魔法のクリエイターと言われる理由、お教えします

人は知る。人は感じる。創作で。

【小説】焼き魚食道

理想の食堂

 

 S県川内橋市の国道70号線沿いに古い食堂がある。

 川内橋駅から100メートルほど北へ駅前通りを進むと70号線に交わる。

 その交差点から20メートルほど東へ進むと右手にある。

 片側2車線の国道を大型トラックが地響きを立てて走り抜け、ガタガタと店が軋む。

 駐車場は小さいため乗用車ですぐに一杯になってしまった。

 空は碧く高い初夏。

 色とりどりの車を眺めながらタブレットに何か打ち込んでいる男がいた。

 鮮やかな青のジャケットに白シャツ。

 陽射しが眩しそうに目を細めていた。

 車が一台、左のウインカーを点けて減速している。

 店の手前まで来ると加速して去っていった。

「3人乗っていた。

 家族連れだろうな。

 明らかに戦略がない ───」

 ポツリと言うと、また何か入力する。

「|文月《 ふづき》」

 手を振って女が駆け寄ってきた。

「|瑞樹《みずき》。

 この店は簡単な案件だな ───」

「どんな戦略でいくつもり」

「まあ、クライアントと面談しよう。

 筋書きはできている。

 ただ ───」

「ただ」

「手強いのはいつも、人間の感情だ」

 文月は空を見上げた。

 瑞樹は腕時計を確認した。

 午後1時を回っている。

「そろそろ頃合いじゃないかな」

「そうだな」

 先頭に立った文月が店の引き戸に手をかけた。

 あらためて店内の様子を窺うと、違和感があった。

「やっぱり、子どもの姿がない」

 瑞樹も引き戸を閉めながら店内をくまなく見まわした。

「確かに、国道沿いの食堂って感じじゃないね」

蓬莱

 

「いらっしゃい」

 40代の女性が声をかけた。

 白い割烹着姿で、手を拭きながら愛想よく笑う。

 背は文月より頭一つ分小さい。

 文月は進み出て銀の名刺入れを取り出す。

「私は、コンサルタントの|文月 優斗《ふづき ゆうと》です」

 両手でつまんで差し出したが、ひょいっと片手で取って眺めていた。

「|瑞樹 《みずき》るりです。

 文月と一緒に仕事をしています。

 ご連絡いただき、早速調査に参りました」

 2枚の名刺を左手の親指と中指、人差し指でつまんだまま奥へ引っ込んでいった。

「この店一筋でやってきたんだろうな」

「名刺の受け取り方ね」

「それだけじゃない。

 手がグローブみたいに硬くなっていた。

 ずっと水仕事をしていたせいだろう」

 厨房の暖簾を上げて40代の男が顔を出した。

「あんたが、コンサルさんかい。

 片付け物しながら、話しようか」

 2人を厨房へと促した。

 だが、

「いえ。

 作業しながらできるお話ではありませんので、こちらで待たせていただきます」

 きっぱりと言うと、空いている席に腰かけた。

「賄いで良ければ出すけど、食べるかい」

 メニューを調べるつもりだったが、賄いをいただくことにした。

「おばさまは、このお店でずっと働いているのですか」

「あらあ、おばさまだなんて。

 おかみさん、おやじさんでいいよ」

 二カッと歯を見せて笑う。

 言葉も振る舞いも大衆食堂のおかみさん、といった雰囲気である。

「それで、瑞樹ならどんなプランを描く」

 作り笑顔を消して、眼の端に光を帯びた。

 メニューを眺め、少し唸ってから、

「看板を目立つようにして、国道から家族連れが入れるようにすればいいと思うけど ───」

 また唸って店内を見回した。

 客は一人もいなくなっていた。

「そういえば、POSシステムあるのかしら」

「ないね。

 レジを見たところ会員カード、スタンプカードの類もない」

「まずはそこかなあ」

 苦し気な表情を浮かべる。

 本質的な解決にならない気がしていたが、コンサルタントとして何を指摘すればいいか袋小路に迷い込んでしまった。

 文月は32歳だが、フランチャイズチェーンのコーディネートを何社か経験していた。

 昨年独立起業して、ときどき仕事をしては家に引きこもる生活をしていた。

「文月さんって、いつも何してるんですか」

 丁寧だが唐突に直球が投げられて文月はハッとした。

「えっ。

 俺 ───」

 厨房では皿がカチャカチャ音を立て、鍋の乾いた音が響く。

 夕方の仕込みを始めたのかも知れない。

 まだ時間がありそうだった。

 入口に下がった|暖簾《のれん》には「蓬莱」と雲形模様が染め抜かれている。

 デザインセンスはなかなかのものだ。

「本を読んでるよ」

「どんな」

「デザインと、マーケティング、小説、エッセイの本とかプログラミングとか」

「何でも読むんだね」

「ああ、何でもだよ。

 最近宇宙ビジネスのこと調べてる」

「へえ」

 瑞樹は話しながら人差し指をくるくる回している。

「もしかして、煮詰まって時間稼ぎしてないか」

 ガックリと肩を落とした。

「その通りです ───」

宇宙目線で考える

 

