魔法のクリエイターと言われる理由、お教えします

人は知る。人は感じる。創作で。

【小説】ガラクⅤ 雨上がりの蒼穹

ラクはある日突然、自分が殺し屋と軍人の娘であることを知る。そして自らの身体にも、戦いのサラブレッドとしての血が流れていた。両親の師匠にして親代わりでもあるレックスの紹介で、民間軍事会社ガルーサ社で軍人としての第一歩を踏み出す。そこで待っていたのは、死んだと言われていた母ゼツだった。最新鋭の戦闘機でやってきた母に連れられて、中東のアルバラ共和国パルミラ基地を目指す。基地を目前にしてパルミラの手練れに囲まれるが、父ラルフと仲間の機転で切り抜けることができた。懐の深い司令官クリスは、ゼツとガラク、ラルフに給油を許した。山岳基地パルミラに降り立ったガラクとゼツ。突然襲ってきたスパイ狩りを退けた後、彼女たちを待ち受けていたのは頼りになる、あの老人だった。

 

 

「しかし、お前さんも損な役回りだな」

 白髪頭を掻きむしりながら、ハーティ・ホイルが人懐っこい笑みを浮かべた。

「ナセルとは、殺し合う理由がない。

 成り行きで敵同士になってしまっただけさ ───」

 窓の外には黒くそそり立つ山が連なり、先ほどから降り始めたにわか雨が視界を濡らしていた。

「ほれ、砂漠も悲しいとさ。

 天気ってやつは、意外と人間の心を写しているものさ」

「確かに、今日は湿っぽくなる気分かも知れないな」

 計器の上に手を突いて、クリスは黒い雲に覆われた空をぼんやりと見上げる。

 灼熱の砂が広がる平地と、荒々しく尖った岩肌は、人を寄せ付けない|過酷《かこく》なアルバラという風土がもたらす風景である。

 そして泥沼化する紛争が、大きくなり続けて今に至る。

 戦争が起これば武器を売り込みに商人がやって来て、敵味方関係なく金さえ払えば武器を売る。

 つまり、金が尽きた方が負けるのが、現代の戦争である。

 個人の信念よりも、最新の武器に、とりわけこの地では戦闘機を手に入れなくてはならない。

 その戦闘機を手足のように操るパイロットも|勿論《もちろん》である。

「政府軍も、反政府軍も、ドッグファイトにおいては外人部隊の敵ではない。

 ほとんど七面鳥撃ちだ」

「そいつは、死線をくぐったエトランゼの連中が特別なのさ」

 頭を抱えてクリスはハーティに背を向けた。

「俺は、時々恐ろしくなる。

 自分が、ただの|殺戮《さつりく》をしているのではないかと ───」

「ワシも同じさ。

 武器を売っていれば、戦争を大きくしているようなものだ。

 そろそろ潮時だと思っている。

 お前さんのように、自分の行く末を本気で考える人間が近頃増えてきた。

 お陰で、ワシも自己嫌悪に駆られるようになってな」

 ツカツカとドアに向かって歩いて行くと、老人は背中を向けたまま言った。

「国を捨て、信念を捨て、家族を捨て、人生を捨て、未来を捨て、魂を捨てても残った物がある」

「それは、何だ ───」

「『男の尊厳』だよ」

 

