魔法のクリエイターと言われる理由、お教えします

人は知る。人は感じる。創作で。

小説をAI先生に分析していただきました【宇宙神エマ ~UCHUJINEMA~ 編】

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「【小説】宇宙神エマ ~UCHUJINEMA~」をAIで分析した結果、このような感じです。

やさしい先生でした。

ありがたき幸せに存じます……

 

↓このようになりました

ファンタジーだけでなく、様々なジャンルの要素が散りばめられているようですね。
なかなかバランスが取れた作品ですね。
全体の印象からすると、恋愛の要素も多くみられますので、より意識してみても良いかもしれません。
文章としては、読みやすさをしっかりと重視して書かれていると感じました。
漢字にする部分・ひらがなにする部分のバランスを見直してみるともっとよくなるかもしれませんね。

まるで異世界に旅立ったような気分で楽しませていただきました!
ぜひ別のブレインでも分析してみてくださいね!
今後も引き続き魅力にあふれた作品を楽しみにしております!

↑励まし系です。

次回もお楽しみに!

 

関連リンク 【完結】宇宙神エマ ~UCHUJINEMA~

https://note.com/yamadahikaru/n/n8f1c26a06e25

裏切者

 裏切者の意味は、以下のようになっている。

「味方を欺いて不利な状況に陥らせる者、敵に加担する者などを意味する表現。(実用日本語表現辞典)」

 