 文月は厨房の暖簾に目を移した。

 ちょうど、おかみさんが賄いをお盆に乗せて持って来るところだった。

 速足で滑るように近づいて、音を立てずに丼飯と焼き魚とおしんこ、味噌汁を置いた。

「うちの賄いは、一番の自慢料理さ。

 これも調査の内ってことで、味わってちょうだい」

 また笑顔を見せて、忙しそうに戻って行った。

「ふうむ。

 一番の自慢料理か ───」

「これは、調査しなくては」

 割り箸がいっぱいに詰まった箸立てに手を伸ばした。

「SDGsも考えて割り箸はやめた方がいいかもね」

 文月は眉間に皺を寄せ段々と渋い顔になっているように見えた。

「あとは ───

 そうそう、ポイント貯めてプレゼントキャンペーンとか」

 ふう、と大きくため息をつくと、文月は両手にこぶしを作ってテーブルに置いた。

「ダメですか ───」

 眼を閉じて|頭《かぶり》を振った。

 苦し気に顔を手で覆い、またため息が出る。

「ダメだねえ。

 全部ダメだよ」

 少し飯とおしんこを|齧《かじ》ってから、焼き魚に箸をつけた。

 変哲のないアジの開きである。

 ただ、さすがプロの仕事である。

 表面がこんがり焼けて、身が少しほどける柔らかさ。

 少ししょっぱさを感じる香ばしさ。

 口に|涎《よだれ》が|滲《にじ》んでくる。

 1㎝ほど身をつまんで口に運んだ。

 歯触りがほどよくプリプリしていて、小さいのに噛み応えがある。

 口の中に海が広がっていくかのようだ。

「うまい!」

 文月が今日初めて感情を表した気がした。

「ほんとだ、おいしい」

 2人は話題を忘れて|貪《むさぼ》り食ってしまった。

 味噌汁のダシもいい。

 魚の香ばしさをさらに高めて余韻を残す。

かつおダシかな。

 魚に魚って、こんなに深い味を作るんだな ───」

 すっかり平らげると、満足そうに目を細めて外の景色に目をやった。

「ねえ、なんで流行らないのかしら」

 文月は大きく息を吸い込んだ。

 口の中の香味が、喉の奥に広がっていく。

「宇宙目線で考えろ ───」

勝つために必要なこと

 

 瑞樹はメニューを開いて、しげしげと眺めていた。

「焼き魚以外にも、とんかつ定職とか刺身もあるんだね」

「そうだな。

 定食屋といったところか。

 アルコールを出さないところも気に入った」

 ニヤリと笑って、文月は真剣な目つきをした。

「どうして」

「定食屋の仁義だよ」

 厨房の方をまっすぐに見つめ、背筋を伸ばした。

「飲食店は、アルコールを出して儲けてるようなもんだ。

 だが、料理に自信があるのだろうな。

 直球で勝負し続ける覚悟を持っている。

 きっと仕入れにも秘密があるはずだ」

「売り上げが落ちてるんだから、アルコールも検討してみたらどうかしら」

 大きくため息をついて、頭を振った。

 厨房の方を指さして、

「ここは大事なところだ。

 いいかい。

 職人が信念を捨てたら死んだも同然だ。

 コンサルティングは、職人魂に寄り添ったものでなくてはならない」

「でも、商品の幅を広げれば売り上げアップできる気がするけど」

 左手の上に顎を乗せ、テーブルに肘をつく。

 右手の人差し指でコツコツと木製の天板を叩き始めた。

「ねえ、もしかして苛立ってる」

「いや、それじゃあこうしよう。

 まずは瑞樹が提案してみろ。

 頃合いをみて俺が修正するから」

 瑞樹の口角が上がり、ニヤリとした。

「実は私、自信があるのよ。

 今回は出し抜いてみせるんだから」

 暖簾の下からさっきのおやっさんが顔を覗かせて、ニコリと笑った。

「すまんね。

 仕込みが終わったから、お話しましょう」

背に腹は代えられぬ

 