 ホーネットのダークグレーの翼が、地上の目標を捉えようとしていた。

 山岳地帯へギリギリの高度で侵入すると、地上からは視認しづらくなる。

 平地へ出る瞬間、地対空ミサイルが雨あられと襲いかかってきた。

 センサーが反応し、けたたましい音と共に視界が赤く囲われる。

 機体をロールさせながら、真っ直ぐに斬り込む。

「ビービーうるせえ。

 ミサイルが来てるのは分かってるんだ。

 |喚《わめ》くんじゃねえ」

 |操縦桿《そうじゅうかん》をわずかに引き、爆弾を投下すると同時に戦車へ20ミリバルカン砲の雨を浴びせる。

「戦車がウジャウジャ居やがる。

 もう一回積んで出直すぞ」

「おい、ラルフ。

 あまり入れ込むなよ。

 ミッションはほぼ達成した」

 上空を旋回して、敵戦闘機を|威嚇《いかく》していたホワイトの声だった。

 装甲車の群れを攻撃し、正規軍の補給路を断つ目的はほぼ|完遂《かんすい》していた。

 後方の砂漠から、石油が燃える黒い煙を確認すると、ふうと一つ息をついた。

「それもそうだな。

 全機、帰投する。

 燃料が少ない者から先に行け」

 ラルフは2機を引きつれて、また低空飛行でアル・サドンを目指した。

 陽が沈みかけ、雨雲が砂漠に暗い影を落とす。

「荒れそうだ。

 雲の上に出ろ」

 ホワイトの指示に従って、3機は暗い塊を突き抜けていく。

 真っ暗な視界から高度計に視線を移すと、3000メートル程の高さで雲の上に出た。

 ウソのようにカラッと陽が差して沈む太陽を認めた。

「また雨か。

 ラルフが来てから、増えた気がするな」

 ふと、ラルフの脳裏に娘の顔が浮かんだ。

 そして胸騒ぎが、呼吸を苦しくさせた。

「中東の先輩として言わせてもらうが、感情的になるなよ。

 任務を冷静に遂行していれば、生き残って地上へ降りられる。

 お前には家族がいるのだから、無駄死にはするな」

 ホワイトの声は、珍しくトーンダウンしていた。

「ホワイト、お前こそ他人の心配とは、ヤキが回ったんじゃないのか」

 4機は横に並び、渡り鳥のように上になり、下になり、風に身を任せるように揺らいでバーナーの尾を引いて行ったのだった。

 

 ライトニングⅡを納めたハンガーに戻ったゼツは、木箱の山の隅に腰を下ろした。

 後ろに束ねた髪をほぐし、もう一度縛り直すと、ガラクの方に視線を向けた。

「どうしたんだい。

 そう気を張っていちゃあ、いざって時息切れするぞ」

「お母さんこそ敵地の真ん中で、髪を結び直してる場合なの」

 油断なく倉庫の隅々まで見回し、突っ立っている娘の姿が|可笑《おか》しくなってゼツは吹き出した。

「あははは、違いないな。

 お前の方が正しいよ、きっと」

 すっくと立ち上がると、一緒になってキョロキョロ見回して、また笑い出す。

「私のこと、バカにしてるわね」

 |頬《ほお》を少し|膨《ふく》らませて、口を尖らせた。

「恐怖も緊張も、生き残るために必要な感情だよ。

 私だって、家でのんびりしているときと一緒じゃないさ」

 脇に仕込んでいたベレッタを抜き、何かを確かめるように眺めたまま母の目尻がわずかに引き|攣《つ》るのを認めた。

「何」

 背後で何かが動いた。

 全身の毛穴が開き、髪がふわりと浮く感覚と、足元がどっしり地面に食いつく感覚。

 ファリーゼで銃撃戦を初めて見て、死を直感した時と同じだった。

 ゆっくりと身体を|捻《ひね》り、視界に捉えたのは美しいブロンドの長髪でスラリとしたファッションモデルのような若い娘の姿だった。

「あんたたちは、正義の女神アストライアか」

 銃をホルスターに収め、足で地面を|擦《す》るように、滑らかな足取りで近づいてくる。

「あ ───」

 彼女の挙動には無駄がなかった。

 |隙《すき》のない身体には、心を素手で|掴《つか》まれるような重い|威厳《いげん》が備わっていた。

「わ、私はガラクよ。

 母のゼツは強いけど、私はからきしでね」

「私の名前はナット・ジェナー。

 この状況では、こっちが死に|体《たい》なんだけどな ───」

 喋りながら徐々に口元が緩み、ついに腹を抱えて笑い始めた。

「ガラク、私はちょいと大人の用事をしてくるから遊んでおいで」

 優しく娘を|愛《いと》おしむような|双眸《そうぼう》に、ジェナーは軽く会釈してガラクを引っ張って奥へと消えていった。

 

 アルバラ共和国空軍基地である、アル・サドンは元々中立的な立場だったが戦況が|芳《かんば》しくない反政府軍を支援する外人部隊になった。

 総司令官のナセルは政府軍外人部隊にいるクリスと旧知の中であり、戦友でもある。

 物静かで闘志を内に秘めるタイプだが、愛機クフィルのコックピットに収まれば、軍神マルスと見紛うばかりの勇敢さと、虎をも射殺す|獰猛《どうもう》さを|露《あら》わにする。

