戦士の国
「待ってください!
この子はきっと強くなります。
どうか見逃してください」
女は幼子を抱き上げると体を丸めて座り込んだ。
「奴隷にするか、谷から投げ捨てるか選べ」
兵士は冷たい眼で子どもを|睨《にら》んだ。
岩山の中腹には、谷が口を開けている。
気流に|煽《あお》られながら覗き込むと、底が見えなかった。
子どもを抱えた母親が、次々に登ってくる。
生まれたばかりの赤子でも、弱いと判断されるか病気になれば奴隷にされる。
カーバルト王国の決りだった。
「せ…… 戦士にしてください」
兵士は冷たい眼で女を見た。
「仕方がない。
この件は保留にしよう」
女の顔がパッと明るくなった。
「ありがとうございます!
一生懸命鍛えて、きっと立派に育ててみせます。
カーバルト王国のために命を投げうつ立派な戦士に」
踵を返して子どもを連れ帰ろうとした瞬間、後ろに立っていた男が子どもを奪い取った。
涙を流して懇願する女。
「何をするのですか。
今、保留にすると」
「掟は掟だ。
今日のところは保留にしておいてやる。
誇り高きカーバルト王国の戦士にウソはない」
女は泣き崩れた。
すすり泣きの声をよそに、次の子どもが呼ばれ列が動いていった。
「騙された……」
粒選
「次!
レックス・パリサス・ディアス」
裸にされた子どもたちが、横一列に並んでいた。
春になったばかりで、まだ肌寒い。
風に乗って花の香りが鼻腔をくすぐる。
胸をはって堂々と立っていないと奴隷にされるからと、母親から念を押されていたレックスは、寒さなど おくびにも出さずに両眼をキッと釣りあげて彼方を見据えた。
「はい!」
一歩進み出たレックスの胸板、背中、二の腕、太ももがビシビシと叩かれる。
痛みに声が出そうになるが、歯を食いしばった。
「うむ。
よく鍛えているな。
合格!」
折りたたまれた分厚い布が一枚手渡された。
|紅《くれない》にライオンの像が染め抜かれた、カーバルト王国の戦士と認める証である。
これから戦士としての資質が試される。
「布を受け取った者は山へ入れ。
一人ずつ別々にだ」
裸に布一枚で、1週間山で過ごす。
食料も寝床も与えられない過酷な試練である。
カーバルト王国は徹底的な軍事国家である。
生まれたときから戦士になれるかどうか選別を受ける。
身体が弱かったり、病気になったりすると国民と認められない。
待っているのは奴隷として働き続ける人生か、死のいずれかである。
山に放たれる試練は、これから始まる軍事訓練を受けるに値するかを測るためにある。
7歳になると誰もが受けることになっていた。
「人食い熊が出るって噂だったな ───」
山の中には、大型の獣もいる。
まずは食料を調達したい。
寒さのために体力を消耗していた。
武器も調理道具もない。
手ごろな枝を拾うと、1メートルほどに折って持ちやすくした。
500グラムほどの丸石を左手に持った。
石は布にくるめば振り回して攻撃できる。
「ブラックジャック」と呼ばれる有名な武器である。
だが貰ったばかりの布を使うのは気が引けた。
ライオンのマークが染め抜かれた、誇り高き布である。
これから衣類として、雨除けとして、汚れていくのは仕方がない。
「う、うわあああ!」
微かに叫び声が聞こえた!
弾かれたように地を蹴り、声の方向へ飛ぶように走っていく。
春だから新緑の草が多い。
石にはコケが付き、足を取られる。
この日のために山でサバイバルする練習は積んできた。
やがて青々と茂った葉の間に、黒い巨大な影を認めた。
「ひいいい!
助けて」
巨大熊が両手の鉤爪を振りかざし、今にも切り刻もうと狙いをつけている。
レックスは先ほどの石を布にくるむと、頭の上で振り回した。
「おらあああ!