 おかみさんが手際よく食器を重ねてお盆に乗せた。

「それでは、お話を聴きましょうか」

 文月と瑞樹の向かい側に夫婦そろって座る形になった。

 小さなテーブルを挟んで向かい合うと息遣いまで聞こえてきそうだ。

 瑞樹は鼓動が速くなるのを感じた。

 文月が目くばせをする。

 おやっさんと目を合わせた。

「では、このお店を再建するためのプランをいくつかご提案いたします。

 まず、会員カードを作成してはいかがでしょうか」

 おかみさんの方が|頷《うなづ》いた。

「あんた、どうだい。

 どこの店でもカードを発行してるんだよう。

 若い人の意見は聞いておくもんだよ」

 説いて聞かせるように言う。

「ううん」

 おやっさんも唸った。

「ポイント制にして、溜まったらソフトドリンク無料にするとかいかがでしょう」

「今はどこでもやってますよねえ」

「ポイントカードを持つことによって、このお店の常連さんだという意識も芽生えますよ」

「そうそう。

 ポイントもらってドリンクを貰おうって思うよねえ」

 おやっさんも頷いた。

「お子さんには何かサービスすると、家族連れが来るようになります」

「やってみないかい」

「周辺地域にチラシをポスティングします。

 もちろんチラシは私共にお任せください。

 ポスティング専門の業者を格安でご紹介いたします」

「ねえ、これしかないんじゃないかい」

 お客さんが減って焦りを隠せないおかみさんは、おやっさんをつついた。

「ううん」

 だが、唸るばかりで表情は変わらない。

 おかみさんの反応が良く、話が盛り上がって来たところで切り札を出した。

「そして、瓶ビールをメニューに加えてお客さんにくつろいでいただける定食屋さんにするんです。

 アルコールは利益率が高いので、お店の売り上げが必ず上がりますよ」

「ほらあ、あんた。

 皆さんそう思ってるんだよう」

「ううむ」

 眉間の|皺《しわ》を深くして、唸り声も強くなってきた。

 瑞樹は夢中になった。

 自分のプランがこんなにお客さんの心を動かしている。

 このお店が繁盛しているビジョンを脳裏に描いていた。

 窓の外にちらりと目をやると、少し薄曇りに変わっていた。

 ふんだんに差し込んでいた日光が、少し陰りを見せている。

 外でクラクションや大型トラックのエアブレーキの音が聞こえて来る。

 興奮した気持ちの裏に、一抹の不安がよぎった。

 文月は目を閉じて腕を組み、じっと下を向いたままだった。

箴言

 

 静かに窓の外を眺めたおやっさんの眼差しが、おかみさんに向けられた。

 身体を向けて、膝に手を置く。

「おまえ、この程度のことは何度も言ってきたはずだぞ。

 何か足りないと思わないか」

「ねえ、あんたも頑固おやじだねえ。

 いい加減覚悟決めたらどうだい」

 おかみさんの語気が強くなった。

 一度遠くを見てから、文月の方へ向き直った。

「それで、文月さんの方はどう思うんですか」

 話題の外にいて、まったく目を開けなかった文月に矢が飛んできた。

 3人の眼差しを一身に受け、重苦しい空気が両肩にのしかかる。

 鼻からすうっと息を吸い込み、肩を開きながら顔を上げる。

 丸まっていた背中が伸び、天井を見上げる格好になった。

 窓の外がさらに暗くなってきた。

 スポーツカーのブースト音やら、ガソリンエンジンの様々な音が混ざって耳に着く。

 国道沿いは、食事に向いていないのではないだろうか。

 瑞樹はそんな弱い気持ちに駆られた。

「蓬莱 ───」

 ポツリと文月が|呟《つぶや》いた。

「んっ。

 私は|蓬莱 良治《ほうらい りょうじ》といいます。

 妻は|蓬莱 芳子《ほうらい よしこ》です。

 苗字をそのまま付けました。

 なんでも、古代中国で東の海中にある仙人が住む仙境の一つだとか。

 それがなにか ───」

 天井を見つめ、両腕をテーブルに置いた。

 また大きく息を吸う。

「やめてください。

 理念がない。

 戦略の『せ』の字もありませんよ」

 上から視線を下ろし、おやっさんのに合わせた。

 瑞樹は背中に冷たい汗を感じた。

 おやっさんは拳に力を込めた。

 そして穏やかに言った。

「なぜです。

 売り上げと関係ないのではないかな」

 明らかに苛立っている。

 お客さんを興奮させてどうするのだろうか。

 にこやかだった、おかみさんも黙り込んでしまった。

 文月の顔つきが険しくなり、目つきを鋭くした。

「それが、売り上げを落とした元凶ですよ」

コンサルとは

 