 前提として「敵・味方」に別れていなくては成立しない。

 仕事上では、ライバル企業が敵になるのだろうか。

 場合によっては、異業種が敵なのかもしれない。

 自分の利益と対立する対象が敵である。

 ファンタジーで描かれるのは、国同士で敵味方に別れたり、人間と異形のモンスターに別れたりする。

 運動会では「組」に別れる。

 思想、感情で集団を形成すれば、それが根拠になる。

 家族はあらゆる要素を含んでいる気がする。

 裏切ることは、所属した集団に害を与えることである。

 他の集団に移っても、元の集団の戦力を落としているから裏切りだ。

 こう考えると、裏切者は、有能でなくてはならない。

 無能な者は裏切者になれない気がする。

「恐れるべきは有能な敵よりも、無能な味方だ」

 と別れ際に言われたら、とても寂しい。

悪魔

 悪魔との契約をすると、恐ろしいことが起こりそうだ。

 代わりに魂を抜かれて殺されるのだろうか。

 自分は、実戦系の武術をやっていた。

 その時いつも、

「これを外でやったら、傷害罪で逮捕されるな…… 」

 と思わずにはいられなかった。

 だから、自分と対峙してくれる相手に心から感謝した。

 毎回アザができ、顔面を腫らしたり、肋骨にヒビが入ったこともあった。

 もちろん相手も、同じような目に遭っている。

 自分と対峙して、怯えた表情を見せる人もいた。

 そんな自分は悪魔に魂を売っていたのかもしれない。

 社会の秩序を維持するために、世の中に決められたルールに反したことを公然とやっていたのだから。

 そしてそれが、快感でもあった。

 そんなときの心理は、まともではない。

 戦争を描いた小説の中で、

「殺しの快感」

 が描かれていた。

 正確には、

「相手を殺すことで、自分が生き残る快感」

 なのだそうである。

 つまりゲーム性が快感を生んでいるのである。

 この点は自分にも当てはまった。

 もちろん命のやり取りはしないが……

帰り道

 仕事帰りに歩く路上で、いつも描くのは、家族の顔である。

 毎日同じような生活パターンなので、家で何をしているかは想像がつく。

 家路につくと、自分が結構疲れていることに気づく。

 だが、道路に出てしまえば、急に電話がかかってきて3秒で取る必要もない。

 ふう、と一息つくと、みぞおちの辺りがゆるんで脱力するのがわかる。

 電車通勤をしていた時には、周りからの刺激が実に多かった。

 通勤電車には、毎日同じ人が乗っているものだ。

 名前は知らないが、

「あの人またいるな…… 」

 と思う。

 満員電車でぶつかったり、靴を踏んで怒られたり、自分がやられて怒ったりした人の顔はよく覚えている。

 だからといって何もない。

 転勤するときには、ふと、そんな人たちのことを名残惜しく思ったものだった。

友達

 時々連絡をとるのは、高校と大学時代の友人くらいになった。

 社会人になってから、遊びに行くときは大抵1人でいくし、そもそも仕事が忙しくて友人に会う時間がない。

 学生時代には「友達」という不思議な人間関係に囲まれていた。

 気が合う友達を自分の意志で作り、自分の意志で縁を切ることもできる。

 社会に出て、仕事をしているとこのような自由さはなくなった。

 どんな人とも一定の距離感をもって付き合わなくてはならなくなる。

 情を挟むとやりにくくなるため、深くは踏み込まない。

 飲み会で意気投合した仲間がケンカをはじめることは、職場でも時折みられる。

 年々仕事量が増えて、職場にいる間は1分でも無駄にしたくないため、休憩時間以外には無駄話をしなくなった。

 考えてみると、小学校の道徳の時間に散々「友達を大切にする」ことを学んだはずだが、社会に出て役に立っただろうか。

 社会人になると、年齢が上の人、下の人、上司、部下、部所の仲間、委員会のメンバーなどさまざまな人がいて、バランス感覚を持って付き合わなくてはならなくなる。

 「友達ではない」というと、ハッとするようなひどい言葉に聞こえるが、やはりいない。

