社会人として「非常識」といわれたら、改善すべきだと捉えるだろう。
でも、クリエイターとして「非常識」といわれたら誉め言葉だと思う。
創作したものが非常識だったら、個性的でいい作品である。
小説家として、非常識にならなくてはいけない部分がある。
逆に考えると発想や、ストーリーが常識的だったらつまらない作品だといわれている。
海外文学を読むと、何もかもが違うし、これで成立するのか、と驚くことが多い。
ある作品は、セリフの「鍵括弧」がなかった。
そして改行もない。
読んでいると、登場人物の心の声なのか、口に出したセリフなのかわからない。
でも話はどんどん進んでいく。
恐らく日本では通用しないのではないか、と思うが、表現の可能性を感じるし、学ぶべき点があるかもしれない。
高度情報化社会になって、常識の守備範囲が広がっていると思う。
情報をすぐに共有できるということは「仲間内」の範囲が広がったことである。
仲間内には不文律ができあがり、紳士同盟のようなものが形成される。
突然表現形式を変えたり、文体が変わると「読みにくい」といわれるだろう。
だが、小説の物語は日常ではない。
例えありふれた日常を描いたとしても、新たな発見があるから興味を持って読める。
クリエイティブな仕事に於いては、非常識は重要なキーワードになるはずである。