 机に両手をついて、立ちあがった文月はおやっさんを見据えた。

 眼の奥には怒気さえ感じさせた。

「ここの焼き魚定食は絶品です。

 こんなにうまいアジの開きを出すのに、なぜ客が来ないのでしょう」

 店の中は、水を打ったように静まり返った。

 飲食店にいて、このような静けさを感じたことがあっただろうか。

 瑞樹はソワソワしてぐるりと見回した。

 話がどうも、おかしな方向へ向かっている気がする。

「地域の皆さんに、本気で向き合ってください。

 焼き魚定食のように。

 肝心なことは、そこだけですよ」

 おやっさんは、呆然とした顔をした。

 言っていることに具体性がなくて、とてもコンサルティングとは思えない。

 だが、胸に突き刺さった。

 横顔を見ていたおかみさんも、文月の次の言葉を待った。

「それで、何をしたらいい」

 おやっさんも立ちあがった。

 2人の目線はちょうど同じくらいだ。

 微動だにせず、視線を外さなかった。

「誰のための飯か。

 何のための飯か。

 何をするための飯か」

 少し慌てた口調でおかみさんが口を挟んだ。

「そりゃあ、いろんなお客さんに来てもらってさ。

 お店の中に活気があった、昔に戻って欲しいさ」

 見下ろす格好のままで静かに語り始めた。

「なあ、おまえ。

 この店は俺一代で始め、切り盛りしてきた。

 もちろん2人で頑張ってやってきたんだ。

 でもなあ、この人の言葉が何かを変えてくれる気がするんだ。

 何の変哲もない焼き魚だが、仕入れから、焼き加減から研究に研究を重ねて来たんだぞ。

 若い頃はノートにつけて、毎日少しずつ焼き加減を変えて試したもんだ。

 だから今の味が出せるんだ。

 そんな思いが、考えを狭くしてやしなかったか ───」

 おやっさんの、カッと見開かれた|双眸《そうぼう》が外の国道を凝視していた。

 最近、あまり外を見ないでせせこましく動いていた気がした。

焼き魚の道

 

「ねえ、父さん。

 新しくできた食堂、行ってみようよ」

 家族4人、車に乗ってショッピングモールへ行った帰りだった。

「そうだ。

 新しく駅前にできたってチラシが入ってたな」

「違うよ。

 店の名前を変えて新装オープンしたんだって」

 国道70号線沿いにちょっとした渋滞が起きていた。

「ああ、これじゃ入れないね。

 あれ、インターネットで席を予約できるんだって」

 車は2車線の右側に車線変更して通り過ぎようとした。

「へえ、『焼き魚食道』って大きく書いてあるね。

 前はどんな名前だったっけ」

「わかんない」

「知らないなあ」

「新しく焼き魚専門店にしたのかなあ」

 店構えは前面ガラス張りにして解放的な雰囲気にした。

 大きな魚のモニュメントを設え、看板は屋根の半分以上を占めていた。

 入口に置いた端末でチェックインすると席が示される。

 予約制にしても、行列を作って待つお客さんが絶えなかった。

「おまえさん、日替わり焼き魚定食4つ」

「はいよ。

 お客さん、今日はいいアジが入ったから、是非食べてってよ」

 仕入れをインターネットで独自に注文するようにした。

 すると、旬の魚を効率よく仕入れられるようになった。

「いろんな魚が入ってくるから、腕の見せ所だな」

 売り上げは2倍以上に跳ね上がった。

 リフォームにかなりの投資をしていたが、これなら数年で完済できるだろう。

 夕方になり、夜になるとさらに客足が増えていく。

 だが、アルコールは決して出さなかった。

 店の回転が遅くなるからである。

 ポイントカードや会員カードも発行しなかった。

 レジの手間を省く意味である。

 POSシステムの代わりに1か月に一度文月がアドバイスすることになっていた。

ストラテジー

 

「はあ、私の完敗ですね。

 やっぱりね」

 瑞樹はため息をついて、本に視線を落とした。

 文月のオフィスには、机が2つある他はほとんど本棚だった。

 まるで図書館のような本の山に埋もれて、鬼気迫る顔で次々にコンサルティングの本を読む。

「瑞樹のコンサルティングも、間違っちゃいないぞ。

 というより当たり前のことをしている」

「はいはい。

 文月さんは、普通のコンサルの枠に収まらない天才ですよ ───」

 ふくれっ面になった瑞樹は、文月が詠んだ本を|貪《むさぼ》るように読みあさった。

「でもさ、この仕事は病みつきにならないか」

「そりゃあね。

 『焼き魚食道』なんてアイデア出されちゃあね。

 笑いが止まらないでしょうよ」

 瑞樹は|自棄《やけ》になってきた。

「まあ、そう言うなって。

 一言で言えばストラテジーだよ。

 戦略を持って、宇宙目線で考えろ ───」

 

 『焼き魚食道』は、地域のニーズに見事に応えた。

 人の流れが自然になり、近隣の商店街にも活気が戻りつつある。

 スーパーのフードコートのような安定感よりも、個人店のフットワークで珍しい魚を出すことが魅力だった。

 リピーターが増え、口コミで噂が広がった。

 それが屋号ともマッチして個気味良く響く。

 響きは波紋となって地域社会を揺れ動かしたのだった。

 店の人気はその後も落ちることはなかった。

 

 

この物語はフィクションです