魔法のクリエイターと言われる理由、お教えします

人は知る。人は感じる。創作で。

【小説】深紅の時空間旅行Ⅱ

水先案内人 

 

 みなさん、お久しぶりです。

 この作品から読み始めた方は、はじめまして。

 こうしてお会いできたのも、|時空《とき》の巡り合わせに違いありません。

 |私《わたくし》は「ルージュ」と申します。

 トレードマークは赤いネクタイです。

 時空間旅行を商品として提供しております。

 見返りとして、お金の代わりにポイントをいただきます。

 お得意様の|菊田 香苗《きくた かなえ》さんに、お父様が貯めたポイントを利用して、時空間旅行を企画いたしました。

 でも結局旅行しなかったのですが、必ず戻ると約束いたしました。

 ようやくその日がやってきたので、私はウソつきにならなくて済みそうです。

 お優しい香苗さんは、あまり当てにしていなかったご様子。

 なおさら、連れて行って差し上げなくては、と思った次第です。

 それと、亡くなられたお父様の「忘れもの」をお届けする義務もございます。

 それでは、懐かしいお宅にお邪魔するといたしましょう。

 

 まだまだ残暑が厳しい季節である。

 再来週の土曜日、9月10日は旧暦の8月15日。

 中秋の名月十五夜の日である。

 十五夜と満月は必ずしも一致しない。

 だが今年は満月の十五夜だった。

 香苗は憧れの企画関連職に就職し、仕事が楽しくてしょうがない。

 入社して日が浅いにもかかわらず、大きなキャンペーンを任されて意欲に燃えていた。

「今年は満月ロゼキャンペーンを拡大して『十五夜SOROI』を成功させるぞ」

 企画部全体で、全国のショッピングモールに向けた販売戦略を軸に日本中を巻き込む。

 そもそもロゼワインは日本人に馴染みがなかった。

 限定ものとして、満月の日に店頭販売することによって爆発的ヒットになった。

 物の売り方、つまり商売は奥深いものだ。

 たくさん売ろうとして、長い期間店頭に置いたり割引したり、タレント広告を無暗に打つのは素人考えである。

 消費者は安い商品に飛びついて買うだろうが、その先はない。

 安売りをすればブランドの体力を奪う。

 人間に例えれば、酒、煙草などの|嗜好品《しゅこうひん》で慰め、寿命を縮めるのである。

 ならば、どうするのだろうか。

 どっしりと腰を据えて、物事の本質を見極めなくてはならない。

 物事には、ストーリーがある。

 背景にあるストーリーを情感豊かに語ることによって、世の中全体が動くのだ。

 ダイナミックなプロジェクトの中心にいることが、香苗の誇りだった。

 そして、もうひとつ気になることがあった。

 こちらはとても個人的な理由だった。

 満月の日が近づくたびに、自宅の机の上を確認してしまう。

 リビングには天文カレンダーが架けてあった。

 月の満ち欠けが、大きな図像とパーセンテージで正確に書かれている。

 「中秋の名月」の日にちは毎年異なる。

 そして、満月とカレンダーはまったく別だから、毎日何パーセント欠けているのかを確認しなくてはわからなくなるものなのだ。

 まったく畑違いの天文カレンダーに関心を持つようになったのも、ある人物との出会いがきっかけだった。

 そして、再会の時は突然やってくる。

深紅の企画書

 