 「友達がいない」と自虐ネタでいうこともあるし、至って普通な気がするが、寂しい人のように聞こえてしまう。

 ネット上で一瞬繋がる人たちも、一瞬だけ友達かもしれない。

 熱いファンレターを時々いただくこともあるが、励みにして、その人とつながりを求めたりはしない。

 友達とは何だったのだろうか。

みんなタダ

 「プロになる」とは、文章を書いていて、有料記事や有料マガジンにしていくことだろうか。

 あるいは本を出版して書店や、通販サイトに置かれることだろうか。

 電子書籍Amazonや、出版サイトから発行することだろうか。

 このように自問自答をしていると、インターネット上で、無料サービスで商売が成り立っている事例に行きついた。

 身の回りには、タダの物があふれている。

 元々、

 空気はタダ。

 陽の光もタダ。

 散歩も、ジョギングもタダ。

 整体も、自分でやるからタダ。

 ネットもフリーWi-Fiでやればタダ。

 だから、小説もタダにする。

 ここが基本的なスタンスで、生計を立てる術は後で考える。

 ずっと出版社を通して小説を書いていた方が、

「出版業界は激変した」

 と仰っていた。

 激変したのだから、印税暮らしを夢に描いても絵にかいた餅だろう。

 これからの作家の在り方を、誰よりも早く考えなくてはならないと思っている。

契約

 現代資本主義社会の大原則は契約自由の原則である。

 契約の原則では、

「売ります」

「買います」

 と口頭で言えば契約成立となる。

 最近交通事故にあった人が、

「ごめんなさい。大丈夫ですか? 」

 といわれて、

「大丈夫です」

 と言ってしまった。

 この言葉に強い拘束力はないが、加害者はそのままにして行ってしまう。

 意思表示をした、という既成事実があれば契約成立になる、という習慣がつくと想像力がなくなってしまう。

 事故を起こした場合、その時は大丈夫でも後遺症が出ることもある。

 たとえ被害者が「大丈夫です」といっても、安心して立ち去っていいとは思えない。

 この後どうなったのかはわからないが、契約とモラルは全く違う問題である。

 モラルがある人は被害者が何と言おうと、立ち去らないはずだ。

 そもそも、事故の加害者が、

「大丈夫ですか? 」

 と聞くことにも配慮がない。

 自分に都合のいい答えが「イエス」になる聞き方はいけない。

「痛いところはありますか? 」

「病院へ行きますか? 」

「すみません。警察を呼びます」

 というのが正しいのではないだろうか。

 別の例をあげると、ギブアンドテイクの関係ではないことにも契約の原則を当てはめがちになる。

 例えば、教育が最たる例である。

 セミナーを受けて、何か得をしないと散々に文句をいう場合だ。

 セミナーは、自分で何かを学び取り、自己啓発する場である。

 お金を払ったのだから、必ず何かを身につけさせてくれると、受け身になっては効果半減である。

 学校でも、

「苦しい思いをして、我慢をして勉強したのだから、その分いい思いをしないとおかしい」

 という考えが浸透している気がする。

 勉強を我慢してする、と思っているところは仕方ないとして、いい思いができるとか、幸せが必ずやって来る、という期待に応えられるかは自分の問題だ。

 この問題の背景には、小さい子どもがコンビニなどへ買い物に行ったときに、

「いらっしゃいませ」

「ありがとうございました」

 と定型的に「お客様」扱いされることが当たり前になっていることもある。

 だから学校でも自分がお金を払った「お客様」だと思ってしまうのである。

 ギブアンドテイクの契約ではない事柄に、歪が来ていると思う。

声優

 声優にはランク制がある。

 見習いクラスのジュニアランクだとギャラが一律15000円で、最上位のAランクが45000円である。

 人気声優になると俳優と同じく、交渉でギャラを決めるようになるようである。

 ランク制は、ギャラを保証する制度であるが、ランクが上がったときに、それに見合う付加価値を明確化できないと、ランクが上がったために仕事が減ることになりはしないだろうか。

