魔法のクリエイターと言われる理由、お教えします

人は知る。人は感じる。創作で。

【小説】よすがの薬石

灼熱の都会

 

 真夏の朝は、外を歩いているだけで肌を焼き心を疲れさせた。

 新宿にある本社へ出向くため、祥人は歩を早める。

 空には雲一つない。

 容赦ない熱放射によって街路樹も葉を垂らしていた。

 陽射しにたまらず視線を落とすと、白いコンクリートからの反射に目を細めた。

 背中からじんわりと熱を溜め込み、汗が上半身を湿らせる。

 本社ビルは10階建てだった。

 間口は小さく、奥行きが長い。

 データ分析を専門にしているので、あまり名前は知られていないが、出向や派遣で上場企業で仕事をして報告するのである。

 今日は新しいクライアントとの打ち合わせがあるため、直接対面でプレゼンがあった。

 マーケターとしてはまだ駆け出しだが、仕事は順調だった。

 市場データ分析をして、広告戦略を提案する。

 データアナリストとクリエイティブを二刀流で使いこなす社員は珍しい。

 大抵理系は広告音痴である。

 今日はプレゼンを3人で行うのだが、一抹の不安があった。

「ではまず、市場の動向を説明いたします」

 祥人は淀みなくグラフを示し話をする。

 手慣れたものである。

 クライアントは頷いて聞いていた。

 すでに半分は成功したと言っていい。

 そしてキャッチコピーとキャンペーンの概要を別の社員が説明した。

 事前の打ち合わせで内容は擦り合わせたが、どうもしっくりこなかった。

 あまり批判しても人間関係がまずくなるので、気を遣って相手を立てていた。

 やはり、予感は的中していた。

 具体的な戦略で滑ってしまった。

「社内で検討しますので、持ち帰らせてください」

 プレゼン後の言葉にがっかりした。

 つまり、即答できない提案だと言われたのだ。

 こういうときは、やんわり断られたと思っていい。

 修正案を出させてもらえるかも微妙である。

 

 作業ブースに集まって反省会が開かれた。

「市場の動向から導き出したコンセプトは間違いなかったと思う」

 グループリーダーの祥人が切り出した。

 本音を言ったまでだが、コピーライティングを担当した社員はプライドを傷つけられたという顔をした。

「つまり、コピーがまずかったと」

「いや、個人攻撃をしても始まらない。

 分担してやろうとした、俺の采配ミスだ」

「代わりの案があったのなら、遠慮しないで言って欲しかったですね」

 明らかに雰囲気を悪くした。

 今後のために、各自が持ち帰って戦略を練り直して来る宿題を課した。

 ここで完璧な戦略を出しても解決にならないし、気を遣ってもしょうがない。

 適当にこなして、次は頑張ろうくらいに言っておきたいところだった。

君の笑顔が力になる

 

 帰り道、SNSで結に連絡をしてみた。

 二つ返事で来てくれた。

 最寄駅から300メートルほど大通りを進むと、左手にあるカフェに入った。

 仲間内でよく使っているカフェである。

 仕事帰りのサラリーマンが、夕食を食べている。

 店内は明るく照らしだされ、奥までよく見えた。

 カウンターでコーヒーを頼むと、2人がけの席にドサリと腰を落とした。

 ため息を一つついて、往来を眺めていた。

 コーヒーをすすりながら、スマホのニュースや経済紙を眺めていた。

 世の中は深刻な不況に突入した。

 まだ大きな混乱はないが、明らかにインフレが進んでいる。

 出口が見えない経済不安が、胃を締め付けてくる。

 20分ほど待つと、結の姿を認めた。

 右手を上げると、ニコリとして入ってきた。

 同じブレンドコーヒーをトレイに乗せ、向かい側に腰を下ろす。

「どうしたの、浮かない顔して」

 大学時代から、サークルや飲み会で知り合った仲間が時々会社帰りに よもやま話をする。

 結はそんな仲間の一人だった。

 笑顔を見ただけで、さっきまでの憂鬱が消し飛んでしまった。

「俺、暗い顔してたか」

「そうだよ。

 最近悩みがあるんじゃないかってみんな言ってたよ」

「そうか」

 正直仕事に行き詰まりを感じていた。

 データアナリストは給料が高いから、喜んで始めたのだが人間関係を調整する能力が欠けている。

 また今日の反省会の光景が頭を支配した。

「ちょっとね、愚痴になっちゃうけど」

「別にいいよ。

 お互い様でしょ」

 今日の出来事を話すと、気分が楽になった。

 誰かに聞いて欲しいときに、損得なしで聞いてくれる。

 ありがたい存在だった。

「ふうん。

 私だって、理系女子だから人間関係は苦手だけど」

 今度は結が話し始めた。

 入社間もないので先輩社員からの指示に従っていると、いろいろ鬱屈した思いを抱えているようだった。

 俺と結は共通点が多い。

 理系で、自信家で、人嫌いなところがある。

 こうして話しているだけで、明日も頑張れそうだった。

「それじゃあ、また明日から頑張ろうね」

 20分ほど話して、それぞれ帰路についた。

 いつもの道が、少し色づいて見えた。

 途中のコンビニに寄ると、冷凍パスタと缶ビールを買う。

 夜空を見上げると、星が優しく瞬いていた。

自分を出せ

 