 その日も、夜遅くに帰宅した。

 電車の中は、酒臭いサラリーマンが増え、陽気な話し声が間断なく響く。

 毎日のことだが、香苗は聞こえないようにイヤホンをして激しいダンスミュージックを聞いていた。

 一日仕事をして疲れたときには、穏やかな音楽を聴いて神経をリラックスさせる方が理にかなっている。

 だが、いわゆるヒーリング音楽が、睡眠を深くしたり神経をリラックスさせるという客観的データは乏しい。

 なんとなくスローテンポで神秘的な音楽が、神経を癒すと思い込んでいるだけだ。

 香苗は今を全力で生きている。

 他人の何倍も意味深い仕事をしているという実感を持って、毎日精力的に仕事に打ち込んでいるのだ。

 だからいつでも神経を覚醒していたい。

 もっと自分にはやるべきことがあるはず。

 こうしていた方が夜もよく眠れた。

「ただいま」

 家には母がいる。

 夕食の支度をして、レンジでチンすればすぐ食べられるようにしていてくれた。

「おかえりなさい」

 通勤カバンを片付けようと、階段を上った。

 自分の部屋のドアハンドルに、いつものように手をかけた。

 住み慣れた家だから、ドアハンドルは握らない。

 ちょっと指先を引っ掛けて下げればロックを外すと同時に開いてしまうのだ。

 そんな当たり前の動作が、今日はスムーズにいかなかった。

 もしかしたら、今日かもしれない。

 期待というよりも、習慣といった方がいい。

 このままずっと、何事もなく過ぎてもいい。

 ただ、満月の夜にちょっぴり夢をみる。

 例えるなら宝くじだ。

 当たることを期待して宝くじを買うだろうか。

 もちろん期待しないわけではない。

 だが、夢をみるために買っているのではないだろうか。

 本気で儲けようとするなら、回収率50%未満という絶望的なくじを買わないだろう。

 長年損し続けても買うのは、夢を買うからに他ならない。

 もしかすると、机の上にあの書類が置かれているのではないだろうか。

 妙に重たいドアハンドルを、気合いを込めて押し下げた。

 反動で跳ね上がり、ドアが勢いよく開いた。

 横長の黒いパソコンデスクと、メッシュ地の黒いハイバックチェア。

 窓辺に|設《しつら》えた作業スペースの横には、英会話とパソコンの本が並んでいた。

 そして、机の|隅《すみ》に今朝読みかけだった雑誌が開いたまま。

 中央にある一体型パソコンの前に、赤い封筒が置かれているのを見つけた。

 月の銀の光が差し込み、本が影を落とす。

 その中に、ひときわ鮮やかな赤。

 香苗は、何を意味するのかを瞬時に理解した。

「まさか、本当に来るなんて─── 」

黒猫と赤い月

 

