントをつける。

 伝統あるホテルに、竜王戦のための『竜王の間』がある。

 木製窓の趣ある、長い縁側をゆっくりと歩く。

 途中で立ち止まり、外に目をやった。

 紅葉と空の色がまぶしいほどの鮮やかさである。

 身体に力がみなぎった。

 拳を握りしめた竜王は、歯を噛みしめた。

「恐ろしい ───」

 対局をずっと楽しみにしていた。

 だが、近づくにつれて凄まじい闘気を感じていた。

 命を懸けた真剣勝負になる。

 文字通り、相手は命を削って対局場まで辿り着いた。

 |襖《ふすま》は開け放たれていた。

 男の後姿を見止めた。

 |浅葱《あさぎ》に染め抜かれていた。

 まるで、切腹前の武士のように。

 一歩踏み入れると、分厚い空気がのしかかる。

 左手には、絵のように美しい木々が窓という額縁に収まっている。

 時が止まったように、微動だにしない男。

 目を閉じて|秋《とき》を待っている。

「今度は、私がお誘いしました ───」

「うむ」

「光の対局場で、指しましょう」

 静かに言うと、すっと上座に腰を落とす。

「今日は特別です。

 人払いさせていただきました」

 い草の香りが漂う。

 頭の中の将棋盤は、すでに動き始めていた。

挑戦者

 

 アマチュア竜王戦で優勝。

 竜王戦6組のアマチュア枠で出場し優勝。

 本戦でもすべて勝った。

 アマチュア棋士に負けは許されない。

 前人未踏の全冠制覇を果たした竜王に、挑戦するため突き進んだ。

「牟田さん、我々は太陽と共に戦うのです」

 駒を一枚一枚、大橋流で叩きつけていく。

 互いの呼吸はピッタリ合って、駒音が高く響いた。

 2人は、超然として俗人と違う領域にいるようだった。

 澄み切った空気が畳の上に漂っている。

 ちらりと外の風景に目をやった。

 牟田の目には、無数の将棋盤が映っている。

 すべての戦型に対応できる隼鷹の将棋は隙がない。

 序盤の創造力も、中盤のセンスも。

 終盤に至っては、コンピュータのような正確さを見せた。

 何をしても無駄。

 ことごとく跳ね返す。

 突破口などない。

 最早、気分で指す以外なかった。

 ひとしきり考えた後で、巡り合わせを感じた。

「やはり、アレしかないか」

 定刻になった。

 先手は牟田。

 時計が回り始める。

 目を閉じて、今までの将棋人生を思い出した。

 幼い頃から神童と呼ばれ、地元では敵なしだった。

 将棋センターでも、大人を負かし続けプロに弟子入りする。

 奨励会でも勝ち続け、三段リーグまでは順調だった。

 だが、神に近づこうとする男に阻まれた。

 そうだ、目の前にいる男に。

 だが、その先があった。

 闇に堕ち、腐っていた自分を白日の下に引きずり出したのだ。

 もう一度外を見た。

 太陽にくもりはない。

 濁った眼を透き通らせた。

 俺は、自分に負けていた。

 将棋は俺のすべてだ。

至高の一手

 

 ▲76歩 ───

 最も前例が多い初手。

 2位は▲26歩である。

 隼鷹はこちらを多く指していた。

 そして▲56歩、▲96歩、▲16歩と続く。

 コンピュータはこれ以外の初手を多く選ぶ。

 まだまだ工夫の余地はある。

 静寂が破られると、パタパタと進んで行った。

 お互いに同形の雁木ができあがった。

「やはりな」

 思わず口元が緩んだ。

 今日は良く晴れている。

 外の陽射しが、木漏れ日となって丸い粒を落とす。

 駒の残像が、無数の光に変わっていった。

 宇宙に嵐が吹き、光が飛んでは消えていく。

 正解はどこにもない。

 指したい手を選んだ。

 互角の形勢のまま封じ手

 翌日も均衡が崩れなかった。

 終盤、牟田は詰み筋を見つけ寄せきった。

 心はずっと水鏡のように静かだった。

「負けました。

 ありがとうございました」

 呆気なく勝った。

 隼鷹の顔にも、あまり表情が現れなかった。

 目は薄く開かれ、静かに局面に目を落とす。

 報道陣が押しかけ、シャッターが切られる。

 インタビューのマイクが牟田に向けられた。

「一局を振り返っていかがでしたか」

 頭の中に静寂があった。

 言葉は聞こえているのだが、現実味が感じられない。

「ずっと、外を散歩しているような気分でした。

 人生を振り返り、木漏れ日がまぶしい道でした」

 何を言っているのか、おかしなコメントだった。

「なるほど。

 これまでの道筋を考えれば、万感の思いでしょう」

「まあ、そういうことです」

 適当に取り繕った。

 無心。

 カッコつけてそう言えばよかった。

 局面についていくつか質問を受け、読み筋を話す。

「ここでは、他に手はないと思っていましたが、改めて考えると本局のような指し方がありました」

「私は牟田さんの筋について行くだけで精一杯でした。

 完敗です」

 ポイントになる局面を検討した後、それぞれの部屋へ戻って行った。

運命のふたり

 

「アマチュア棋士竜王を獲得」

 隼鷹の一強だった勢力図がガラリと変わる。

 マスコミは大きく取り上げ、日本中の話題になった。

 タイトルを獲得したアマチュア棋士の処遇について理事会で検討される。

 隼鷹の意見が求められた。

「牟田竜王は、将棋界を牽引していく実力を備えた棋士になりました。

 いち棋士として、好敵手を得た喜びを感じます」

 その日のうちにプロ編入を決定し、会見が開かれた。

 

竜王戦は完敗でした」

「何を言うか。

 フルセットの末、第一局のアドバンテージでたまたま獲っただけだ」

 牟田は顔を|顰《しか》めた。

「だが、闇で見る宇宙よりずっと深く広かったぞ」

 

 その後も、牟田は順調に勝ち進みA級棋士の仲間入りをする。

 8大タイトルを2人で獲り合い、ニュースを賑わした。

 神への挑戦 ───

 牟田の心にも、真理を求める炎が灯るようになった。

 将棋盤という無限の宇宙に、綺羅星のような筋を追いかけながら。

 

 

この物語はフィクションです