魔法のクリエイターと言われる理由、お教えします

人は知る。人は感じる。創作で。

【ショート小説】奇跡のランナー

疾走する少年

 

「ヨーイ! ドン! 」

 陽介は、足に力を込めた。しかし、左足に充分力が入らず、身体が横に半回転して倒れた。

「ぎゃっ! 」

 地面に背中をしたたかに打ち付け、後頭部も強打する。

うぐぅ…… 」

 

「陽ちゃん、大丈夫? 」

 ここはK市立陸上競技場の医務室だ。

 友達の明夫と、新谷先生が心配そうに見守っていた。

「頭を打っているから、病院へ行こう」

「だ…… 大丈夫です…… イテテ…… 」

「車を出すから今から行こう。お家の人には連絡したから」

 特別支援学校に在籍している16歳の小田原陽介は、陸上競技場を借り切って部活の練習をしていた。

 3年前に交通事故で大けがをして、左半身に麻痺が残ってしまっていた。

 懸命のリハビリで、日常生活には支障がない程度になったが、時々今日のように身体と心のバランスが崩れて無理をしてしまうことがある。

 幸いにも、病院でMRIを撮って診察してもらった結果、異常はなかった。

 

長距離走ならいいが、短距離で闘志を燃やすと危ないな…… 」

 新谷先生が深刻な顔をして言う。

「先生…… 今度はバランスを取って、バッチリスタートダッシュします…… 」

 陽介は懲りない奴だ。

 何度でも挑戦するし、失敗もたくさんする。

「アッキー! つきあってくれ」

「おう。いいよ」

 アッキーこと米山明夫は知的障害者である。元気が良くて、いつも身体を揺すっている。

 体力があるので、何度でも練習に付き合ってくれる。競争相手には丁度いい。

「陽ちゃんは、左足が遅れるから無理にダッシュしないでバランスを取りながら走りなさい」

 新谷先生は、面倒見がいい先生なのだが、陽介の障害をあまり理解できていない気がする。

 陽介は動画で半身麻痺の人の、トレーニングを見ていた。

 地面に寝そべると麻痺した左足を明夫に持ってもらい、前に振り出す動作を繰り返した。

「イッチ、ニー、サン、シー…… 」

 こうして地道に足の振り出し動作を身体に覚えさせていく。

「なあ。アッキー」

「ん? 」

「障害者は諦めた方がいいんだろうか…… 」

「ははは」

 明夫は何も答えなかった。

 特別支援学校では、支援員さんや先生が優しく支援してくれる。

 でもその優しさが、夢を諦めなさい、と諭しているようにも感じるのだ。

「俺は、また走れるようになりたいんだ。走れるようにならなくたって、生きていけるけど」

「陽ちゃんは立派だなぁ。俺にはよくわかんないよ。バカだからな…… 」

 明夫は家でいつも「バカ」と言われ続けて育った。

 おかげでいつも自分がバカだと言う癖がついてしまった。

「アッキーは良い奴だが、一つ気に入らないところがある」

 陽介はズバズバと物事を言う性格だ。その代わり困難を受け入れるし、人を小馬鹿にしたりもしない。