「ホワイト、塩取ってくれんか」

「ほい、投げますよ」

 ほぼ直線を描いて飛んだ味塩が、ひょいと上げた右手に乾いた音と共に収まった。

「ほれ、お前も使え、アリー」

 戦闘機乗りとして、超一流の腕前を誇る3人は、何度も共に死線をくぐった仲間と言って良かった。

 簡易食堂のトレーを並べて ゆで卵 とカレー、サラダとスープを口に運ぶ姿に階級差は感じられない。

「最近のラルフの活躍は、神がかっているな」

 他人事のように、アリーが言った。

「この前は『戦車がウジャウジャいやがるぜ』なんて言って、もう一度出ようとしたが基地に帰らせたんだ」

「ほう、娘には会えたのだろう」

「そのようですが、妙に張り切っていて少々心配です」

 スプーンを止めたナセルは、思案顔で遠くの壁を眺めていた。

「彼は、根っからの軍人ではないと思います」

 ホワイトも手を止めた。

「と言うと ───」

「我々よりも、遥か未来を|見据《みす》えて生きている。

 そんな感じがするのです」

 カチャリと食器を乗せたトレーを持ち上げたアリーは、ホワイトの言葉を聞いて表情を引きしめた。

「我々に、未来はあると思うか」

「いいえ、未来を捨てた人間が叫び、踊るために集まるのが戦場というものです」

「違いないな。

 作戦会議の前に、奴のホーネットのガンカメラを確認しただろう。

 どう思った」

「正直、敵には回したくないですね。

 挙動に理解不能なニュアンスを織り交ぜて、最短距離で敵に向かい正確無比の攻撃をしていました」

アル・サドンの元ナンバーワンであるアリーも舌を巻くか ───」

 そんな話をしながら、3人は管制塔へと引き上げて行った。

 

 敵の基地に潜入しているというのに、娘は若い友人でも見つけたかのように共に笑った。

 そしてゼツ自身も、自分に向けた殺気がほとんど感じられないことに違和感を感じていた。

アル・サドンのゼツ・ノエル・オリベールです」

 管制塔まで来るようにと、整備兵に言われてやって来たが、ドアは開け放たれて、廊下をジョギングしていた兵士も|一瞥《いちべつ》しただけで走り去って行った。

 レーダーを見ていたクリスが振り向くと、握手を求めてきた。

「司令官のクリスティ・ドゥイ・ブロトン大佐だ。

 あなたに撃たれたファリド・ハッサンは、故郷のアラブに送ったよ。

 鮮やかな手際だな。

 正規軍には『スパイなど、くそくらえだ』と打っておいたぞ」

 両手を小さく上げて、降参した、というポーズを取りながら言った。

「戦闘機ではお宅の若い兵士に撃ち落とされそうになったがね。

 地上に降りれば私の土俵だよ」

「ガルーサ社の大佐だそうだな。

 うちにも何人か来ている。

 まあ、外人部隊の人間関係は複雑だ」

 外に目をやると、陽は沈み、雨粒が窓ガラスを伝って流れていた。

「ナセル指令から、クリス指令によろしくと言われてね」

 やや厚底の靴を手で取り上げると、|踵《かかと》の部分から小さなチップを取り出した。

「これは ───」

「パスワードは『ガラク』、私の娘の名だ」

 コンピュータでデータを開いたクリスは、頬に拳を当てて|唸《うな》った。

「そういうことだ。

 総力戦に備えて、お互いに無益な血を流さないための措置だと思って欲しい」

 収められていたのは、最後の決戦になったときに基地を捨て、正規軍を切り抜けて再起を図るための飛行ルートと、落ち合うポイント、そして使用する暗号などだった。

「やはり、ナセルも感じているか」

 正規軍には、最後まで守り抜く国がある。

 だが、外人部隊は寄せ集めの雇われた兵士である。

 敵味方に分かれているからと言って、崩壊しようとしている国のために死ぬ理由はない。

 まして、ナセルもクリスも旧知の仲である。

「内通を知ってしまった者は、始末されるのが世の常だが ───」

 シールドという、ポピュラーな拳銃を腰にピッタリ押し付けたまま、銃口をゼツに向けた。

「まあ、|流石《さすが》にそう来るだろうな」

 両手を上げて、目を伏せたゼツはクリスの言葉を待った。

 だが何も言わず、銃をホルスターに収めてクリスも窓ガラスの雨粒に視線を移した。

「ホーネットのパイロットだが」

「ああ、私の夫、ラルフのことかい」

 雨粒の向こうには、底知れぬ闇が広がっていた。

「奴は、死ぬかもしれないぞ」

 

