魔法のクリエイターと言われる理由、お教えします

人は知る。人は感じる。創作で。

【小説】世界を一変する、この世で最も黒いもの

本を読む少年

 

 |幹夫《みきお》は、紺色の大きな本を開いている。

 表紙には、ワイヤーフレームで描かれたロボットの絵が、輝くネオンサインのように煌めいていた。

「アスケー出版だって。

 幹夫くん。

 何を読んでるんだい」

 病室の陽射しは、強烈である。

 本に直接当たらないように避けながら、小さな手を時折動かす。

 周りの声が届かないのか、ページを繰る音だけが高く響くのだった。

 |四ツ井田 幹夫《よついだ みきお》は、小学校3年生。

 まだ、あどけない少年には、学校の教科書よりも、大きな専門書を読む時間の方が大切だった。

「ああ。

 北先生」

 本から目を上げると、若い男性教諭がこちらを見ていた。

 周りに誰もいないので、自分で挨拶しなくてはならない。

 幹夫は落ち着きある少年だが、人付き合いは苦手だ。

 気の利いた挨拶など思いつかなかった。

 少し考えた後、

「これ、マシン語っていう、コンピュータ言語の本なんです」

 淡々と述べた。

「うはっ。

 何それ。

 ちょっと見せてくれない」

 読みかけのページに、しおりを挟むと、手を伸ばした。

「ううん。

 うへえ」

 筋肉質で、爽やかスポーツマンの北は、漢字とアルファベットだらけのページに目を泳がせた。

「そうかあ。

 ありがとう。

 返すよ」

 サイドテーブルに本を置く。

 表紙のロボットは、お互いにビームのような線でつながれている。

 情報通信網などまだない昭和に、大きな本が異様な雰囲気をかもし出すのだった。

 北は、コメントに困った。

 凄いのか、読めてないけど持っているだけなのか、判断しかねたからだ。

 異次元の世界に、話題を変えるのが最善と、本題をきりだした。

「お腹の調子はどうかな」

「もうぜんぜん」

「退院はいつになりそう」

「あと3日だそうです」

「そうか。

 また元気に学校へ来るのを、待ってるよ」

 そう言って、右手のひらをこちらへ向け、出て行った。

「ふう」

 一息つくと、また本に手を伸ばす。

 2時間ほどたっただろうか。

 母がやってきた。

「幹夫。

 本持ってきたよ」

「ありがとう」

 サイドテーブルに、漫画が置かれた。

 「こんにちは、マイコン」と題名が大きく書かれ、出っ歯でキャップを被った少年が、描かれている。

 目が疲れて、本を閉じると瞬いた。

「あの。

 この本、難しそうですね」

 カーテンを開け、常井という子の面会に来た母親が、顔を出した。

「ははは。

 まあ、半分も理解できてないでしょうね。

 読みたいって言うから与えてるんですよ」

「へえ。

 頭が良いんですね。

 うちの子なんて、元気なだけで」

 世間話に花が咲き始めた。

 幹夫は自家中毒で入院している。

 朝、ひどい腹痛に襲われ、身体をよじって苦しんだ。

 病院に連れて行かれ、そのまま入院になったわけだ。

 痛みはすぐに収まり、おかゆを食べられるようになった。

 ケトンがどうとか、医者の先生が話していたが、すぐに忘れてしまった。

 自家中毒の意味が良く分からないので、食あたりだと思い込んでいた。

 することがないので、難しい本を読むチャンスである。

 だから、母に頼んで、買ったばかりの本を持ち込んで、ずっと読んでいる。

「多分、3周読まないと分かってこないな」

 常用漢字を半分も知らない、小学3年生にとって、文章を理解するだけでも骨が折れた。

 幹夫は、自分が秀才だとか、考えたことがない。

 他人に自分を秀才だと思わせたいなどと、考えてもいない。

 でも、ひけらかすために専門書を広げていると思われたら、許せない。

 だから、あまり触れて欲しくなかった。

 夕方になると、急に暗くなった。

 遠くで雷鳴が響く。

 ポツリ、ポツリと窓を雨音が叩く。

 本に当たる光が、部屋の電灯に変わった。

 膝の上に広げると、首が凝っていることに気づいた。

 腕を伸ばして、大きくストレッチをした。

「少し寝るか」

 早く病室を出て、確かめたいことがある。

 マシン語を、打ち込んでみたい。

 何が起こるか、ワクワクしてきた。

「雨音って、パソコンが奏でる雑音と似てるな」

 激しい雷鳴も、意識の彼方へ霞んでいく。

 目を閉じると、すぐに寝息をたて始めた。

パソコン少年の日常

 

