魔法のクリエイターと言われる理由、お教えします

人は知る。人は感じる。創作で。

【小説】ミラクル ホワイト カレー

奇妙な出逢い

 

 駅から10分ほど歩く。

 路地を入ったところに、あまりはやっていなそうなカフェが一件。

 木目調の看板に「SELA」と書かれている。

 古びた木のドアは、白い塗装がところどころくすんでいる。

 窓は大きく開放的で、決して雰囲気は悪くないが、大通りから奥に入っているので、目につかないのだろう。

 あらかじめ調べてから、カフェに行く人は少ないのではないか。

 よほど特徴がない限り、ふらりと立ち寄る人が大半だろう。

 うつろな目でさまよう、|橋本 和夫《はしもと かずお》は、このカフェに目をとめた。

「まるで、俺みたいなカフェじゃないか」

 運に見放され、お客さんにも愛想をつかされた自分に、苛立ちを感じる。

 人目につかないカフェが、自分を待っていたかのようだ。

 ドアノブを引くと、カラン、とドアベルが乾いた低い音をたてる。

 挽きたてコーヒーの香りと、ジャズが身体をゆるめた。

 店内は、モダンな造りで、テーブルはウォルナットの彫刻が小さく施され、おしゃれだった。

 椅子は小さく、ビニール張りだが座り心地がいい。

 ほかに客がいない。

 午後3時をまわったところで、飲食店は、一時休憩する時間帯である。

「いらっしゃいませ」

 肩が膨らんで、ひらひらと白いレースが柔らかいラインを作る。

 黒地に白でアクセントが効いた、いかにもウエイトレス、という服装の女性が、透明なグラスをトレイに乗せてきた。

 音をたてずに水をそそぐと、アイスがカラリ、と透明感ある音をたてた。

 すぐにグラスの表面が曇り、冷たい水で喉を潤したい衝動がおこる。

「ええと、本日のケーキセットを、ブレンドコーヒーで」

 入口でちらりとみて、注文は決めていた。

 ひょろりとした体躯に、落ち着いた雰囲気をかもしだす。

 ショートヘアで、切れ長の目が特徴的な、女性だった。

 43歳の和夫からすれば、子どものようなものだが、柔らかい物腰が、歳を感じさせない。

「お客様。

 初めてですね」

 カフェの店員が、客をきちんと覚えるものだろうか。

 少し驚いたが、

「はい。

 たまたま、通りかかりましてね」

 大きく息をつき、テーブルに肘をついた。

「もしよろしければ、当店自慢の『白いカレー』はいかがですか。

 実は、仕入れを間違えまして、材料が余りそうなのです。

 ケーキセットと一緒に、半額で結構ですので」

 微笑とともに、奇妙な申しでがある。

 白いカレーに興味があった。

「昼食をとる暇がなかったし、ちょうどいい。

 おねがいします」

 しばらく待つと、白いカレーと、コーヒーが運ばれてきた。

「私、|清生 結《せりゅう ゆい》といいます。

 社会人になって2年目の、24歳です」

 結は、隣のテーブル席に腰をおろして、テーブルにトレイを置くと、一息ついたという風で、外を眺めている。

「白いけど、普通のカレーですね。

 初めて食べました」

「色が違うと、味が変わる気がしませんか」

「そうですね。

 口に運ぶまでは、シチューのような気がしてました」

「保険を売るのも、色次第だと思いませんか」

 和夫はハッとした。

 自分が保険の営業マンだと、一言も言っていない。

 混乱して、手が止まった。

「なぜ、保険を売っていると」

 奇妙な話である。

 カマをかけるにしても、営業マンくらいにするだろう。

 保険に限定するなにかが、自分から感じ取れたのだろうか。

「まず、大きな手提げかばんをお持ちです。

 パソコンが入るサイズで、A4のパンフレットなども、ちょうどピッタリのようです。

 駅前ですから、電車で営業まわりをされている可能性が、高いと思いました。

 3時にカフェにいらっしゃる方は、営業さんが多いのです。

 それと、オールバックにされていて、おしゃれな感じがしますので」

「保険の営業だと思った決め手は」

「少しだけ、かばんのパンフレットがみえていました。

 グリフィス生命ですね。

 物腰が柔らかくて、いかにも保険屋さんらしい方だと、思いました」

果たせなかった約束

 