 ジェナーと肩を並べて談笑して歩くガラクは、|傍目《はため》には友達同士でお喋りを楽しむ若者に見えた。

「へえ、じゃあ軍隊に入ってからまともな訓練も受けずに、ここに来たってわけ」

「そうなの。

 銃の扱い方だけはレックスに教わったのだけれど、実戦で敵を撃つには足りないものが、まだまだ|沢山《たくさん》あるわ」

 その時、背後に積まれた木箱の山の影から、誰かが近づいてきた。

 身を隠すでもなく、堂々として足音を高く響かせながら。

「ライトニングⅡに乗っていた、若い方の女か」

 ため息をついて肩をすくめた。

「あなた、盗み聞きしてたのね」

「当たり前だろう、敵の兵士と、こんなに目立つところで話をしていて、何事かと思って聞いていたんだ。

 クリストファー・キンバリーだ。

 昼間あんたのライトニングⅡに狙いをつけて警告したのは俺さ」

 目つきが鋭くて、気後れするほど威圧感があった。

 だが顔つきは丸みがあり、幼さが残っている。

「それで、なぜ外人部隊に来たの」

 ガラクを2人の視線が射貫いた。

 改めて問われると、理由が分からない。

 ポカンと口をパクパクしたまま、周囲をキョロキョロと見回すだけだった。

 ジェナーはまた、どっと腹を抱えて笑いだした。

「ほら、おもしろいお嬢さんでしょう。

 出来の悪いコントみたい」

 指を指してゲラゲラ笑う彼女を見て、ガラクも|可笑《おか》しくなった。

 そしてキンバリーも口角を引き|攣《つ》らせて、クククッと笑い始めた。

「ここは地獄の激戦区だぜ。

 明日をも知れぬエトランゼに、良く分からずに来てしまったみたいな顔してやがるぜ。

 本気かよ」

 こらえきれなくなって、3人は高らかに声を上げ、天を仰いで大口を開けて笑った。

 チェコやスペインのファリーゼ、パリでの出来事がガラクの口を突いて出た。

 家を出てから、|怒涛《どとう》のように自分の身に起こった理不尽とも言える運命を、他人に話したのは初めてだった。

 ずっと、だれかに聞いてもらいたい気持ちでいっぱいだった。

 もしも、戦場以外でこの話をしたら、信用してもらえないかも知れない。

 それほど現実離れした運命だった。

 突然消息を断った両親と、再会したばかりで、その場所は敵地のど真ん中で、生きているのが不思議だなどと言うと、また笑いが込み上げて肩をゆすった。

 キンバリーはガラクと同じ20歳だった。

 なのに軍人としては遥かに経験を積んだ先輩だった。

 ひとしきり話して、気を許したのか彼が言った。

「実はアル・サドンの兵士がうちの基地でうろついていても手を出すなと命令があったんだ。

 敵同士のはずなのに、おかしな話だが、外人部隊の人間は様々な顔を持っている」

「どういうこと」

「例えばお前が入ったガルーサ社から、うちにも派遣されているのさ」

「そうさ、戦争ってやつは色んな顔がある。

 影には沢山の陰謀が巡らされていることもある ───」

 白髪の小柄な老人が、後ろ手に組んで木箱の上から見下ろしていた。

 

 艦載機乗りとして、アメリカ空軍でも屈指の腕前を誇るケイ・ホワイトは、ハーティ|爺《じい》さんが持って来たスーパートムキャットの性能を確かめながら小隊の前で喋りまくっていた。

「おい、見たか。

 アフターバーナーなしで編隊に遅れず付いて行けるぞ」

 旧世代の代表格だったトムキャットを改良して、ステルス性能と新型エンジンを搭載したモデルをアメリカが秘密裏に開発していた機体は、途中で放り出されていた。

 残っていた設計図を元に、部品をかき集めて試験機を、こしらえて来たのだった。

 主翼が大きく開くと、他の機体を圧倒する迫力がある。

 この可変翼と、火器管制能力の高さが魅力で、翼の動きから「猫」の耳のようだとか、偵察能力の高さから「ピーピングトム(覗き屋)」のトムなどと言われることもある。

 低空飛行するラルフとアリーの小隊を見下ろし、今回も上空制圧をホワイトが任されていた。

「おいでなすったぜ。

 今日のエースはどちらか、競争だ、アリー」

 ヘルメットの中で軽く舌を出し、唇を湿らせると|操縦桿《そうじゅうかん》を引きながらアフターバーナーに火を入れたラルフは、山なりの軌道を描きながら敵編隊の中心めがけて飛び込んだ。