こっちだ熊公!」
声を限りに叫ぶと踊り出た!
だが熊は狙った人間を先に仕留めようと間合いを詰めていく。
「おい!
そこの!
こっちへ来い」
野生動物は、狩りというものを熟知している。
弱い者を倒して、武器を持った相手は無視するのである。
「武器は石一つ。
チャンスは一度きりだ」
5メートルほどまで間を詰めた。
右手に持っていた枝を力いっぱい投げつける。
キリキリと回転しながら熊の耳を直撃した。
「ガアアア!」
驚いた熊は一度顔をそむけた。
そして、レックスに向き直る。
鉤爪を向け、振り下ろしてきた!
「うおおおお!」
遠心力を最大限にかけた石を射出した!
|眉間《みけん》を打ち抜いた!
|血飛沫《ちしぶき》を上げ、頭部をマグマのように赤黒くする。
何度か鉤爪で空を切り、あお向けにひっくり返ってしまった。
黄金の少年
ゆっくりと熊に近づいていく。
急所を直撃したようだった。
手足を開いたまま痙攣していた。
地を|這《は》うように木陰に隠れていた少年は、そのまま寝転んでしまった。
駆け寄ると抱き起こした。
顔は涙と鼻水に濡れ、汗と小便でグショグショになっている。
それでも、レックスに顔を向け、頭を下げた。
「僕は、ロベルト・マヌエル・フエンテ。
もう死んだと思ったよ……
情けないところを見せてしまった……」
熊を倒した安ど感から、レックスは顔をほころばせた。
「僕は ───」
言いかけたときロベルトが口を挟んだ。
「レックス・パリサス・ディアスだね。
きみの後に山へ入ったから」
自分の名前を覚えていた。
驚いて沈黙しているレックスに言葉を続けた。
「熊を一撃で倒すなんて、きみの勇気に惚れ込んだよ。
僕は体力があまりないから、やっと7歳の試練まで辿り着いたんだ」
腕で涙と鼻水を拭い、立ちあがった。
ロベルトは手ごろな枝を拾い上げると熊に突き刺した。
「ナイフがないときは、木の枝を腹に突き刺して内臓を取りだす。
皮は防寒に使えるし、肉は焼いても干し肉にしてもいい」
言いながら慣れた手つきでさばき始めた。
「レックス、向こうの岩場に粘土質の粘板岩の地層が見えていた。
薄くはがれやすいからナイフになるはずだ。
手ごろなのを持って来てくれないか」
ロベルトが指さした方向へ歩いて行くと、地面が|褶曲《しゅうきょく》して盛り上がっていた。
粘土質の地層が露出していて、薄い粘板岩がいくつもせり出している。
手ごろな大きさの石を抱えて戻っていった。
「ロベルト。
多めに持ってきたぞ。
凄いな。
僕は石の名前なんて考えたことがなかった」
「石包丁といってね。
粘土質の土が堆積して圧縮された粘板岩は、|頁岩《けつがん》の一種で薄く剥がれやすいから加工しなくても使えるんだ。
他に、|流紋岩《りゅうもんがん》、溶結凝灰岩も使える。
|火砕流堆積物《かさいりゅうたいせきぶつ》は堆積後も数百度と高温だから、構成粒子の火山ガラスはゴミと一緒に溶けてくっつき合うんだ。
軽石も長い年月かけて押しつぶされて、溶岩のように硬い岩石になる。
砕くとナイフみたいに鋭くなるんだよ」
すらすらと喋りながら、石包丁で器用にさばいていく。
ロベルトは金色の髪をフサフサと|靡《なび》かせて、生き生きとしていた。
熊肉などいつ以来だろう。
肉の味を思い出すだけで、よだれが|零《こぼ》れそうになる。
火を起こし、熊肉を枝に刺して焼き始めた。
パチパチと木が|爆《は》ぜる音を聞く頃には、辺りが暗くなっていた。
叡智の戦士
熊肉を焼いて食べていると、全身に力がみなぎってくる。