 ちょっと休憩するつもりで寄ったのだが、思いもよらないことが起こっている。

「このカフェは一体」

 思わずつぶやいた。

「うふふ。

 思いつめた顔を、していらっしゃいますよ。

 差しつかえなければ、お話を聞かせていただけませんか」

 奥のキッチンから、皿が擦れる音、水を使う音がする。

 外の通りは、人通りが少ない。

 静かな午後だった。

「商売は、難しいものです」

 ため息を吐き出していくのも、悪くないかもしれない。

 愚痴をいっても、解決しないことは、わかっている。

 だが、心が少し軽くなるなら、ここに置いていこう。

「私は、|橋本 和夫《はしもと かずお》と申します。

 グリフィス生命の保険を、扱っております」

 名刺を差しだした。

「半年前に、こちらへ移りましてね。

 妻と子どもたちに、今度こそ、大きな契約をとって、うまいもん食わしてやるって、大見得きったのですが。

 約束を果たせませんでした」

 結は、目を閉じて聞いていた。

 ジャズの、優しいしらべが、あたりを包んだ。

「コーヒー、お代わりしましょう」

 サーバーを持ってくると、静かに注いだ。

「うまくいってないって、顔に書いてありましたか」

 結は答えなかった。

 また、外の通りに目を移した。

「こうして、外をみていると、いろんな人の、人生がみえてくるのです。

 だれもが、目的をもって生活しています。

 私は、このお店に繁盛してほしくて、工夫していることがあります」

「ほう。

 それは」

「お客さんの、心情に寄り添って、接客することです。

 いつも上機嫌でいることも、その一つです」

「なるほど。

 覚えておきましょう」

 和夫は、若い結からも、学ぶことがあると感じた。

「橋本さん。

 一つ約束してください」

「はい。

 なんでしょう」

「これから、チャンスが訪れます。

 契約がとれるかどうかは、機嫌よくできるかにかかっています」

 結と話しているうちに、心が少しほぐれてきた。

 だが、ビジネスはそう甘くない。

 機嫌よくするだけで、うまくいくなら苦労しない。

 カフェの店員とは違う。

 俺は、運が悪い。

 長年やっているが、ここぞというときに、失敗してきた。

 心では思ったが、

「そうですか。

 約束しましょう」

 伏目がちに、つぶやいた。

運を変える方法

 