 退院の日。

 荷物はすでにまとめてあった。

 頻繁にベッドを出て、歩き回っていたので、しっかり足に力が入った。

 見送りもなく、入院費を払う母を置いて、淡々と出て行った。

「たいした病気でもないしな」

 まぶしい日差しは、ガラスを通さないとさらに暑い。

 アジサイが咲く、初夏の陽気である。

 病院は、裏通りにあったので、静かなものだ。

 母がでてきた。

「タクシーがくるから」

 家までは6キロほどある。

 幹夫は、元気なら鼻歌交じりに、1時間で歩いてしまう距離だ。

 家に着くと、パソコンが気になった。

 いつものように、テレビ台に収まっていた。

 病院から持ち帰った本を脇に置くと、電源スイッチを押した。

 いくらするのかわからない、最新のグラフィックパソコンは、ファンの音をたてる。

 小さなブラウン管テレビの、スイッチを引っ張る。

 とりあえず、1時間だけ、いじることにした。

 初期画面は、緑一色で、英語と不思議な記号が並んでいる。

 N68-BASICという、プログラム言語の入力待ちになったサインである。

 コンピュータは、暴君である。

 少しでも機嫌を損ねると、途端に手が付けられなくなるからだ。

 こうして、入力待ち画面が出ないことさえある。

 テレビも、叩いて直すことが度々ある。

 だから、ついボヤいてしまう。

「ふう。

 今日はいい子ちゃんだな。

 たのむぜ。

 このやろう」

 たまりにたまった、うっぷんを晴らすべく、ゲームのパッケージを取り出した。

 しばらく物色すると、一つの箱を取り出す。

「よし。

 これしかないぜ」

 「宇宙海賊船マーベリック」と書かれている。

 宇宙船に穴をあけて、丸い生物が飛び出したイラストが、異様である。

 中のカセットテープを取り出した。

「よいしょっと」

 大きなカセットデッキに入れ、再生ボタンを押すと保留される。

 パソコンで、読み込みコマンドを入力すると、甲高い信号音が鳴った。

「ひゃあ。

 なんでこんな、不快な音にするんだろうなぁ」

 続いて、嵐のような雑音が耳をつんざく。

 1分ほどで、読み込み作業終了。

 一応リストを確かめた。

「ふむ。

 大丈夫そうだな」

 早速実行。

 すべて英語のコマンドである。

 小学校では、英語をまったく習わない時代だ。

「日本人だろ。

 日本語話すよ。

 一生な」

 つぶやくが、パソコンは英語しか知らない。

 いつの間にか、かなりの英単語を覚えた。

「よーし。

 きたきたぁ。

 ひひひ」

 「宇宙海賊船マーベリック」のタイトル画面が表示される。

 キーボードの定位置に手を置くと、スタートさせた。

 1時間はあっという間だった。

 当時のゲームは、単純作業を反復するものが多い。

 タイミングが合うと、高いスコアになる仕組みだ。

 要領がいい幹夫は、大抵のゲームを、すぐに分析して丸裸にした。

「ああ。

 すっきりしたなぁ。

 夕方、プログラムをいじってみるか」

 入院生活で、落ちた体力を戻すために、散歩に出て行った。

洞察力

 