「何だい? 」

 明夫は自分の限界を良く知っているから、いつも明るく元気でいられるのかもしれない。

「自分を諦めるところだよ」

「そうかな。よくわかんねぇよ」

 足が麻痺すると、股関節の可動域も狭まる。

 問題は、足の振り出しが遅れることと、地面から返ってくる衝撃を吸収できないことだ。

 動かない足に刺激を与え続ければ、ある程度は回復した事例もある。

 後は、動く部分で補うことだ。

 幸いにも、足以外はさほど麻痺がない。だから上半身の動きである程度は、左足の機能を補える。

 反動を付けながらうまく左足をコントロールできれば、走れるようになるはずだと思っていた。

 長距離走では、瞬発力はいらないので振り子のように上半身を動かして、バランスを取ることができる。

 自分なりに工夫を重ねて作り上げたスタイルだ。

「ちょっとスタートやりたい」

「ええっ! ちょっと待って。新谷先生に聞いた方がいいって」

「いいから。ちょっと付き合ってくれ。無理はしないからさ」

 こう言いだすと、陽介を止めることはできない。

「うん。わかったよ」

 2人は校庭のトラックの端に立つとスタートの構えを取った。

「ヨーイ! ドン! 」

「ぐわっ! 」

 またよろけて、横に倒れてしまった……

「何が悪いのかな…… いっそのこと、左足は捨てて右足だけでダッシュしたらどうだろう…… 」

 アッキーが助け起こそうとするまで、横倒しになったまま考えていた。

「ああ。ありがとう。自分で起きるよ」

「また足を上げる練習する? 」

「そうだな。やっぱりアッキーは良いやつだ。できることをやるしかないな…… 」

「ははは」

 またさっきの足上げ練習を始めた。

 動画で見た陸上選手の練習は、股関節を柔軟に動かす練習が印象的だった。そして、立ったままバランスを崩さずに大きく足を回して、丁寧に着地させる練習もしていた。

 足を振り上げ、振り下ろす。この動作を繊細な神経で行うのである。そして、全身の動きを一つにして地面と一体になった動きを目指す。

 左足麻痺というハンデがあったら、身体の他の部位のバランスを調整すればいいはずだ。

「とにかく、1にも2にも練習あるのみだ」

「ははは。やっぱり、陽ちゃんは凄いよ…… 」

「何が凄いんだい」

「何となく」

未来が閉ざされた日

 

 陽介が13歳のとき、普通の公立中学校に通う、駆けっこがすきな少年だった。

 ヴヴヴ……

「裕也からラインだ…… 」

 自転車で通っていた陽介は、ペダルを漕ぎながらつい、スマホをポケットから取り出そうとした。

 その時、

 キキィー!!!

「うわっ!! 」

 路地から鼻面を出してきた車にぶつかり、車道へ投げ出された!

 ドカッ!!

 幸いにも、ちょうど車の切れ目だったので轢かれずに済んだ。

 だが、

 頭をアスファルトに強打して、意識を失った……

 