 カレーの皿を下げ、ケーキが運ばれた。

「どうぞ。

 上機嫌でいること、お忘れなく」

 結が念をおした。

 今日は、あいさつ回りも終えたし、支社に戻って報告するだけだった。

 いい報告はないが。

 ぼんやりしていると、ドアベルが、カラン、と鳴った。

 30代の男が入ってきた。

 結が、席へ案内する。

 男は、先ほどまで結が座っていたテーブル席に案内された。

「いらっしゃいませ」

 コーヒーだけを注文すると、ノートパソコンを開いた。

 集中した様子で、なにかを入力すると、一息つく、といった感じでパソコンをかたわらへ押しやった。

「お待たせいたしました」

 運ばれたコーヒーを一口飲むと、外を眺めているようだ。

「チャンスがくるなんて、いってたな」

 つぶやくと、隣の男が気になってくる。

 この男が、保険に入ってくれるとでも、いうのだろうか。

 あまりに、都合がいい考えである。

 自分と同じような、パソコンとパンフレットが入る、大きめのカバンだった。

「あの。

 失礼ですが、営業のお仕事ですか」

 思い切って、話しかけてみた。

 満面の笑みを作って、精一杯声のトーンをあげる。

「上機嫌。

 上機嫌で、と」

 心で自分に言い聞かせた。

 でも、こんなことでうまくいくとは思えなかった。

「ええ。

 そうですが」

 怪訝な顔で、こちらを振りかえった。

「私、こういう者です」

 名刺を取り出すと、男も、懐から名刺入れを取りだす。

 ビジネスマンの、習性である。

 お互いに交換した名刺を眺めた。

「電子機器メーカーの方だったのですね」

「グリフィス生命ですか。

 得意先回りをしていまして、ちょっと時間調整で、立ち寄りました」

「そうですか。

 生命保険、医療保険の方は、なにかお入りですか」

 男は、途端に表情を硬くした。

「いや。

 保険は、まにあってますから」

 気まずい空気が流れた。

「では。

 お先に失礼します」

 さっさと店を出ていってしまった。

 コーヒーを口に流し込み、ため息をついた。

「ふう。

 やっぱりな。

 俺には、貧乏神が憑りつてるのさ」

 さもありなん、という顔で、さっきの店員をみた。

「橋本さん。

 ビッグチャンスを、逃しましたね」

 近づいてくるなり、結は責めるようにいった。

「えっ。

 今のが、まずかったのですか」

「男性は、最近結婚して、保険のことを考えていたのです。

 指輪をご覧になりましたか」

 結の話が気になっていて、正直、ほとんど観察しなかった。

 今から思うと、|溌溂《はつらつ》として、人生に希望を抱いているようだった気がする。

「もし、橋本さんが、機嫌よくご自分の趣味の話などをなさったら、うまくいったはずなのですよ」

 さも残念そうに、いうのだった。

「お客さんに、笑顔で寄り添うことを、忘れないでください」

 あまりの勢いに、和夫も反省するべきだと思い始めた。

「では、今みたいなチャンスがあったら、そうしますよ」

 結は、首を横に振った。

「いいえ。

 チャンスは一度きりなんです。

 同じチャンスは、もうありません」

 にべもなくいう。

「そんな。

 じゃあ、取りかえすことはできないと」

「約束に従わなかったからですよ。

 機嫌よく、とは作り笑顔で、商談することではありません」

 ここまで言われて、我に返った。

 結の意図がわかった。

「そうか。

 俺は、機嫌よく、といわれて笑えばいいと、思っていた。

 それじゃあ、甘かったね」

「そうです。

 うちのケーキみたいに、激甘ですよ」

「はあ。

 やっぱり、俺はダメだなぁ」

 和夫は、荷物をまとめて、立ちあがろうとした。

「でも。

 違うチャンスが待っています。

 今度は、しくじらないでくださいよ」

 結は、念をおすように、いうのだった。

 話しているうちに、だんだんと理解してきた。

 機嫌よくすれば、次のチャンスがやってくるのだろう。

 沈んだ気分が、少し明るくなった。

「そうです。

 心から希望を抱かないと、チャンスは逃げてしまいますよ」

「ありがとう。

 なにがあるのか、わからないが、また報告にくるよ」

 会計を済ませ、裏通りにでた。

機嫌よく

 