硬さと独特の臭みがあるが、量はたくさん獲れた。
残った肉は、毛皮に|包《くる》んでレックスが担いだ。
ロベルトは地形を読み、沢へ下っていった。
「上に隆起した土地があるから、多分この辺に|洞穴《ほらあな》があると思うよ」
歩きながら丈夫なつる草も探す。
石の刃を枝に括り付ければ、斧になる。
石を掴んで振り回すよりも、柄がついていた方が使いやすいし威力も増す。
手ごろな洞穴を見つけると、熊の肉を薄く切り分けて火を起こした。
「煙で|燻《いぶ》しておくと長持ちするんだ」
「これで、一週間は大丈夫だな。
ロベルトのお陰で早く落ち着く場所が見つかったよ」
雨でも降れば、体調を崩す恐れがある。
布一枚でどうやって切り抜けるか考えていたレックスは、安心して眠気が襲ってきた。
「仮眠をとるといい。
君は命の恩人だ。
火を起こして見張っているから、任せてくれ」
熊肉を少しずつ食べ、野草や魚も獲った。
毛皮で寒さをしのいで無事に切り抜けることができた。
深い山の中、沢のせせらぎと木々のざわめきが聞こえる。
「レックス、この国はどうなっていくと思う」
外の景色を眺めながら、ロベルトが|呟《つぶや》くように言った。
遠くを見つめ、手には石斧を握りしめている。
「僕には良く分からないよ。
勇敢な戦士になって、国を守るだけさ。
君はどう思うんだい」
「大きな戦争が迫っている。
今までにないような、脅威が襲ってくるんだ。
強い兵士を育てるだけじゃダメだ」
レックスは身を起こした。
ロベルトの言葉の意味はわからなかったが、自分が考えたことのない事実を知っているのだ。
「脅威 ───」
無事に切り抜けた2人は、兵士として訓練を受けることになった。
第三の少年
試練をくぐり抜けた少年たちは、大都市ビスマスにある広場に集められた。
石畳の街道には馬車が行き交い、騎馬兵もいる。
路地には露店が並び、食料や武器も売っていた。
「よくぞ今日まで生き残った。
我が精鋭たちよ」
年配の将校が、声高らかに激励した。
「晴れてカーバルト王国の兵士となった君たちに、伝えておくことがある」
ロベルトが、レックスに目配せをした。
しっかり聞いておけという意味だろう。
「隣のフェリージア共和国とは、長きにわたって覇権争いをしてきたが ───
同盟の申し入れがあった。
我らが国王陛下は、それを受け入れる方針だ。
なぜなら ───
ついにガレチア帝国が動き出し、強大な軍事力を背景に我が国の脅威となりつつあるからである」
「ロベルトの話は、これだったのか」
あまり街に出てきたことがないレックスは、周辺諸国の状況など知る由もなかった。
「今まで以上に気を引き締めて、君たちも訓練に取り組んでもらう。
詳しくは班長に聞くように」
目の前に、20歳前後と思われる武装した男たちが現れた。
一人がレックスに近づいてくる。
「君が、人食い熊を石一つで倒したダビデくんだね。
話は聞いているよ。
トニオ・ガルシアだ。
ロベルト、ビクトル、場所を変えて話そう。
こっちへおいで」
「僕はレックスです。
ダビデって誰ですか」
ムスッと頬を膨らませて横を向いた。
「あっはは。
腹を立てたかい。
ダビデは伝説の王でね。
石一つで敵の将軍を倒して国を建てたと言われているんだ。
敬意をこめて言ったつもりだぞ」
今度は赤面して下を向いた。
田舎者で無知だった自分が恥ずかしくなった。
ロベルトと同じ班だった。
恐らく行動を共にして、信頼関係がある者同士を組んだのだろう。
「戦場では、信頼を置ける仲間が一番の財産になる。