 身体が硬直して、動けなくなった。

 赤い封筒が磁石のように、視線を吸いつけて離さない。

 しばらくして蒸し暑い部屋の空気が、意識を引き戻した。

「もしかして」

 窓辺に駆け寄り、ロックを外す。

 2重サッシの大窓を空けると、夜の空気が涼やかに首筋をなでる。

 外を見渡したが、それらしい人物は見当たらなかった。

 ふと、隣の塀に目を留めた。

「黒猫─── 」

 銀色の眼だけがキラリと光り、影に溶け込むような漆黒の毛並み。

 こちらをじっと見つめている猫に、見覚えがある気がした。

 ずっと前から考えていたことが、脳裏に浮かぶ。

 つぶやくように、口を突いてでた。

「1889年、パリ万博までお願いします」

 猫が目を細め、短く鳴いた。

 そして、塀から飛び降りたのか、突然視界から消えた。

 満月は低く、赤みがかっている。

 月明りが力強く光を放ち、現実のものだと語りかける。

 風景が黒いシルエットになり、空の薄明りに浮かび上がっていた。

 香苗は窓を閉め、デスクに向き直った。

 そして、非現実の世界への招待状を手に取る。

 赤い封筒の真ん中に『|菊田 香苗《きくた かなえ》様』と大きく書かれているほかは、何もない。

 手に取ってみると、紙が一枚入っているようだった。

 リビングへ降りていき、テーブルの隅にある卵型のレターオープナーを手に取った。

「お母さん、来たみたい」

 読書をしていた母が、顔を上げた。

 リビングには、4人がけのテーブルと茶箪笥、そしてカウンターキッチンがある。

 階段下にすぐテーブルがあるので、リビングにいれば必ず顔を合わせる設計である。

 いつも降りてきては溜まった手紙を開封しているが、今日は慎重だった。

 トントンと数回手紙でテーブルを叩き、しっかりと中身が偏っていることを確認した。

 手で触ってみて、また確認する。

 手紙はまた企画書なのだろうか。

 もしかすると、具体的に日程が書かれているのかもしれない。

 100年以上前のパリへ行くとしたら、何が起こるか分からない。

 今日まで様々なことを考え、想定してきた。

 でも、本当に行けると思って考えたわけではなかった。

 現実味を帯びると、食事、着替え、泊るところなど、一般的な海外旅行の準備は必要だろう。

 それだけではない。

 産業革命による新技術に湧く反面、労働問題が深刻化して街はスラム化したと聞く。

 公害問題は、現在とは比較にならないほどで、貧富の差が激しかった。

 だから治安も悪いかもしれない。

 服装は、新素材の真新しいファッションは避けるべきだろう。

 スマホなどの情報端末はあまり役に立たない。

 予想外の出来事を避けるため、目的をはっきり決めて計画的に行動しなくてはならない。

 行き帰りの電車の中で、何度もシミュレーションしてきた。

過去への招待状

 

 恐る恐る、中身を取りだした。

 母も、黙って見守っていた。

 手が震え、視線の先には赤い封筒の口と、切れ端のくずが見えるのみだった。

 紙は四つ折りになっている。

 薄くてガサついた紙だった。

 横に開き、縦に開く。

 中には、こう記されていた。

「お久しぶりです。

 時空間旅行のご案内をさせていただきます。

 9月2日、来週の金曜日にお伺いしますので、行先と年月日をできるだけ詳しくお考え置きください。

 追伸、|菊田 武夫《きくた たけお》さまのメッセージと、忘れものをお預かりしております。

 詳細は直接お会いしてお話させていただきます。

       時空間旅行企画運営担当 ルージュ」

 内容を丁寧に読み上げると、母が言った。

「あら。

 またいらっしゃるのね。

 じゃあ、何かごちそうを作りましょう」

 まるで、親戚が久しぶりにやってくるようだった。

「こういうことだから、今夜は寝るわ。

 明日休みだから、じっくり考えてみる」

「そうね。

 今日もお疲れさま」

 夕飯を済ませ、身体を洗ってから寝床に入った。

 布団を出して、横になるとさっき見た猫が目に浮かんできた。

「なぜ、猫に行先を言ったんだろ」

 黒猫は香苗をじっと見ていた。

 まるですべてを見透かすように。

 ルージュは、父のことを書いていた。

 突然の事故で、20年前に亡くなった父のことはほとんど知らない。

 新しい技術に取り組む技術者であったという、漠然としたイメージしかない。

 何を夢見ていたのだろう。

 手がかりは、1889年のパリ万博にあるはずだ。

 時空間旅行などという突拍子もない企画が自分に提案されたことは、必然的らしい。

 ならば、どうして。

 考えがなかなかまとまらないが、漠然とした父のイメージが徐々に形を帯びてきた。

 前回ルージュが現れたとき、香苗はまだ大学生だった。

 時空間旅行のことも、父が利用していたことも突然知らされたのだ。

 もし自分が、遠い過去へ遡って旅行できるとしたら。

 普通の生活をしていて、考えることはないだろう。

 あったとしても、本気ではない。

 恐らく、宝くじが当たるくらいの確率で当たったのだろう。

 仮に他人に話しても、信用されないし話すべきではない気がする。

 ルージュの態度に誠意がこもっていて、香苗個人というよりも、世の中全体に問題提起しているように感じられる。

 企画関連職に着くことができる人は、限られている。

 キャンペーンを打つということは、時代の流れを知り影響力を発揮することなのだ。

 父についても、何か普通ではないことを考えていたように感じていた。

再会

 