 マンションに戻ると、玄関口に買い物袋を下ろす。

 ワンルームでユニットバス。

 最低限生活に必要な物が、手の届く範囲に詰まった部屋だった。

 上がり口に冷蔵庫がある。

 とりあえず、ビールとつまみ、見切り品の野菜、冷凍食品を入れた。

 菓子類はほとんど買わない。

 休日以外は間食する時間がないからだ。

 疲れた体に鞭打って、最低限の動きで食事、風呂、洗濯、そして寝る。

 こんな生活がずっと続くとしたら、人生とは何だろう。

 とにかく、洗濯を最初にやらないと時間がない。

 素早く着替え、スイッチを押した。

 洗濯機の隣に小さなクローゼットと|箪笥《たんす》を収めた収納スペースがある。

 明日着るものを確認し、レンジのスイッチを入れたときだった。

 スマホが鳴っている。

 遊び仲間の|実起夫《みきお》だった。

「ああ、さっき結から電話があってね。

 ちょっと気になったから ───」

 不動産会社の営業マンをしているため、仕事の相談をすることもある。

 噂では、かなりの営業成績らしい。

 かなり稼いでいるだろうが、派手な生活はしない男だった。

 疲れが出て、スマホを持つ手がだるくなった。

 テーブルに置いてスピーカーに切り替える。

「仕事の話か」

「お前はデキるから、後輩の話をよく聞かないんじゃないのか」

 図星だった。

 正直、帰ってから仕事の話をしたくなかったが、実起夫なら損得なく話せる。

「後輩にコピーを考えさせたんだけどな。

 思いっきり滑って、おジャンになった」

「なるほどな。

 じゃあ、もう分析は済んでそうだな」

「適当に反省会を切り上げて、新しい戦略を練って持ち寄ることにしたよ」

 スピーカーから唸り声がした。

 ご飯を盛って、おかずと共にテーブルに置いた。

「なあ、自分の話をしているか」

「なんでだ。

 必要ないだろ」

「人をうまく動かす人ほど、親友を作ろうとする。

 友達を増やせば解決する問題が、ビジネスには たくさんあるぞ」

「自分の過去を話すのか」

「そうだ。

 人間は、己を知る者を信頼する」

「へえ、敏腕セールスマンが言うなら、説得力があるな。

 試してみるよ」

 夜遅いからと、切り上げようとしたときだった。

 思いがけない言葉に箸を止めた。

噂話

 

「結婚するって知ってるか」

「誰が」

「結だよ」

 6畳ほどしかない部屋には、パソコンデスクと折り畳みテーブルがある。

 フローリングはきれいに掃除されていて、男の一人暮らしの割にはスッキリしている。

 昼光色の真っ白な電灯が、白い壁を一層白く照らす。

 洗いはじめた洗濯層の中の水が、大きな音を立てた。

 流し台では、水が滴る音。

 外を大型トラックが通った。

 寝る前にはうるさいと思うが、夜中でもマンションの前を通るので気にしなくなっていたはずだった。

 言葉を失っている自分に、ハッとした。

「へえ、結婚するって。

 誰とだい」

 極力平静を装った。

 なぜここまで動揺するのだろう。

 友達が幸せになるのだから、喜べばいいはずだ。

「大丈夫か」

「何で。

 祝福するよ」

「|晃《あきら》だよ。

 詳しいことは分からないが、プロポーズしたらしい」

 心臓が高鳴っていた。

 仕事の愚痴などを話すと心が晴れた。

 今日のように。

 結は、ただの友達ではない。

 生活の一部。

 いや、身体の一部かもしれない。

「なあ、晃は大学時代から新薬の開発をしているんだ」

「ああ、知ってるよ。

 人の心を読む薬なんて言ってたな。

 あいつ、ロマンチストなところがあるんだよな」

 話しながら、背中に冷汗が出た。

 まさか。

「完成したらしい。

 まだ実験段階だが、自分で飲んでみたと言ってた」

「何だって ───」

秘密の薬

 