 Aランクの声優を1人雇うギャラがあれば、ジュニアランク3人雇える。

 詳しくはわからないが、調べてみたところ、そのような実情があるという話だ。

 声でキャラクターの感情を表現する、という仕事はやりがいがありそうだ。

 小説を、朗読する動画は多いが、声優さんにやってもらったらどうなるだろうか。

 そんなことを考えると面白そうだと思った。

 薬の成分のことを、きちんと知って適切に使うことが重要である。

 薬剤師や登録販売者でなくても、使用上の注意を読めば難しいことではない。

 またインターネットで成分を調べれば、飲み合わせが悪い「禁忌」もすぐにわかる。

 辞書のような治療薬マニュアルなどを引かなくても、割と簡単なことなのである。

 調剤薬局で、薬ができるのを待っている時や、病院の待合室で会計待ちをしている時に、患者さんが医者に薬のクレームをいう場面を何度も見た。

 医者は専門外の薬だと、禁忌を知らない場合が多いようだ。

 複数の科にかかっている人は、医者を専門家だと信用しきっていると、思わぬ副作用に悩まされることになるかもしれない。

 親の介助をして、さまざまな科に行くようになってから、医者はきりもなく薬を出すし、他の科で出している薬に無頓着だということがわかった。

 だから、医療用医薬品に関する知識が必要だ。

 大病したら専門家をあてにしていては、後手に回る。

 自分で調べるしかないと思う。

創作することが目的になる

 小説を書き始めたときは、歯を食いしばって自分を鼓舞することもありました。

 結構無理して書いていた感じでしたし、途中で迷うことが多かった気がします。

「失敗しても良いから書いてしまおう」

 と投げやりな気持で進めることもありました。

 継続して書いているうちに、書くことが目的化してきました。

 元々創作が好きだったのだと、思うようになりました。

 クリエイティブなことをしていると、とても充実した気持になるのです。

 1日が終わるとき、小説が何文字進んだかを考える癖がつきました。

 そこに満足感を感じて、次はどんなことを書こうかと次々に考えています。

 こうしていると、自分が作り出したキャラクターたちの感情が自分の感情として起こってきます。

 だから、怒ったり、時には死にそうになったりすると大変です。

 そんなときは、大抵憂鬱になります。

 でも、こんな感情に浸ることも、面白いところです。

タクシーのドアを閉めてくれない日本人

 フランスへ旅行へ行った時に見たバラエティ番組の中で、日本人をテーマにしたコーナーがあった。

 そこでは、日本人がタクシーから降りるときの様子が、短い映像で流されていた。

 タクシーから降りた人が、そのままドアを閉めずに行ってしまう。

 運転手が慌てて降りて回り込み、手でドアを閉めるのである。

「なぜこのようなことが起きるのか」

 と解説が入り、日本でタクシーを降りた時の映像が流れる。

 タクシーの後部ドアが自動で閉まる様子が流れると、

「おおー」

 と納得するというものである。

 日本人からすると、

「フランスでは自動で閉まらないのか。タクシーを降りるときは気を付けよう」

 と思うのだった。

ノーと言える日本人

 自分は自称「ノーと言える日本人」である。

 問題場面に遭遇した時、あるべき姿をきちんとイメージしていれば言える。

 ただ押しが強いのではなくて、問題を具体的に解決しようとしているかの違いである。

 また、何をもって「解決」とするかを決めているかも分かれ目になる。

 例えば、電車の乗車マナーのキャンペーンを張るときに、

「皆で席を譲りあいましょう」

 と呼びかける程度では効果が薄い。

 もっと具体性のあるキャッチが必要である。

「あなたの思いやりが、誰かの思い出になる」

 という優れたコピーもあった。

 個人的な目標を立てるなら、

「妊婦や障害者が近くにいたら席を譲る」

 という具合に、対象と状況を明確に決めるべきである。

 お年寄りに席を譲ろうとするときには、トラブルが起きやすい。

 「お年寄り」の定義が主観的だし、年齢が同じでも足腰の強さはまるで違う。

 80代でも毎日2万歩、歩いて畑仕事もしている人もいるくらいだ。

 プライドを傷つける可能性もある。

 だから自分なら上記のように目標を立てる。

 想定外の場面では、その時考えればいい。

無理な期限を決める

 仕事をするときに期限を決めるが、自分のための余暇時間をとるときにも、無理気味の期限を決めるといい。

 自分の事はコントロールしやすいので、自分のための期限は、特に厳しく設定する。

 例えば、小説を書くときに、いつものペースで書いていたら間に合わない期限を決める。

 守れなかったら、それはそれで仕方がないが、始めから無理のないペースを決めておくと、いつも通りに過ごすことになる。

 当たり前のことのようだが、仕事の質を高めるためには、自分に負荷をかけることが必要である。

 目標を3日坊主にせずに達成するためには、プレッシャーをかけて、焦った状態にするといい。余計なことを考えなくなる。

 このようにして生活していると、仕事のパフォ―マンスが上がっていくと思う。

 余暇時間の中には、昼寝とか、ただのんびりとする時間も含まれるが、終わりを決めておくべきだと思う。

 特に昼寝は長くなると余計に疲れることもあるし、夜の睡眠にも影響する。

 自分は、昼寝を効果的にするために、ふくらはぎや、目元のマッサージ機をかけながら落ちるように寝る。

 すると15分ほどで、とても快適な気分になって目が覚める。

登場人物に生活させる

 小説のキャラクターデザインを考えるとき、1日の行動を考える。

 重要な人物であれば、細かく書く時もある。

 小学生の時にの「夏休みの宿題」のタイムテーブルとか、中学生の時の「定期考査前の過ごし方」を書いた覚えがある。

 ちょうどそのような感じで、朝何時に起きて、夜何時に寝るか、学校や職場にいる時間、通勤通学時間を考え、毎日同じなのか、不規則なのかを決めていく。

 規則正しい生活をしていると、能力が高い感じがするし、反対に不規則だと自堕落で、感情に流されやすいイメージになるかもしれない。

 年配で、仕事をしている人物は、家庭で過ごす時間が重要になる。

 若い独身者は、イベントが多いかもしれない。

 このように実際に頭の中で、時間経過とともにどのような生活としているか、それがどう変化するかをイメージすると活き活きする。

社会的地位をくずすこと

 小説の中で、しばしば社会的地位を超えた人間関係がテーマになる。

 例えば警察のような、上下関係が明確で、官姓名を名乗る習慣がある中で、上官の命令に背いたり、権限以上のことをやるとか、たてまえを無視して原則に従うなどが考えられる。

 仕事だからとか、立場があるからなどといって諦めて従っていた建前を、鮮やかに切り崩してくれると、読者は痛快である。

 ハイファンタジーで、中世の軍隊を想定したり、国王や貴族などの社会的地位がある人物と、冒険者のようなエトランゼのような立場を対比するときも、同様なことが起こる。

 社会のヒエラルキーを無視すれば、上司と感情的な軋轢が起こり、制裁を受ける可能性がある。

 警察なら警務部の追及を受け、懲戒の対象になる可能性がある。

 そして、ハイファンタジー冒険者なら殺されるかもしれない。

 このような危険を顧みず、ヒューマニズムのために戦うと、ヒーローである。

 もう一つ多いパターンは、社会的に地位が高い人と、趣味などの個人的な人間関係を形成したり、街でばったり会って知り合いになったりするパターンである。

 ニックネームで呼び合った人が、実は偉い人だったというストーリーの背景には、義理人情が描かれる。

 現代人は、さまざまなフェーズの集団に所属していて、仕事上のフォーマルな集団から抜け出したいという根源的な欲求を抱えていると思う。

 それが趣味趣向などの、個人的な感情を満たす目的であれば共感を生みやすいのである。