 最寄りの大宮駅から、赤羽支社へ帰るため、京浜東北線に飛び乗った。

「ふう。

 ちょうど電車がきていたな。

 俺の運も、捨てたもんじゃないかな」

 夕方のラッシュ前なので、混んではいないが、席には座らず、立っていることにした。

 笑顔を心がけ、楽しい趣味のことを思い浮かべてみた。

「今度の週末は、久しぶりにギターを弾いてみるか」

 すると、続いて乗ってきた男がいた。

 40代の、和夫と同じくらいの歳だろうか。

「すみません。

 新宿へ行きたいのですが、この電車でよろしいでしょうか」

 見ず知らずの人と、会話が始まることは、あまりない。

 そういえば、最近、道を聞かれることも、減った気がした。

 知らないうちに、仕事でうまくいかないことで、心を閉ざしていたのかもしれない。

「この電車は、京浜東北線です。

 赤羽まで乗っていって、埼京線に乗り換えるのが、一番速いと思いますよ」

「ああ。

 よかった。

 ご親切に、ありがとうございます。

 関西から、出張にでてきたばかりで、電車を間違えたようですね。

 助かりました」

 ていねいに、感謝の言葉を述べるので、和夫も顔がほころんだ。

「いえいえ。

 困ったときはお互い様です。

 私は、仕事のことで悩んでいたのですが、週末に趣味のギターを弾いてみようかな、なんて考えていたのです」

 自然に口を突いてでた。

「へえ。

 ギターですか。

 アコースティックですか」

「そうです。

 若いときに、打ち込んだのですが、最近弾いていませんでした」

「仕事で行き詰ったときは、ギターを弾くのもいいですね。

 私は何もなくて。

 仕事人間ですよ」

 この人も、自分と同じように、仕事しか見てこなかったのだ。

 急に、親近感がわいてきた。

「ギターはいいですよ。

 始めは、コードを押さえて、かき鳴らすだけでも、サマになりますから」

 男の顔から、笑顔がこぼれる。

「そうですね。

 ちょっと、やってみようかな。

 ありがとうございます。

 おすすめのギターなんか。

 そうだ、連絡先を交換しましょう」

 名刺入れを内ポケットから取りだした。

 和夫も同様に、名刺を差しだす。

「|橋本 和夫《はしもと かずお》と申します」

「|幸野谷 栄輝《こうのや えいき》です。

 お名刺、|頂戴《ちょうだい》いたします」

 お互いに、名刺を読んでいた。

「あっ。

 グリフィス生命の方ですか。

 外資系ですよね。

 ちょうどいい。

 ドル建ての保険で、いいプランを、教えてもらえませんか」

 和夫の方が、困惑した。

 勧誘しようなどと、1ミリも考えていなかったからだ。

「ここでは、なんですから今度、ご自宅に伺ってもよろしいでしょうか」

「いや。

 せっかくですから、勤務先にきてください。

 若い者にも、保険を勧めたいのです。

 最近結婚した社員がいましてね」

 とんとん拍子に、話が進んでしまった。

 鳩が豆鉄砲をくらったように、ぼんやりして、状況を飲み込むのに時間がかかった。

「では、今度伺うことにいたしましょう」

「明日でもいいですか。

 早い方がいい。

 ついでに、ギターの話も聞かせてください。

 なあに。

 勤務中ですが、仕事の福利厚生に関わることです。

 上司には、これから伝えますから」

 幸野谷という男は、すっかり和夫を信頼した様子である。

 その日は、意気揚々とした気分で引き上げた。

 すぐに、幸野谷から電話があり、明日営業にいく約束を取りつけた。

 これには、和夫の上司も驚いた。

「よし。

 明日は、頑張ってきてくれ」

 激励の言葉が、気分を後押しした。

 だが、

「課長。

 お言葉ですが、頑張ろうという気持ちが、商談を阻むことがあります。

 私は、今日それを学んだから、この話が転がり込んだのです」

 自信をもって言い放った。

エピローグ

 

 カフェ「SELA」は、大宮駅から徒歩10分と、近いのだが、どうも目立たない。

 相変わらず、客は自分一人だった。

「いらっしゃいませ」

 結が、笑顔で出むかえると、テーブル席に促した。

「白いカレーはいかがですか」

「そうだね。

 白いカレーと、激甘のケーキセットをたのむよ」

 ニヤリと笑ってみせた。

 また、結が隣の席について、こちらをうかがっている。

「カレーも、仕事も、色次第だね。

 おかげ様で、いくつか契約を取りつけたよ。

 ありがとう」

 少し口元を緩めた結が、外を眺めた。

「私は、何も。

 また来てくださいね」

 それからというもの、外回りの合間に、白いカレーを食べるのが習慣になった。

 同僚にも、

「おい。

 ゲン担ぎに、いいカレーがあるんだよ」

 グリフィス生命の社員の間に、うわさが流れた。

「カフェ『SELA』で、白いカレーを食べろ。

 そこの、美人店員に話しかけられた奴は、成功する」



 

この物語はフィクションです