 9月2日(金)がやってきた。

 いつもより早く仕事をあがり、リビングで待った。

 スマートフォンを開き、ニュースを見る。

 外国での紛争や、小さな事件、事故のニュースがある。

「これから、世界はどうなっていくのかな」

 独り静かなリビングで、呟いた。

 クーラーを強めにかけて、火照った体を冷やしながら冷茶を飲んでいた。

 父の忘れものとは。

 考えれば考えるほどわからない。

 状況からして、謎を解く鍵になる何かだろう。

 不意に、ドアホンが鳴った。

 弾かれたようにスリッパをペタペタさせながらインターホンに手をかけた。

「お久しぶりです─── 」

 トレードマークの赤いネクタイ。

 ビシッと7・3に分けた髪型。

 物腰も、ただならぬ重々しさを感じさせる。

 時空間旅行というものが、どれほど意味深いものか、態度で示しているのかもしれない。

「ルージュさん、ですね」

 ドアを開け、リビングに促した。

 靴をきちんとそろえ、襟を正して静かにテーブルの脇に立つ。

「ああ。

 お母様も。

 お変わりありませんね」

 母も音を聞きつけて降りてきた。

 3人が席に着くと、一息ついたという表情でルージュは口元を緩めた。

「この度は、時の巡りあわせでお約束を果たす運びとなりました」

 カバンから、包みを取りだしてリビングに置いた。

「これが、|菊田 武夫《きくた たけお》様の忘れものです」

 細長い物体が、細長い|巾着袋《きんちゃくぶくろ》のようなものに入っている。

「お父様の遺品でもありますので、大切に保管させていただきました。

 これで私の肩の荷が、一つ降りました」

 薦められて、袋を開いた。

 中には、細長くて黒いケースが入っていた。

 軽くて艶のないケースである。

 香苗は慎重に取りだすと、音を立てないようにテーブルの中央へ置いた。

 20年の時を経て、世代を超えて手渡される物は一体何だろう。

 緊張で喉が渇く。

 手を動かすことが、こんなにも難しく、重かっただろうか。

「どうぞ」

 再び促された。

 思い切って手に取り、留め具を外した。

 冷たい金色の留め具が神秘的に映った。

「これは─── 」

 ふたを開けると、バイオリンの弓が出てきた。

 まったく予想外の物だった。

たった一つの土産

 

 ルージュが眼を鋭くした。

 香苗は息をのんだ。

「時空間旅行のルールで、たった一つだけ土産を持ち帰ることが許されるのです。

 武夫様が選んだものは、バイオリンの弓でした。

 何かお心当たりがありますか」

 母へ向けて、問いが投げかけられた。

 しばらく考え込んだ母は、しきりに唸っている。

「夫は、バイオリンなど弾いたことがないはずです。

 クラシックを聞いていた様子もなかったし。

 もちろんコンサートにも行かないし、テレビでも見たことがありません。

 クラシック音楽とは最も遠い人だったように思います。

 なぜこれが─── 」

 もちろん母がわからなければ、香苗にもわからなかった。

「なるほど。

 では、この謎を解く旅になりそうですね」

 ルージュはニヤリと笑い、部屋を見渡した。

「ここで、夕飯をいただいた夜のことをよく覚えています。

 あの時は、しんみりとお父様のお話をしていましたが、今は違います。

 香苗様が、未来へと一歩を踏み出すための旅になることでしょう」

 すべてを見透かしているようで、楽しんでいるようでもある。

 早く行ってみたいという衝動が強くなってきた。

「来週末。

 満月の夜に出発するのがよろしいかと存じます。

 当社独自のSNSがありますので、こちらの書類から登録してください。

 必要な準備はすべて記載してあります。

 質問はSNSでお受けいたしますので、今夜はこれで失礼いたします」

 唐突に立ちあがり、深々と一礼した。

 香苗と母も立ちあがり、一礼した。

「また夕飯でもと思っていましたが、お忙しいのですね」

 ルージュの目つきがまた鋭くなった。

「実は今夜何件か回るのです。

 満月と十五夜が重なる夜には、なかなか巡り合いませんから」

 意味ありげに遠くを見つめ、香苗に向き直った。

「香苗様は、選ばれたお方です。

 きっとこの旅行の意味を理解し、世の中のためになる大きな仕事をなさるはずです。

 |私《わたくし》は、今回の旅行に誇りを持っています。

 では、また数日後にもう一度説明にあがりますので、準備を進めていてください」

 |踵《きびす》を返したルージュは、振り返らずに出ていってしまった。

 

 

この物語はフィクションです