武力も知恵も、仲間があればこそだ。
まずは一緒に飯を食おう」
トニオは飯屋に入っていった。
ロベルトが続く。
ビクトルという少年がレックスに近づいてきた。
顔が緊張していて、何かを警戒しているように感じる。
「驚いたな。
トニオ・ガルシアは、カーバルト王国でも屈指の戦士だ。
国王にもなれる器だと評判だ。
そして熊殺しのレックス。
博識のロベルト。
僕が|霞《かす》んでしまうよ」
入口で振り向きざまに呟いた。
ドアのない石造りの建物の中は薄暗い。
ビクトルは影を感じさせる変わった少年だった。
「あまり深刻に考えなくてもいいんじゃないか。
君も、只者ではなさそうだ。
いいチームになりそうだね」
にっこり笑ってみせたが、伏し目がちに見返すだけだった。
剛の者
店内には、他の班もいるようだった。
鎧を身に着けた戦士が大半で、威勢のいい声で賑わっていた。
向かい合うかたちで腰かけると肉を注文した。
「あまり食べすぎると、かえって戦闘能力を落とすこともある。
ほどほどにしておいてくれ」
レックスは先ほどからビクトルのことが気になっていた。
外の風景を眺めたきり、こちらに顔を向けてこなかった。
往来にはたくさんの戦士が行き交う。
よく見れば4人一組の若い戦士が多かった。
「4人一組で小隊を組むのが我が国のスタイルだ。
迅速な行動、連携が取れた戦術を展開できる。
僕が隊長兼教育係になるわけだ。
よろしく頼むよ」
トニオはにこやかだった。
子どもたちと一緒に過ごすことを楽しんでいるようだ。
目つきがヤサグレていたり、いかつい大業が多い中、人格者という風体だった。
「レックスとロベルトは山の試練を共に切り抜けたんだったね。
じゃあ、まずビクトルだが ───」
「ビクトル・ヒメノ。
父はラルフ・ヒメノです」
「ヒメノ家の ───」
ロベルトが驚いて声を上げた。
「ラルフ・ヒメノは僕の小隊の隊長だった。
つまり、ビクトルの父親の孫弟子になったわけだ。
カーバルト王国を陰で支える名門ヒメノ家は、優秀な戦士をたくさん出している。
もちろんビクトルも、ラルフ隊長が太鼓判を押すほどだ」
食事を済ませた4人は、訓練場の地下へと入って行った。
地上は闘技場のようになっていて、自由に稽古できる。
暗い石段を降りていくと、鉄格子がはまった牢のようなドアがある。
中には剣、槍、弓などあらゆる武器が収められている。
見ただけでは、何に使うのかわからない物もあった。
「最もポピュラーな武器は剣だ。
すべての武器の基本であり、応用が利く」
「僕は剣にします」
レックスは壁に掛けてあった両刃の剣を取った。
「君は腕力があるし、片刃の剣を振り回した方が戦い方に合っていると思うよ」
ロベルトが隣の巨大な刀を指して言った。
結局、両刃と片刃の剣を両方持ち出し、試してみることにした。
「ビクトルは ───」
珍しい武器を手にしていた。
一つは円形の刃物。
もう一つは中ほどで折れた剣である。
「僕は、これに慣れているから。
チャクラムは遠くの敵に投げつけたり、不意打ちを食らわせるための武器。
ブーメラン剣は、投げると手元に戻って来る」
どちらも並の戦士には扱えそうもない武器だった。
「ヒメノ家は独特な武術を稽古しているんだ。
今にわかるさ」
トニオは良く知っているようだった。
武器を持った立ち姿をあらためて見ると、ビクトルの落ち着き振りが際立った。
どちらも遠くの敵に対して威力を発揮するようだ。
レックスは、戦い方を見てみたくなった。
了
この物語はフィクションです