魔法のクリエイターと言われる理由、お教えします

人は知る。人は感じる。創作で。

「著作権」の周辺にある問題

 まず、一般的に認められる可能性がある、表現手法と区別すべきです。

 勿論、個別具体的に考える必要があります。

 前提として、最近「著作権を主張したくない」と考えるクリエイターがとても増えています。

 わざわざ表示をして、自由に使って欲しいと伝えるマークもあります。

 そして、知的財産権は世界基準に合わせる動きが顕著になっています。

 TPP関連の知的財産権の法改正が記憶に新しいところです。

 論点として代表的なものを挙げます。

 

1 オマージュ(リスペクト)

 

 原作者に敬意を表して、明らかな二次創作であるとわかる形で表現した場合、営利目的でなく、品位を損ねるものでもなければ、黙認される事例が多数あります。

 原作者からしてみれば、こんなに自分の作品を気に入ってくれたと思い、好感をもって受け入れるケースが多いのです。

 

2 引用

 

 引用部分を明確に認識できれば、「以下引用」などと表示していなくても認められる場合もあります。

 

3 トレース

 

 著作物の創作性に「タダ乗り」していると認められないトレースは、著作権侵害に当たるとは言い難いです。

 例えば「創作性がない」写真をトレースして漫画の背景を描いた人を、訴えた事例は見たことがありません。

 

 次に「著作物」に関する誤解について主な視点を挙げます。

 

1 幼い頃からお絵描きや工作で「まねっこ」批判をしてきた。

 

 アイデアを出すのは苦しいので、つい他人と類似性がある絵を描いたとします。

 程度にもよりますが、「これは真似だ!」と大声で言う人が出てきたら、真似したとされる人は他人の大事な物を「盗んだ罪人」になってしまいます。でも考えてみてください。

 他人に真似されるほど憧れる絵を描いた人は、誇りに思えばいいかも知れません。

 真似してしまった人は、絵が苦手で自分では発想できない人なのかも知れません。

 そんな人には何か、救済策が必要だったのではないでしょうか。

 

2 作品は世界で一つだけの高尚な物だという誤解。

 

 自分の個性が出て、苦労して描いたり作ったり、あるいは文章を書いたりしたものはかわいい自分の子どものようなものです。

 ただし、この世にただ一つの、他の何物とも類似性がない物など存在しません。そのような物があったら、きっと認知できないことでしょう。

 海外文学を読んでいると、「日本の小説はみんな似ているな」と思います。

 改行の仕方、文字数まで事細かに、社会の圧力で制限しているということが、他者と比べることで良くわかるのです。

 著作権の焦点の一つである「類似性」はフェーズを変えると容易に覆ってしまいます。また主観的な基準であることが多いのです。

 

 最後に、インターネット上では様々な人が匿名で意見を言えるため、誤解によって始まり、誤解が膨らんでいった著作権関連の事件が見られます。

 著作権関連の訴訟になりやすい「マスコットキャラクター」関連の判例を調べると興味深いことがわかってきます。

 多くの判例で、泥沼化して争点が曖昧になっています。

 著作権侵害が認められるためには具体的な絵と似ていなくてはなりません。

 キャラクターの性格やイメージが似ているだけでは、なかなか認められないのです。

 つまり「キャラクター」自体が著作権で保護されるのではなく、イラストなど具体的な創作物の形と色、という客観的に認知できる固有の表現が著作物なのです。

 

 話が脱線しますが参考までに、個人情報保護を怠ると、多額の賠償金を企業が払うと思われがちですが、きちんと調べてみれば「何もしない」で切り抜ける企業が多いのです。

 これだけ法律関連の問題は、込み入っているということです。

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