「ちょっと待て、様子がおかしいぞ」

 そこまで言ってアリーは、背筋に悪寒が走った。

 何かいつもと違う。

 ライトニングや、ハリアーのような小回りが利く機体で構成された敵編隊は、何かを狙っているような予感をさせた。

「一度やり過ごして様子を見ろ、ラルフ」

 ホワイトは叫んだ。

「細かいのが揃ったって、乗り手が素人じゃあ話にならんのさ」

 耳を貸さずにラルフは正面から突っ込んでいった。

 立て続けに発射したミサイルを、小刻みな動きで山間に誘導しながら|躱《かわ》して山服に衝突させてやり過ごす者がいた。

 そのまま機影は山の中に消えてしまった。

「ちくしょう、どこへ行きやがった」

「しまった、上だ、ラルフ」

 ふわりと大きく浮き上がったハリアーが後方上からバルカン砲の帯をホーネットに浴びせかける。

 その時、さらに上方からスーパートムキャットが躍りかかり、敵のコックピットを射貫いた。

 滑走路に向かうホーネットのエンジンから、黒い煙が長く伸びる。

 待機していた消防車が消火剤を浴びせ、コックピットからラルフを引きずり出した。

 頭部に傷を負い、ヘルメットの中に血が溜まっていた。

「へへ、ヘマやっちまったぜ。

 バルカン砲の弾が|掠《かす》めやがって、このザマだ。

 神様に、チョーシこくなと叱られたな。

 ホワイト、恩に着る」

「いいから、もう喋るな」

 ストレッチャーに括り付けられた彼は、力なく笑った。

 

 管制塔で椅子に腰かけたまま、ぼんやりとレーダーを眺めていたクリスは無線の音で我に返った。

「ジェナーです、ガラクと共に演習飛行をしたい。

 離陸許可を ───」

 少し驚いたが、若者同士、そして激しい戦闘に明け暮れる外人部隊では少ない女兵士だ。

 多くは聞かなかった。

 窓の下に、ハンガーから離れて行くライトニングⅡを認めると、飛行ルートを確認した。

 当直の管制官がやって来ても、クリスは持ち場を離れようとしなかった。

「どうか、若い世代が、このアルバラに、|碧空《あおぞら》を取り戻してくれる日が来ることを。

 血に|濡《ぬ》れた大地に眠る魂を、|慰《なぐさ》める日が来ることを」

 |呟《つぶや》く声に反応して続いた。

「司令、何か言いましたか ───」

 レーダーの前を管制官に譲ると、重くなった身体を椅子に沈めて|頬杖《ほおづえ》を突いた。

 滑走せずに空へ上がる光を追っていた目に、アフターバーナーの|眩《まばゆ》い|輝《かがや》きが映ると、遥か空の彼方を目指して消えて行った。

 そうだ、足踏みしていても兵士たちは死地へと向かって飛んで行く。

 続いてキンバリーのクフィルも飛び立った。

「男の尊厳か ───」

 いくらか頬がこけて|皺《しわ》を深くした自分の顔も、そろそろ地獄の業火に焼かれる時かもしれない。

 パサパサになった髪を掻き上げると、足を引きずるようにして自室へ引き上げて行った。

 

「ほら、ガラク、演習モードだから思いっきり発射ボタンを押してごらんよ。

 キンバリーは、すばしこいからよく狙いをつけて」

 拳銃を手にしたときのような、頬のあたりがヒリつく感覚を覚えた。

 身体の感覚が消え、「自己」という存在が一つのエネルギーに変わっていく。

 照準器の中心に機影を捉えたとき、心に渦巻く違和感が消え、この世界の何もかもが中心に集まってきたようだった。

 一発だけ発射したレーザーは、確実にキンバリーのコックピットにヒットした。

 そして操縦桿を握ると、ジェナーが言った。

「そう、その調子よ。

 あなたには才能があるみたいね。

 でも、|溺《おぼ》れちゃだめよ。

 良い戦闘機乗りは、自分を持たないものなの。

 忘れないでね」

 年老いた武器商人が一言、空に向かって呟いた。

「Good Rack ───」

 

 

この物語はフィクションです