 翌日、仕事の合間に会社の外へ出た。

 朝までほとんど眠れなかった。

 電話を切ってから、布団に入ったが頭の中に結の笑顔がぐるぐると回る。

 いつも励ましてくれた、かけがえのない存在。

 結婚したら、気を遣ってあまり会えなくなるだろう。

 仲間同士でスキーに行ったときも、海で花火をしたときも、笑顔がまぶしかった。

 ずっとこんな生活が続くと、のんびりし過ぎていた。

 昼休みを過ぎたあたりが、病院の休憩時間だろう。

 晃の携帯電話は避けて、二文字医院に電話した。

「友人の木村 祥人と申します。

 二文字 晃先生はお手すきでしょうか」

 晃は家業の病院を継いでいた。

 内科医をしながら、新薬を研究開発し学会発表をこなす。

 相当な激務をこなしているはずだ。

 保留音は優雅なクラシックだった。

 営業かなにかと怪しまれるかと思ったが、電話口に晃の声がする。

「やあ、祥人か。

 珍しいな。

 今夜飲もうか。

 おごらせてくれ」

 快活な声がした。

 向こうから時間と場所を指定した。

 結にプロポーズした噂が伝わって、連絡を取ったことを悟ったのかも知れない。

 もしかすると、抜け駆けをしたと思っているのだろうか。

 物凄く頭が切れる晃は、見た瞬間に相手の考えを言い当ててみせた。

 医者には観察力が必要だ、と口癖のように言っていた。

 もし薬の力で心を読む力を増しているとしたら。

 電話を切り、仕事に戻った後も頭から離れなかった。

 実起夫に結との話をしたのだから、広まることも想定しているだろう。

 スキーに行った夜、祥人を晃が呼び出した。

 勉強もスポーツも超人的な集中力を見せる彼には誰も敵わない。

 そんなスーパーマンのような男だった。

夢の薬

 

 ホテルのバーで、カウンター席についた。

「今日はおごるから、好きな物を注文してくれ」

 スラリと背が高くて、イケメンの晃にはバーが似合った。

 若いのにビールで腹が出た祥人は、隣にいると気後れしてしまう。

 正確に言えば、晃が放つ男の色気を感じていた。

 神様は決して平等ではない。

 持つ者と、持たない者を分ける。

 スポットライトの下で人間をすべからく惹きつける男と、怠惰な身体を暗闇に溶け込ませる男。

 女ならどちらを選ぶか、問うまでもない。

 モスコミュールが2人の前に置かれた。

「じゃ、乾杯」

 一口含むと、ため息が出た。

「なあ、結のことどう思う」

 晃はいきなり切り出した。

「どうって、いい奴だよな。

 一緒にいると、何でも話を聞いてくれるし」

 視線を外し、天井を見上げる。

「俺さ、新しい薬の研究をしてるんだ」

「へえ、どんな」

「人の心が分かるようになる薬さ。

 ドラマみたいだろ」

 あまり冗談を言わない男だ。

 目つきは真剣だった。

「そんな薬があったら、世界が変わりそうだな」

 他人ごとのように言った。

「『よすがの薬石』と名付けたんだが、成功したらやりたいことがある」

 普通の人間なら、悪だくみをするかも知れない。

 晃なら、常人が思いつかないアイデアを言うのかも知れない。

 言葉を飲み込み、次の話を待った。

「難しい研究だけど、成功したら結に告白するつもりだ」

 視線を祥人に向けていた。

 口元を緩め、いたずらでもするように笑いかけた。

「なんてな。

 そんなお|伽噺《とぎばなし》、誰も信じないよな」

読心薬

 