「ん…… ここは…… 」

 気が付くと、大学病院の集中治療室にいた……

 心電図と、脳波計が脇にある。

 ピッ、ピッ、ピッ……

 それが自分の心臓の鼓動を表していると、段々わかってきた……

「ああ、そうか。俺は車にぶつかって…… 」

 ガラス越しに、看護士さんと、医者の先生がこちらを見ていた。

 慌ただしく、看護士さんが指示を出しているようだ。

 心臓が動いている。このことが、こんなに大事なことだったのだと、実感できた。

「生きている…… よかった。早くここから出たいな…… 何だか息苦しい」

 その日のうちに、総合病院へ転院して一般病棟に入院した。

「陽介…… よかった。心配したのよ」

 母聡子は、陽介の手を取ってずっと擦っていた……

 中学校の担任や、友人数人が訪ねてきてくれた。

 入院生活は退屈そのものだった。

 1週間ほど経ったが、左半身は動かないままだった。

「脳に損傷を受けた後遺症で、左半身の麻痺は残るでしょう」

 医者の先生に告知を受けた。

 信じられない気分だった。

 なんだか他人のことを言っているように聞こえた。

「あんなこと言って…… 医者だって、預言者じゃあるまいし、ケガや病気のことを全部分かってるわけじゃないだろうに…… 」

 陽介は自然に左半身も、元通りになる気がしていた。

 しかし、

 医者はこういう時、残酷なほど正確に身体のことを把握している。脳のCTに写った出血痕が、運動野を傷害した後がはっきり写っている。

 転院先がすぐに空いたので、本格的なリハビリ施設がある病院へ転院になった。

 そして、肢体不自由の認定を受け、障害者手帳も取得した。

 公立中学校に在籍したまま、特別支援学校の支援を受けることになった。

 早速宿題が病室に持ち込まれた。

「陽介。考えてみたんだけど、ここでのリハビリを受けても完全には回復しないから、専門的な指導を受けられる、特別支援学校のお世話になった方がいいと思ったのよ」

「ああ。母さんがそう言うなら、それでいいと思うよ。俺はとにかく元の身体を取り戻すから」

 陽介はいつも前向きに、自分が元のように走れるようになるものだと、固く信じていた。

 左腕、左手の指先まで麻痺があるので、まずは筋力を取り戻すトレーニングが行われる。

 元々運動が好きなので、ハンドグリップを持ち込んで、いつも握っていた。

「指先と左上腕、肩の筋力は、大分戻ってきたね」

 理学療法士さんも、驚くほどの速さでリハビリが進んだ。

 だが、左足の麻痺は深刻だった。

 平行棒を使って歩行訓練が行われた。

「もう一回やらせてください」

 陽介はできるまで何度も繰り返す。

「絶対走れるようになりたいんです! 」

 こうして、リハビリ病院での3か月間が過ぎ、退院した。

 特別支援学校へ通い始めた陽介は、週2回理学療法士さんの機能訓練を受けることができた。

 後は手すりを頼りに、歩行訓練を自力で続けた。

 こうして1年が過ぎたころ、何とか杖をついて自力で歩けるまでになった。

未来へ向かって

 

「陽ちゃんは、卒業後の進路はどうする? 」

 新谷先生が聞いてきた。

 特別支援学校の生徒たちは、高等部を卒業したら障害者枠で一般企業に就職を目指す。

 障害が重い生徒は作業所で働くことになる。

 陽介は、左足が動かない以外は問題ないし、頭は良い方だ。

「大学に行こうと思っています」

「何を勉強したい? 」

「医療系がいいと思っています。理学療法士になって、運動の指導をするとか、薬学や医療事務も良いと思ってます」

「良く調べてるようだね。そろそろ、普通科の高校に復帰することだって考えても良い頃だと思うよ。日常生活にはほとんど支援はいらなくなったし」

「僕は、高等学校卒業程度認定試験を受けるつもりです。陸上をここで続けたいので、転学はしません」

 陽介は、普通教科の入学試験対策を自力でやっている。今度、予備校の夏期講習を受けてみるつもりである。

「そうか。陽ちゃんならきっと自力で未来を切り拓けるだろうな」

 新谷先生は、いつも優しい言葉をかけてくれた。

 正直、自力で普通科の勉強をするのは、とても困難なことである。だが、陸上を続けてダッシュができるようになることも、自分にとって重要な夢だった。

「陽ちゃんは、いつも勉強しているね。凄いなぁ」

 アッキーが、最近相手をしてもらえなくて寂しいのか、陽介の傍で一緒に宿題をやるようになった。

「ああ。勉強すれば、将来なりたい自分になれるんだ。きっとこの足のことも、勉強すれば道が開けると思う」

 医学は日進月歩だ。

 治療が困難な難病の治療薬が、次々に開発されるようになった。

 そして、身体の組織を培養して作り出す研究も進んでいる。

 そんな最先端の研究のことを、もっと知りたくなった。

「俺は、新薬の研究をしてみたいなぁ。自分みたいに身体が麻痺した人の脳の一部を再生できれば、元通りに走ることができるようになると思うんだ」

「なんだか凄いね。俺も頑張れば、お利口さんになれるのかなぁ」

「アッキー。できると思えばできる。自分を甘やかさないことだ。俺は入院していた時、左手だって動かなかった。毎日筋トレをして、機能訓練をしてやっと違和感ないくらいに動かせるようになったんだ。脳みそだって、毎日一生懸命使っていれば、賢くなるはずだよ」

「えっ。そうなの? 俺、脳がないから頭が空っぽなのかと思ってた。考えると頭が良くなるのかなぁ」

「はは…… 世の中には、諦めずに難病に立ち向かう研究者がたくさんいるんだ。俺たちが簡単に諦めていいわけないだろ」

「でも、俺バカだからな」

「まずは、自分を『バカ』だというのをよしなよ…… 」

 