 ゲームを改造する。

 小学生の遊びとしては、異質である。

 ゲームセンターが近くにない子どもは、大人気のファミリーコンピュータで遊んでいる。

 友だちの家に遊びに行って、ゲームのカセットを差し込み、ビデオゲームを手軽にできる。

 ワイワイ騒ぎながら、2人プレイなどして楽しむのだ。

 幹夫と親しい友人は、パソコンを持っている。

 だが機種が違うので、共有はできない。

 ファミコンは、買ってもらえなかった。

 もらいものの、高性能パソコンがあるから、欲しいとも思わない。

 毎日、難しい専門書を読み、自分でゲームを作る夢に向かって試行錯誤を続けた。

 BASICなら、ある程度組めるようになった。

 数値をいじって、どこが変わるか確かめていけば、意味がわからなくてもできる。

 専門書も、同じ要領で、話の流れの変化を洞察して理解していた。

 論理的に解釈するのではなくて、見通しを常に立てて、結果を検証していくのである。

 読書に疲れると、パソコンでゲームを読み込み、変数をいじり始めた。

 キャラクターの移動速度、図形の位置関係など、すべて数字で管理しているから、理屈は難しくない。

 プログラムにはある程度の型がある。

 パターンがわかれば、類型化できる。

 マシン語も基本は一緒である。

 だが、高度に細分化されるために、処理がとても多くなる。

 自分で0から作るのは、厳しいと判断した。

「サンプルがあれば、全部理解しなくてもできる」

 そマシン語の専門書に載っているプログラムを研究しているのだ。

 同時に、キャラクターデザインも始めた。

 ラフスケッチを方眼紙に当てはめる。

 そしてドット絵と呼ばれる、ガタガタの荒い絵にしていくのだ。

この世で最も黒いもの

 

 近所に|鈴原 幸次《すずはら こうじ》という幼馴染がいる。

 テストはいつも満点。

 絵もピアノもできて、評判の秀才である。

 父親が、建設会社役員で、近所の家の3倍くらいある大きな庭つきの家に住んでいる。

 幹夫が引っ越してきた、3歳の頃から、ほとんど毎日顔を合わせている。

 母親は塾を開いているので、遊びに行くと、問題集をやらせてもらった。

 幹夫も秀才で通っていたが、ひとえに鈴原家のお陰だった。

 物心ついたときから、幸ちゃん、幹ちゃんと呼び合っていたので、気心をよく知っている。

 幸ちゃんの家の前は、ため池になっていて、葦がたくさん茂っている。

 池の中にはウシガエルがたくさんいて、いつも大合唱している。

 池の先には広大な田園が広がり、アマガエル、トノサマガエルが|跋扈《ばっこ》している。

 時間がゆっくり流れる、長閑な光景の中で育ってきた。

 だから、他の友だちに誘われて、野球やサッカーをすることも多かった。

 パソコンを手に入れるまでは、いつも外にいる子どもだった。

 幸ちゃんが、学校で幹夫に声をかけてきた。

「幹ちゃん、ゲームの方はどう」

「順調だよ。

 でもさ、一文字でも間違えるとやり直しだから、時間かかっちゃって」

「へえ。

 見せてよ」

「いいよ」

 土曜日の午後に、家にやってきた。

 パソコンをいつものように起動して、マシン語のダンプリストを表示してみせた.。

「へえ。

 画面が真っ黒にみえるね」

 幸次の言葉に、ドキリとした。

 普通は、緑の画面に文字が出るのだが、マシン語入力モードでは、真っ暗になる。

 そして、間違ったコマンドを入力したら、二度と元に戻らない。

 妥協を許さない構造なのだ。

 それを、黒さが象徴しているかのようだった。

「そうか。

 黒って、厳しい色だよね」

 幹夫はなぜか、納得した。

「僕さ、私立中学校へ行くことになりそうなんだ。

 普通の中学校より、ずっと難しいんだって」

「へえ。

 幸ちゃんなら、簡単でしょ」

 それから、幸次は塾通いを始め、遊ぶ機会が減っていった。

 幹夫の方は、相変わらずパソコンと格闘していた。

「僕って、頭悪いのかな。

 ゲームを作ろうとして、プログラムを繋げていくと、必要なプログラムがどんどん増えていく」

 作業は進むが、終わりは遠のいていった。

 マシン語は、昭和の頑固おやじのように、容赦なかった。

 何度もちゃぶ台返しのような目に遭って、一進一退の作業が続く。

 いつしか、幹夫もファミコンを手に入れ、ビデオゲームに没頭するようになる。

 真っ黒な世界に挑まなくても、楽しいゲームが簡単に手に入るようになった。

 最新といわれたパソコンも、ひと世代前の遺物になりつつあった。

 幹夫の家には、ファミコン仲間が入り浸るようになり、パソコンを起動する回数が減っていった。

 だが、心には野望の炎がくすぶっていた。

 真っ黒な世界でみた、限りない自由な世界が、いつまでも心に残っている。

「いつか、プログラマーになりたい。

 そして、今までにないゲームをデザインする」

 志が、厳しい勉強を乗り越えさせた。

 幸次は将来医者になる、という夢を抱き、別の道を歩き始めた。

 幹夫はずっと、この世で最も黒いものを求め、自分を高め続けていく。