 待ち合わせたバーは、駅前通りから路地を入ったところにあった。

 おしゃれなカフェバーといった雰囲気で、年齢層は高めだった。

「祥人さん」

 カウンターには結が座っていた。

「やあ、晃に呼ばれたのかい」

 小さく頷いた。

 隣に座ると、おまかせでカクテルを頼む。

 真上から照らされた顔が、いつもより彫りを深く見せた。

 整った鼻、髪は美容院でセットしたようにボブショートのシルエットを作りだした。

 指先は細く、爪にはピンクのネイル。

 フルーティな香り。

 結は上目遣いで覗き込むようにした。

「晃さんのこと、聞いた」

「ああ、結婚するのか」

 沈黙が薄暗いカウンターに流れる。

 2人の間には暗い影ができていた。

「何でもできて、カッコイイ男だけど口下手だからどんなプロポーズだったのかな」

 素直な気持ちだった。

 晃と自分では人間のレベルが違い過ぎる。

 でも、もしあの薬を使ったのだとしたら。

 人の心を読めるならば、相手が望むことを察知できる。

 先回りして機嫌を取るなど造作もないだろう。

 ハンドバッグをテーブルに立て、中を探っていた結が、PTP包装シートを取り出した。

 プラスチックを押してアルミを破き、錠剤を出すパッケージである。

 パキパキと独特の乾いた音で、すぐにそれと分かった。

「これは ───」

「晃さんに貰ったの」

 祥人の視線が泳いだ。

 カウンターの奥にあるワインの瓶をぼんやりと眺めていた。

 薬 ───

 例の薬が完成した。

 実起夫の話は本当だったのだ。

 不器用だから、結に心を読ませたのか。

「晃さんね、言葉は少なかったけど誠意がハッキリわかったの。

 だから、結婚することにしたのよ」

 納得がいかなかった。

 自分の気持ちに気づいた今、晃を許せなかった。

疑惑

 

「やあ、お待たせ」

 晃がやってきた。

 右手を上げて、気さくな笑顔を見せた。

「おい、お前アレを使ったのか」

 つい口走ってしまった。

 語気の強さに、足を止めた晃は祥人の手前の席に腰かけた。

 拳を頬に当て、唸る。

「全部聞いたのかな ───

 結と結婚することになった。

 実起夫から聞いたのだろう。

 お前に真っ先に言うべきだった」

「察しがいいな」

「医者は洞察力を飯の種にしているようなものだよ」

「質問に答えろ」

 怒りはあったが、自分を見失うほどではなかった。

 やり場のない気持ちで、ワインセラーを睨みつけた。

「私ね、メンタルが下がっていて、晃さんから薬を貰っているの」

 結の前にパスタが置かれた。

 薬を手の平に出すと、水を含んで飲み込んだ。

 結の手元をまじまじと見たまま、祥人は固まってしまった。

「で、質問の答えだが、安定剤を使った。

 気持ちが|塞《ふさ》ぐときには、友人とお喋りして悩みを聞くのもいい。

 相手の悩みを受け止めることで、自分の心も癒されるからな」

 晃のため息を聞いて、居心地が悪くなった。

 優れた頭脳を持つこの男に、読心薬など必要ないのだ。

「ああ、結の隣に座れよ」

 取ってつけたように、席を交換する。

 グビグビとカクテルを流し込み、立ちあがった。

「おごってもらって悪いな。

 応援してるよ。

 また改めて、みんなにお披露目しよう」

 マスターと視線が合う。

 小さく頷いて、出口に向かう祥人を見ていた。

人の心を読む

 

「キャンペーン戦略だが ───」

 祥人は企画書を配り、説明を始めた。

「まず、|羽佐田《はさだ》さんの意見を聞こう」

「あまり深く説明していないようですが、具体的に何をウリにするのでしょうか」

 怪訝な顔で聞き返した。

「私は、データサイエンスを大学から始めたんだ。

 高校では美術部で七宝焼きとか、ステンドグラスを作るのが好きだった」

「へえ、意外です。

 生粋の理系って雰囲気持っていらっしゃるから ───」

 |矢手又《やてまた》は目を丸くした。

「じゃあ、木村さんもコピーを考えてみてください。

 きっといいアイデアが出ると思います」

 祥人はコピー案を次々に出してみせた。

「どうだろう。

 コピーは筋トレみたいなものだ。

 練習すれば誰でもできるようになるから、毎朝メールで送り合うのはどうだ」

「それ、いいですね」

「やります」

 お互いのアイデアを交換し合い、認め合う雰囲気が徐々にでき上っていく。

 祥人のグループは、プレゼンに強いと評判になった。

 

 数週間後、晃をいつものカフェに呼び出した。

 仕事でクタクタなはずだが、この男は疲れた顔など見せなかった。

「やあ、仕事の方はどうだい」

「おかげさんでね。

 うまく行ってるよ」

「そうか」

 晃はカバンからPTP包装シートが入ったビニール袋をテーブルに置いた。

「なんだ、これは」

「例の薬だよ」

 ニヤリを笑い、祥人の前に突き出した。

「プロポーズには使ってないぞ。

 試しに使ってみろ。

 ここぞというときに、飲めばすべてが上手くいく」

「これを使って何かしたのか」

「喋れない人とか、小さい子どもを診るときに使うんだ ───」

 腹の底から、笑いが込み上げてきた。

 人目を気にせず、高らかに笑った。

 そして、薬を突き返した。

「俺は、医者じゃない。

 『よすがの薬石』を使う資格はないよ」

 外には、爽やかな風が吹いていた。

 晃は、忙しそうに小走りで帰って行った。

 今日も、祥人の部屋は必要最低限の物しかない。

 だが、不要な物がないのは、いいことかも知れないと思うようになっていた。

 

 

この物語はフィクションです