 放課後、外に出るといつもの足を蹴り上げる訓練をした。アッキーが左足を持って動かしてくれる。

「よし。今度は左に捻ってみてくれ」

「はいよ」

 言われるがままに、足を動かしていく。

「ふう…… じゃあ、外周を走ろう。アッキー、競争だ! 」

 ジョギング程度なら、あまり遅れずについていけるようになってきた。

 左足を引きずるようにして、バランスを取りながら何とか走っている。

 アッキーは陽介に合わせていつも伴走してくれていた。

「へへっ。俺さ、もう少し賢くなれる気がして来たよ…… 」

 走りながら、自分の行く末を考えていた。

「なぁ。アッキー。俺さ。左半身麻痺なんて、自分がなるまで全然想像したことなかったんだ」

「へえ。俺は足が動かなくなったことないから、良くわからないよ…… 」

「身体が半分動かないと、精神的にきついぜ。死んだような気分だったよ。始めは…… 」

「陽ちゃんを見ていると、死にそうもないけどね。ははは」

「寝返りも打てないし、起き上がるのも一苦労だし、茶碗も持てないし、いつも左側に倒れそうになるし…… あれもこれも出来なくて、しんどかったんだよ。ホントは…… 」

「じゃあ、俺もしんどいけど、物覚えが良くなるのかなぁ。いつも自分が何か忘れるんじゃないかって、心配で。誰かに『ウソつき! 』って言われるんじゃないかって思うと、笑っちゃうんだよね…… 」

「俺さ。こうして走っていても、気を抜くと左に倒れそうになるんだ。一瞬でも気を抜いたらアウトだよ。なんでこんな目に遭うんだって、いつも思ってるぜ」

「やっぱり、陽ちゃんは凄いよ…… 」

 外周を5周した2人は、トラックに立った。

「また、やるんでしょ」

「おう! 」

「ヨーイ! ドン! 」

 陽介は転ばなかった。ジョギングくらいのスピードで、静かにスタートして自分のペースで走った。

「よし。まずは50m走ったぞ」

「今日はダッシュしないんだね」

「アッキーが、宿題やってるところを見て思ったんだ。まずは、自分の身の丈に合ったことをすればいいんじゃないかって。転ぶほどダッシュしても、得るものがないってアッキーが言ってる気がしたんだ…… 」

「俺は何も言ってないよ」

「そうだな。ははは」

「何だか、陽ちゃんはどんどん賢くなっていく気がするなぁ…… 」

 しばらく2人はグランドにしゃがみこんで、空を見ていた。

「なあ。アッキー。俺はさ、自転車に乗っていてスマホをいじろうとしたから、天罰を受けたんだ」

「ええっ。そうなの? 天罰って怖いなぁ」

「でもさ。自転車に乗って、スマホいじってる人なんてたくさんいるじゃないか」

「ああ。ちょっとムカつくね」

「なんで、俺なんだろうってさ。罰を受けない奴がたくさんいるのに、何でかって考えたんだ」

「…… 」

 明夫は黙り込んでしまった……

「なんでだろう…… 」

「俺にもわかんないよ」

「何でかなぁ…… 」

 陽介の無念な気持ちは深く心に影を落としていた。

 体が動かない、ということは生活のすべてを制限する。

 明るく前向きな陽介の心の底には、いつも自分を責め、運命に怯える弱い自分がいたのだ。

 将来の進路も、夢も、すべてが障害を克服することに収斂されている。

 それだけ心の闇も深いということが言える。

「俺も、勉強するよ。陽ちゃんのようにはできないけど、自分に負けたくないからね」

「…… 」

 今度は陽介が黙り込んでしまった。

 考えてみれば、知的障害だってつらいはずだ。

 ものを忘れたると、想像を絶するストレスがかかると、聞いたことがある。

「アッキーは、いつも怒られていたんだろう」

「うん。良くいじめられたし、兄ちゃんには殴られるよ」

「知らなかった…… それでよく…… いや。何でもない」

「また、走ろうよ」

「ああ。もう一本いくか! 」

 またスタートラインに立った。

「なあ。走っていれば、何とかなる気がしないか? 」

「よくわかんないよ。俺はバ…… へへへ。何でもない」

「ヨーイ! ドン! 」

 2人はゆっくりと走った。

 自分に無理のないペースで走っていれば、きっと未来へ通じると思った。

 努力は、1%の奇跡をもたらす。

 きっと明日も2人は、努力を続けるだろう。



 

この物語は、事実を元に創作したフィクションです。